のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「差別」に関して、熱が出そうなツイート。「差別者差別」の特徴は、「自分の気に入らない人を排除しようとする」ことだって。それ、自分たちのことだろ

2018年07月27日 15時59分24秒 | 日本文化論
この記事は、

前記事「『差別する人への差別』? この反論は、初めの「差別する」の「差別」は、言葉通りでも、文末の「差別」は、「批判」の言い換えに過ぎないじゃないか」

と同じ論点だ。

☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/a4a8529d9c861c2c89baad8c083438d2

ただ、「差別する人を差別しない人に変える」などと

捻った理屈が組み込まれてあり、

より欺瞞的だ。

それで、

もう一度、取り上げ直す。

僕がタイトルで

「「差別」に関して、熱が出そうなツイート」と銘打ったのは、

モトケン@motoken_tw氏のツイート。

それには、こうある。

――「差別をなくす」ということは「差別者を排除する」ということではなくて、「差別する人を差別しない人に変える」ということなんだけど、すぐ排除したがる人が多いね。それは差別者差別。差別者を排除しようとする人は、差別以外の理由でも自分の気に入らない人を排除しようとする。〔8:54 - 2018年6月8日 〕――

ついで、

モトケン氏は、

こう自己評価する。

――このツイート(や関連する私のツイート)に対して、詭弁だ、屁理屈だ、ゆるゆるだ、とか言う人が何人もいるのだが、どこがどう詭弁や屁理屈なのかを論理的に批判したツイートが見当たらない。詭弁や屁理屈で批判してくるツイートはいくつかあったような気がするがw〔10:50 - 2018年7月27日 〕――


人を差別すれば、

批判される。

モトケンというこの人物は、

その批判をもって「排除しようとする」という

被害妄想をもって受け止めているため、

批判の文言は、

すべて歪んで見えるようだ。

だとすれば、

「排除」云々はモトケン自身の問題ではないか、

よく考えてみたらよい。

差別言辞は、

人を傷つけるためになされる非行だよ。

もし、目の前に

「あの、おっさん、殺してやる」

と出刃包丁を持っている者がいたら、その包丁を取り上げないか。

そのときに、説得だけで効果があるか。

顔には笑顔が必要だろう。

しかし、その上に、腕力の限りを尽くして、

包丁を取り上げる。

すなわち、

「差別する人を差別しない人に変える」ために

その人物を確保、

拘束し包丁を奪い取られる。

しかし、警察の介入があれば、それに止まらず、逮捕され、留置場にぶち込まれ、

「市民社会から排除された」状況が実現するわけだ。

しかし、それでも言えることは、

「殺人者(差別する人)を殺人(差別)しない人に変える」

という目的を有するということだ。

すなわち、

「差別者を排除する」ことは、

「差別する人を差別しない人に変える」という目的と

何ら矛盾するものではないのだ。

被害妄想もいい加減にしてもらいたいと思う。

たとえば、

横恋慕する者は、

恋人たちから排除される。

そうして、横恋慕しない人に変わることが期待される。

そこに矛盾があるわけではないよ。

それと同じだ、理解できるだろ? やはり理解できないかな。


<追記>

ANTONIO@antonio_comuさんが

こんなツイート。

――杉田水脈や長谷川豊に共通する最も醜悪な点は、自分の考え方、思想性とマッチしないものを自由自在に「サヨク」と括って、否定と攻撃の対象とすることであり、自身とその取り巻きの無知、無理解さには決して向き合おうとしないところにある。思想で耳を塞いだヤツ程やっかいなものはない。〔17:56 - 2018年7月26日〕――


このツイートにある

「自分の考え方、思想性とマッチしないものを自由自在に「サヨク」と括って、否定と攻撃の対象とする」

という件は、

モトケン@motoken_twが言い募る

――『差別者差別をする者』は、

『差別以外の理由でも自分の気に入らない人を排除しようとする』――

という特徴そのものだ。

すなわち、実は、杉田水脈や長谷川豊に代表される自分たちネトウヨにこそ、

言い募っている特徴がよく当てはまる。

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