のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

ケインズの考え方

2009年01月04日 21時24分23秒 | Weblog
ケインズにとっての安定性を考えるには、その反対の状態を知ればよいでしょう。

彼にあって、安定性を破る危機は、二つの形態をとります。一つは、バブルです。

価格の異常な高騰がそれです。

もう一つは、パニックです。こちらは、価格の異常な急落です。彼によると、

このような価格の乱高下が生じる理由は、

投機という資本主義が内包するシステムに由来します。古典派経済学の立場では、

投機こそが社会の安定要因です。

合理的に考えれば、物が安いとき、需要が高まり、価格を高騰させます。逆に、

高いときは、買い控えが生じ、価格を引き下げるはずです。

しかし、利ザヤを稼ぐという転売を前提にした取引ではそうはならないです。

ケインズは、「美人投票」を例にとり、その間の事情を説明します。

「美人投票」は女性差別だという側面があります。この際、視聴者参加型の

紅白歌合戦で、考えて見ましょう。

もし、麻生太郎が定額給付金を「勝った組に投票した者で山分けさせる」

と提案したとします。野党も同調しました!

となったら、文句なしの衆院通過。紅白歌合戦は、

八方万々歳の国民の一大イベントになったことでしょう。

しかし、何しろ山分けする金額は、2兆円です。

歌好きも歌のことなどそっちのけで、予想にのめりこむでしょうね。

正月を笑って過ごせるかどうか、ここ一番の瀬戸際です。誰もが真剣です。

さて、そこで、あなたは一票をどちらに投じるか考えて見て下さい。

白組ですか。それとも紅組ですか。

白組は、過去2年連続で優勝を果たしています。3度目の正直と考えるか

2度あることは3度あると考えるべきか・・・

体重が5キロぐらい痩せるほど考え込んでしまうのではないでしょうか。

ケインズは、言います。

この場合の判断基準は、「みんなの予想」だ、と。

つまりですね、自分がどちらを応援してるかなど、判断の埒外なのです。

自分をこのように棚上げをしないと、給付金を頂く可能性が下がります。

そんなわけで、「みんながこれを選ぶ」という予想をするから

「みんながこれを選んでしまう」という結果になります。

このような結果となる思考の回路を、仮に棚上げ論法と呼んでおきましょうか。

そして、金融の専門家がしのぎを削れば削るほど、この傾向が加速されます。

政治の世界がこの様相に似てますね。

「今は、安部だ」となると、いち早く、参上仕り、

病気となったら、さっさと見切りをつけ、「福田」に乗り換える。

しかし、「“後期”医療に人気がない」という風評が立てば、

飛こうきの宙返り、手のひらを返したように引きずり降ろしてしまう。

これぞ、ほんとの降旗だぞって!

「あっ、そう」と言ったかどうかは定かではありませんが、

「麻生」を今は担いでいる、、、

こういう政治家の姿が投機のあり様を如実に教えてくれています。

要するに、バブルもパニックも党の動きとしてみれば不合理であっても、

個々の政治家の判断としては、合理的だということです。

田中角栄が竹下に反旗を翻され、傷ついただろうな、

という同情論を先の記事に書きましたね。

しかし、角栄亡き後、角栄贔屓を貫いた政治家たちがいました。

二階堂派です。

この派に属する人は、自民党内にあって、とことんいびり抜かれたそうです。

海千山千の人間に寄ってたかっていびられるのですよ。

傷つけられる度合いは、半端ではないでしょう。

小沢一郎だって、竹下派であればこそ、一本立ちできたのだと思います。

仮に、僕が自民党の議員だったとして、

二階堂派に所属するいう選択肢を迫られたとします。

角栄に同情する気持ちがあったとしても、

同派で頑張る決意をするかは、はなはだ疑問です。

よほどの恩義を角栄から受けてない限り、誰しも二階堂派は敬遠するでしょう。

政治の世界がこのように、先物市場のようになってるのは、

「選挙の顔」をみんなで担ぎ出せば、選挙で勝つ可能性が高い。

そして、実際、選挙で勝てるんなら、

政策という小難しいことを考える手間を省けるという、

効率の面からの利便性があります。

しかし、そうだとすると、情けない…。

党としての存続意義を自ら否定しています。

勝ち馬に乗るという発想が、個々の政治家の判断としては合理的というのは、

ミクロで見れば、という限りです。

党として見た場合は、どこまでも不合理なのです。

マクロ的観点からは、そう断言出来ます。

ケインズが経済学で言ってることを、

政治の世界に持ち込むと、案外に常識的な提案です。

すなわち、マクロ的に見て、党としての安定性を求めるなら、

国民の世論調査に振り回されて、

自分たちのリーダーを選んだりしてはいけないということ。

それに替え、手間暇を惜しまないで(つまり、効率性を重んぜず)、政策について

の議論を積み重ね、説明責任を果たせ、ということになると思います。

自分たちのリーダーを選ぶ戦いは、それからでよいわけです。

今の自民党が病的なのは、まず「選挙の顔」ありき、だからです。

単純明快でしょう。そう思いませんか?

ところで、経済の世界で、ケインズの考え方がすんなり受け入れられないのは、

古典派経済学が優勢だからです。

ここでも、ミクロ的に考えれば、古典派経済学にも合理的な面はあります。

しかし、マクロ的な視点を用意できないなら、もはや学問ではないと思います。

古典派学派がモデルとする市場は、果物市場です。

確かに果物市場なら、「神の見えざる手」も有効に機能するのでしょう。

しかし、金融業が幅を利かすのは、先物市場です。

果物市場で通用する見方でも、先物市場では役に立ちません。

それが分かってなお、

前者の市場に妥当する思考法に固執するのは何故でしょう。

問題の所在点をはぐらかすのが目的でしょうか。

賢明な者が少ない方が儲かるようではありますが・・・

学者もパトロンがいて、愚か者を養成してこその権威だ、

というような信仰があるのかもしれません。

また、果物市場なら、ミクロの合理性は、そのままマクロの合理性です。

その点、説明がストレートです。

しかし、どんなメリットがあるにせよ、

現実の世界で破綻している考え方にしがみつくのは

学問をする者の良心に反するのでは、と思います。

古典派経済学の後ろ盾を得て、金融工学の専門家たちが編み出した

究極のテクニックを紹介して、どれほど非合理的なものを、

“安全”と錯覚させられ、どれだけ沢山な人が犠牲になったかを示し、

金融工学のいい加減さを知る手がかりにしたいと思います。

金融工学の専門家たちが編み出した究極のテクニックとは、

クレディット・デフォールト・スワップ(CDS)という金融派生商品の発明です。

この商品は、証券発行者の倒産リスクだけを切り離し証券化したものです。

究極のリスク回避手段として、

絶頂期には42兆ドルの規模にまで膨れ上がったそうです。

ちなみに、世界全体のGDPが55兆ドルだそうですから、金額は、

大体、それの匹敵しているわけです。

しかし、このCDSをだれが保有しているかと言えば、

ほとんどは金融機関が持っていたということらしいです。

岩井氏が調べたところ、

わずか3%だけ金融機関以外の者の手に渡っていたそうです。

こんな風に金融機関以外の者の保有率が少ないのは、何を意味するのでしょう。

証券から抽出されたリスクを、金融機関の手元にとどめ置き

お互いにリスクを引き受け合っていたということです。

この“お互い”という点が味噌です。

岩井氏が「落語の花見酒にすぎなかった」と言っておられますが、

まさに、そうなんです。金融機関がリスクを引き受け合っていたんでは、

引き受けた効果が見かけ倒しに終わってしまいます。

膨張した信用が収縮したとき、損失額が200万円だったとしましょう。

A銀行は、損失100万円の範囲でB銀行に対し補てんする。そしてB銀行は、

A銀行に対し、残りの損失を補てんする。合計200万円の損失額につき、

これで補てんが完了したことになります。

結果どうなるかと言うと、

誰も実質上のリスクの引受をしなかったのと同じ状態になります。

それを承知して、このような証券を乱発していたのは、

信用という濡れ手で粟の旨味を

金融市場全体で享受するためだったと言うしかなさそうです。

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4 コメント

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解り易かったです。 (obichan)
2009-01-05 14:38:18
しかし、その時、強力体制な企業なり、団体なりが仲間意識で協力しあうというのは、人間の本能のような気もします。
大昔からその考えはあったようで、繰り返されてきたのではないでしょうか?
誰でも強い傘下に入ってしまえば、我が身我が身内かわいさに、流れてしまうのかも知れません。
私は国単位でも同じようなことが起こってきたと思っています。
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☆obichanさんへ (忠太)
2009-01-05 22:04:18
コメント、ありがとうございます。
人間には群れる習性があるということですね。
それはそうと思います。
国単位で考えても同じ、という場面もあることでしょう。国家を運営するのが人間である限り、自分とのアナロジーで考えるしかないですものね。
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バンチャ━━(。・∀・)ノ゛━━☆ (とうふ)
2009-01-07 00:14:24
総理って難しいですね。
みんなで「麻生麻生」って押しといて
その後は、足をひっぱる・・と言うか
粗探し・・みたいな・・
こんなんじゃ誰がなっても同じと国民に思われても
仕方がありません。。
でもこう言っている私も
周囲の意見に左右されているのかもしれませんね。
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☆とうふさんへ (忠太)
2009-01-07 18:50:58
周囲の意見に左右されて生きているのは僕もです。でも、次の世代のことを考えると、お父さん気分になっちゃって、カッコいいところを見せたいと思います。
それでいいような気がします。
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