のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

Shyonen / 「もう二度と諦めはしない」

2012年07月28日 09時07分39秒 | Weblog
もう二度と諦めはしない (完成バージョン)



この歌詞から

学べることの一つに

世の中には、

“騙す人”と

“騙される人”がいることを

挙げられと思います。


騙す人と騙される人との間にある溝は、

簡単に

埋めらるものなのでしょうか。

Yes or No

で答えるのなら、

どちらでしょう。

出来うることなら埋めたいです。

そこで、分析――。

思うに、騙してやろう一方の人は、

攻撃的です。

しかし、騙すだけの

知性があると言うのは、

多分、誤謬(ごびゅう)でしょうな。

強さは、むしろ、自分の錯誤を

考える余裕がないほどの

無知と、

救い難い情熱のなさ、

つまり、無関心に支えられています。

見ていて面白いのは、

人を騙したく、

また騙した挙句に

他人の希望を砕き、挫折を味あわせる

そんな人って、

大抵「群れ」(ボスに依存した集まり)を成しているようです。

その証拠に、

「原子力村」ってあるでしょ?

あれは、

「群れずにはおれません!」

という弱者の心性の現れなんですよ。

それに対して、

弱い側であるはずの

“騙される人”、

もしくは、何事かを諦めさせられるような、

窮地にいるにいる人って、

希望を擂(す)り潰されてない限り、

群れないですね。

形容としては、

他人と一緒にいたとしても、

「集合」(対等の出会い)

と言うのが相応しくはないでしょうか。

最近、それを学びました。

官邸前デモは、

一人ひとりの自己表現なんです。

群れない、群れさせない

個人の集まり

だから、

一緒に声を高らかに

「再稼働反対」

と叫べば、涙が流れてくるんです。

たまたま袖(そで)触れ合う縁(えん)に

感動するのです。

「群れない」

という矜持の下で

そういう人と人のつながりがあるということに

今まで気づいていなかった。

未体験だった。

考えもしなかったし、

知らなかった…

しかし、

現にあると体で気付けた、

知る喜びを、今、手にしたと感じます。

これは、

何気ないようですけど、

文化的には

時代を画するような

大きな一歩ではないかと思います。



※ なお、曲を

you-tubeに投稿した人のコメントと、

紹介してあった歌詞を

最後になりましたが、転載しておきます。

――


一部の人間達の目先の経済ではなく、本気でこの国の今と未来を想っている、そんな大多数の私達一般国民の為の完成バージョンです!!



作詞・作曲・演奏 : Shyonen

写真 : ROBO




《歌詞》

ある日突然、自由の名の元で

競争のスタート台に立たされた

堕ちて行く者たちは

誰からも目を背けられる

ひとりの老人が今夜も

自販機のコインを

探し彷徨っている

孤独と貧困の中で 

誰にも看取られず

最後の時を迎えてゆく。




経済の為にと 

リフレインされる言葉 

嘘さえも正当化するように

願いの叫びは蓋をされ 

闇の中葬り去られてゆく

街のあちこちで

希望と絆の文字のポスターが

虚しくじっと俺を見つめている


 I FIND OUT!!!

 あの日 俺の中で 

 何かが崩れ去った

 心に刻つける

 もう二度と騙されはしない!!




真実は悲劇の事故で明かされた

巨額の富を生み出すシステムの裏側で

大量の札束が今日も流れる

経済の名の元では 

命という言葉はタブー

公園では無邪気な子供達の声が

今日も響き渡る 

いったい あの子達 

どんな夢を描いているのだろう


 I FIND OUT!!!

 あの日 俺の中で

 何かが目覚めた

 心に刻みつける

 もう二度と騙されはしない!!




誰も居ない深夜の路地を 

ひとり家に向かう
  
今夜も疲れ果てて眠りに落ちる

インターネットと新聞の言葉の断片が 

今夜もまた夢を塗りつぶすだろう

きっと明日も 

今日と変わらぬ競争が始まるだろう 

でも、ひとつだけ 

ひとつだけ 

絶対誰にも渡せないものがある


 I FIND OUT!!!

 あの日俺の中で

 何かが目覚めた

 心に刻みつける

 もう二度と諦めはしない!!
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