のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

さしも草

2008年02月09日 18時13分16秒 | Weblog
珍しく大阪で大雪だ。

(なんかしよう・・・)

正月みたいなので、部屋で百人一首を読む。51番目のが目に止まった。

「かくとだに えやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを」

というものだった。

「かくとだに」や「えやは」という語句が意味不明だったということの外、「さしも

草」が何ナノかにも興味を抱いた。歌の概略は、こうだ。

【通釈】これ程あなたをお慕いしていると、そのことだけでも打ち明けたいのですが、どうして言うことなどできましょう。伊吹山の「さしも草」ではないけれど、さしも――それ程だとは知らないでしょう、艾(もぐさ)のようにじりじりと燃える私の思いを。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html

(ふむふむ。。。こいつ、もてないな!)というのが第一印象。

もてる男が、自分の恋心を、もぐさの熱さに譬えるかと思ったわけだ。しかし、一説

によると、この歌の作者が、かの光源氏のモデルという。その名も、藤原実方朝臣と

いう由緒あるお公家様だ。

なるほど、そう思って上の歌を読み返してみると、ユーモア満載。

「あちちっ、ひぃー、あっちっち、アチィヨ~」

渋みのある顔も歪めば、子供のようだ。

(恋は、こうでなくっちゃ♪)

ただ、この人の生涯、結構、悲惨だ。

同僚(藤原行成)と喧嘩し、左遷された。上司(一条天皇)の前でご乱行召されたか

らだ。しかし、喧嘩の内容は、「このヤロ、このヤロ」と言いながら、行成殿の冠を

足蹴にしたという他愛ないものだ。左遷の後、落馬により死亡。あっけなく死ん

で、京都の町で夜な夜な怨霊として出没したと噂された。

(あんた、怨霊になった気持ち、よ~く分かるぞ)

何だかとても可哀そうな人だ。もし友人なら、どう忠告してたろう? 見てるしかな

いのだろうか。やっぱり喧嘩は、止めてやるべきだな。

「仲ようしたら? 冠、さす(し)も、させん(左遷)もないで」と。

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