
転載元:DAMER@damer_999 さんのツイート〔17:45 - 2015年8月17日 〕
カマキリの頭の
3つの丸を組み合わせたような形と
右側の八方に開いた
草のイメージが
佐野氏の東山動植物園のシンボルマーク

に似てなくもないな
と思いました。
芸術って、
ある意味、自然にあるものの
模倣と思います。
たとえば、
「空を飛びたい」
という夢は、
鳥を模倣するところから始まったでしょ?
佐野氏と佐野氏を批判する
勢力との間にある
共通項は、
この自然への畏敬の念のなさですね。
オリジナルを誇るのは、
ある種、自然にたいする人間の傲慢と思います。
では、お前は、佐野氏の
真似しんぼを許すのかと言われれば、
NOです。
なぜ、
NOなのか――。
それは、佐野氏の仕事は
芸術ではないからです。
「ロゴ」とは、
要するに日本語で言えば、
「商標」でしょ。
登記登録の対象になるものだから、
個別性がないと
困るのです。
権利の対象であるから
オリジナリティを要するのです。
佐野氏の話を聞いていて謙虚さがないな
と感じるのは、その点です。
ところで、
「芸術にはオリジナリティは不要ではないか」
と問いかけた芸術作品があります。
結構、
知らない人がいそうなので、
紹介します。
デュシャンの『泉』です。

見ての通り、ただの便器です。
この便器を「泉」となづけ美術館に展示したのが
マルセル・デュシャンだったわけです。
1917年の作品ですが、着想が全然、古びてないでしょ?
真実を射抜いているからでしょう。
「(チェコ好き)の日記」
というサイト記事
「 マルセル・デュシャンの便器が変えたもの 」
で解説されていますから、
ご覧になられたらいいと思います。
☆ 記事URL:http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2014/04/08/113225
さて、
僕がこの作品を見て
芸術性とオリジナリティとの
関係を考え出したのは、
ある事件がきっかけでした。
お袋が
僕の油断から
脱水症状に陥らせたときです。
病院と自宅との
往復で、
心和んだ音楽がありました。
「ゲド戦記」
というアニメの主題歌で
「テルーの唄」
と名付けられていた曲です。
☆ you-tube音楽サイトURL:https://www.youtube.com/watch?v=sKB33MoR8ac
この曲がマスコミに
パクリではないかと指摘する人がいたようです。
誰の作品を盗んだかと
言うと、
萩原朔太郎の「こころ」という詩です。
こんな詩です。
――
「こころ」
(サイト「純情小曲集」からの転載です。*http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1788_18740.html)
こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。
こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。
こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。
――
萩原朔太郎は、
僕の好きな詩人ですが、
「パクリ」疑惑で
権利が守られたと喜ぶ人じゃない
と思いました。
萩原朔太郎が芸術家だとしたなら、
「テルーの唄」を作詞した
宮崎吾朗氏の作品の
芸術性を否定できますか。
否定できないんじゃないでしょうか。
僕にしてみれば
病院通いの心をなぞるような歌詞に仕上げてくれているのは、
宮崎氏なのであって、
萩原朔太郎ではありません。
ファン心理として、
宮崎氏を守りたいですし、
実際、作品として訴えかけてくるものが別物ならば、
テーマが同じであっても
パクリではないと思います。
丁度、マルセル・デュシャンが
便器を美術館に
展示した瞬間、それが便器であるのを止めたのと同じです。
すなわち、
このパクリは許されるというのが
僕の辿りついた結論でした。
さて、
話を佐野氏の作品に戻します。
冒頭、紹介した画像のカマキリと草から
動植物園のシンボルマーク

(http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/02_events/02_01events/pdf/brand_concept.pdf)
ができたと言うなら、
文句なしに
商標登録は有効です。
しかし、
出来上がったシンボルマークの内、
右側の
植物をイメージさせる方が
コスタリカ国立博物館のサイトのロゴ

(http://www.museocostarica.go.cr/)と
一緒だと言います。
それを立証するヤフーニュースもあります。
「佐野研二郎さんのトレース疑惑を検証してみる」
というタイトルの下、
解説されてます。
☆ 記事URL:http://bylines.news.yahoo.co.jp/kandatoshiaki/20150815-00048517/
寸分違わないとのことです。
また、佐野氏は、
職員に罪を被せ逃げ切るつもりですかね。
デザインに
芸術性が全くないとは言いませんが、
「似てて何が悪い」
と言うところまで命が新たに吹き込まれるところまで
行ってないと感じます。
商標の作成者は、
芸術家と異なってオリジナリティが命です。
潔く撤退された方が傷口は、
浅く済みます。
「デザインの仕入元」と囁かれるPinterestを使っていることが判明するや、
速攻でアカウント削除するような真似はやめてもらいたいです
(netgeek@netgeek_0915 さんのツイート〔14:11 - 2015年8月17日 〕)。
それに追い詰める方も
パクリ、パクリと鬼の首を取ったように
言うのも可笑しいです。
文化は、
人類の共有財産です。
そちらの方にも配慮すべきと思います。
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