のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

在宅看護に向かって

2010年01月19日 03時02分54秒 | Weblog
入院のとき、

主治医から胃ろうの施術の説明を受けました。

胃ろうとは、簡単に言うと、腹部の穴を開けたところに差し込み

患者に胃から直接、栄養摂取させる器具のことです。

ただし、そこまでの施術をする必要がないということも、

個人的見解として先生は述べられておられました。

次の如しです。

「胃カメラ、飲んだことあります?

苦しかったでしょ。

あれを飲ませ、内側から胃壁を観察しながら

腹の外側から胃カメラの位置を探り

胃に一番近いところを見つけ

穴を開けるんです。

必要なのは、カンですね。

そりゃ、リスクを伴いますよ~」ということでした。

こうも言われました。

「もう、90歳まで生きられたのです。

天寿を全うしたと思って黙って見送られた方がいいのではないですか。

それとも、死ぬ前に痛い思いさせてやりますか?

これで施術すると言えば、鬼、悪魔と言われかねない・・・

しかし、ずっとお袋の横顔を眺めながら

このままでは済ませられない、という思いが勝ちました。

だって、もし、胃ろうの施術をしないとすると、

目の前で母親が飢えて死ぬのを黙って眺めてなければならないのです。

自分の命に代えても助けてやりたいと思う

そんな気持ちを押し殺しながら、

親の飢えている姿をじっと見つめ続けるような器用な真似はできそうにありません。

昨日、18日、月曜日に姉夫婦が見舞いに訪れました。

僕がお袋の病状と今後のことを話すと、

「どうせいっちゅうねん?」

と、義兄がいきり立ち始めました。

「胃ろうは、ダメ。

親の飢えるのは見てられんでは、

どうしようもないやん」ということでした。

「答えは出てる。医者の言うことは無視しろっちゅうことや」

と僕が言葉を返すや、感に堪えませんという顔をして

義兄は席を立ちました。

恐らく、

点滴だけで栄養補給として十分ではないか、という考えなのでしょう。

しかし、それでは不十分なわけです。

胃ろうの施術をしてもらって、足らなければ点滴です。

逆はありえません。

そこが分かりづらかったということでしょうか。

仕方ない、孤軍奮闘で頑張るしかないと諦めていたところ

思わぬ援軍が現れました。

看護婦さんです。

僕の立ち居振る舞いを見ていて、

この人なら大丈夫という手ごたえを感じられたようです。

僕に代わって、胃ろうの施術をする方向で

主治医に直談判して下さいました。

先生曰く、この施術をして最も問題なのは、後の介護の仕方、処置なんですわ。

最後は医者任せ
みたいなご家族さんは

必ずこの処置に失敗します。
お勧めしなかったのは、
そのためなんですわ
云々。

正月にした義兄との話を思い出しました。

希望がかなってうれしい半面、

自分の全てが試されるようで不安です。

しかし、もう後には引けません。

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