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のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

武田 邦彦・ 中部大学教授 / 「『娯楽』で人を死に追いやる人たち 」

2014年09月10日 02時45分57秒 | マスコミ論


相手が弱けりゃ、

暴力。

強ければ、

勇気の発露です。

そういう庶民の分別感覚って、

大雑把ですが、

大切と思います。

在日朝鮮人に対して

「死ね」

というのは、

ヘイトスピーチです。

他方、安倍某に対して

「辞職しろ」

というのは、

表現の自由の問題です。

もし、

安倍某が

政治家を辞めるぐらいなら

死ぬ

という精神構造の持ち主だったとします。

そうしますと、

彼に

「政治家、止めろ。辞職しろ」

と迫ることは、

「死ね」

ということにも等しい注文になります。

しかし、たとえ

「死ね」と言うに等しい注文であっても、

ヘイトスピーチとは呼びません。

なぜって、彼は、

総理大臣として絶大な権力を持っているからです。

この理屈は、

国との関係でも言えます。

「韓国・中国は、○○だ」

と言えば、

ファシストの暴言として批難されるものであったとします。

○○に入る同じ言葉をもって、

「米国は、○○だ」

と述べても表現の自由の範疇です。

まさに理屈は、

上の場合に同じです。

日本は、

かつてアジアの盟主として

韓国・中国の人々に加害行為をしました。

すなわち、軍国主義者にとって、

昔取った杵柄なんです。

国民意識の底に、

苦しめたイメージがまだ残っていて、

だからその分、気軽に侮辱しえるということでしょう。

対するに、米国は、

日本に原子爆弾という

ホロコーストをやってくれた国です。

つまり、かの国は、

批判するのに腰が引けてしまう程度に

強大な軍事国家だと

体に刻み込まれてしまっているわけですな。

その差が

骨身にしみて分った敗戦の事実が背景にあるがため、

前者に対しては、

レイシズムとして

良識が

問われる侮辱的な言辞がであっても、

後者に対する関係では、

内容の客観性が問われるだけなんです。

歴史修正主義

という立場に立つ人は

「日本は悪くない」

と言いたいがために、

淡々と

歴史の事実を語る人をもって

自虐史観

などといって非難します。

ここで、

ちょっと考えて欲しいことがあります。

サド侯爵って、

ご存知ですよね。

この人に、

確か「悪徳の栄え」という著作があります。

自分のした悪逆が

淡々とした筆致で描かれています。

遠い昔に読んだ本ですが、

たとえば、

○月○日、死亡者、○○人などと、

自分が殺害した

女性に関する淡々とした事実の記録に驚きました。

こういう記述の仕方こそが

彼の残虐性を浮かび上がらせていると思います。

しかし、上記の「日本は悪くない」説の人にあっては、

残虐性でなく、

そこに

自虐性を認めるのでなきゃ一貫性に欠けることになります。

しかし、この見方、

どう考えたって可笑しいでしょ?

そう思いませんか。

僕は、

サド侯爵のような人に

自虐性を

認める結果となる不自然な考察は

する気はないです。

思うに、

自らの残虐性を恥じて

日の光に

晒そうとするぐらいの人は、

サド侯爵に負けない

客観性をもって叙述するべきと思います。

自国に都合の悪い事実も

隠すことなく

赤裸々に述べることによって、

同じ過ちを避けられるのではないでしょうか。

このような記録行為に対し、

‟自虐”という

逆のレッテル貼りをしたがる

人にとって、

「謝罪」は

プライドという名の

自分についての思い込みを傷つける行為なのでしょう。

だから

それらを悪だと

思っているのですね。

僕は、

そんなことを言う人に対して、

「人間を舐めるな」

と言いたい。

謝罪をするのは、

自分の殻を

打ち破るためです。

プライドにこだわる人が

重んじているのは

面子と思います。

誇り高き人が

保つべきこだわりではありません。

武田氏の話で

「倫理とは、

相手のルール」(註)という言葉が飛び出してきます。

僕なりに

言い換えると、

これは、

「相手に即す」

ということですな。

すなわち、

自分の土俵でなく、相手の土俵に立ったうえで

説得力ある言葉でない限り、

普遍性を持たないということです。

これは、なかなか示唆に富むいい学びになりました

(ビデオタイム、3:00~参照)。

最後に、もう一度、

三つの正義(約束ごと)につき、

まとめておきます。

(1)所属組織内での掟

(2)法律

(3)倫理



註)「倫」の意味:侖リンは「あつめるしるし+冊」の会意文字で、短冊タンザクの竹札を集めてきちんと整理するさまを示す。同類のものが順序よく並ぶの意を含む。倫は「人+音符侖」で、きちんと並んだ人間の間がらの意(サイト「(株)達人の森」の記事「漢字(倫)の意味」参照
http://meimeimember.tatujin.org/i/kanjidic.html?input%5Bid%5D=18&input%5Bkanji%5D=%2597%25CF&MEIMEIID=mvbuuiqs)。

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