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のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

My Boom

2008年01月12日 23時28分21秒 | Weblog
「腹を立てる前に、顔を立てること」

今の僕の心に起こっている密かなブームです。

上のフレーズ、実は、借用。福井県若狭町の保健センターで、認知症サポーター養

成講座の講師を務める高島久美子さんの言葉です。

理解が深まれば、介護負担が軽減します。理解が深まるよう、上手に接してあげた

い。

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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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認知症サポーター (obichan)
2008-01-13 19:30:58
「腹を立てる前に、顔を立てる」うまい表現ですね。

福井県では7人に1人が認知症サポーターらしいですね。
しかも、中学生から教育の現場で意識を高めているらしいとのこと。
町ぐるみで意識改革をされているとは凄いです。
日本全国で起こればもっと、介護に関する理解が
深まるだろうに・・と思います。
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Unknown (ぐれ)
2008-01-15 22:59:17
本当にすばらしい言葉ですね。


成長とは能力を獲得していくこと、老化とは失っていくことでしょうか。

子供だって褒めて自信をつけてやらなければ、うまく成長できない。

その逆の状況にある御年寄は、ただでさえ自尊心を傷つけられやすいのだから、温かい心配りが必要ですよね。難しいけれど。。



ぐれの親が介護を必要とする年齢になるのは、まだだいぶ先だと思いますが、忘れないでおきたい言葉です。

勉強になりました。
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地域での取り組み (忠太)
2008-01-16 10:27:08
obichanさん

何時も優しいコメント有難うございます。

地域の活性化として、文化の発信地になっていくとい

う考え方があると思います。心強い話ですね。それに

してもよくご存知なんですね。また、いろいろ教えて

ください。
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人間の成長 (忠太)
2008-01-16 10:44:55
真の成長は、老いてから始まると思います。

子供時代は、知識を獲得し、大人になってそれを活用

する。老いて獲得するのは、英知です。手に入れるも

のが違う。その意味で、老いてから、若者には未知な

成長が始まる。だから、顔を立てるのです。英知をも

のにしていく瞬間に立ち会いたいからです。

記憶力の衰えている人から学ぶものがないというのは

少し傲慢に過ぎます。

親の介護なさり始めたら、身にしみて感じると思いま

す。この人の子供に生まれてきてよかったなぁ、と。

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Unknown (ぐれ)
2008-01-18 00:34:01
そうですね。老化と並行して、人間は成熟していけるものですね。
そこに老人の叡知も生まれますね。。。
大変失礼いたしました。

老いて心身が衰えていくなかで、尊敬し直したくなる・・・忠太さんのお母様は、本当に立派な方なのですね。
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叡知ある老人になれなくても・・ (ぐれ)
2008-01-18 00:38:19
さっきの話の続き。ちょっと余計だけど、いいですか?

ぐれが老いたときのことを考えると、老化を埋め合わせるように成熟していけるのか……自信がありません。
ぐれの両親も、忠太さんのお母様のように年取ってはいけないかもしれません。

それでもいいと思ってもらいたい。自分も、それでいいんだと思いたい。
みんながみんな、尊敬できる老人にはなれないと思うんです。



話は変わりますけど・・・知的障害児にも、いろんな人がいますよね。

よく「この子達は心がきれいだ、感受性が豊かだ、目が輝いている」と言う人がいます。子供たちの絵を展示して、健常者には描けない世界だと褒めちぎったり。

ぐれは疑問を感じるんです。
脳のどこに障害があるかで、一人一人の状態は違うでしょ? 障害のせいで感情の動きが乏しい子もいるわけです。
みんな目が輝いているわけじゃない。前頭葉に障害があって、積極性を持てない子もいますよね?

「知能は低いかもしれないけど、そのかわり…」って彼らを弁護する言葉を聞くと、「そのかわり」を持てない障害児には、人間として価値がないの?と言いたくなります。
極端な話、生まれつき脳が無い子もいるんだから。長くは生きられませんけど。


ぐれは、年取って脳細胞が萎縮しても、たぶん「そのかわり」の叡知は獲得できません。ただの困り者のワガママ老人になりそうです。
それでもいいと、誰かに言ってほしいなぁ。。。


気に障ったら、ごめんなさい。m(_ _)m

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その代わり・・・ (忠太)
2008-01-18 11:18:50
ワガママ老人になってやる!

ということでいいんではないですか?

僕の最近の悩みは、年老いたとき、誰が自分の面倒を

見てくれるのかということです。もし、世話になる幸

運にめぐまれたとき、遠慮しないでおこうということ

だけです。

迷惑はかけたくない。しかし、かけてしまうもので

す。それでいいんじゃないですか?

知的障害の話がでましたので、それにも言及させてい

ただきます。

「レインマン」のようにサヴァンと呼ばれる特殊な

能力のある人はいいという憧れは、少なくとも、障害

者の家族葉持たないのではないでしょうか。

「天才」に対する恐れと同根な、そういう障害者の特

別扱いは、何も知らないからこそできるのです。言う

なれば、偏見ですよ!

愛情あればこそ、「成長」という人間の飛躍が見れま

す。これは、空論ではないですよ。

ボタンをかけるのを覚えるのに、10年の歳月を要す

るとして、恥ずべきですか。

「能率」を考えると、そんな作業に10年もかけて

関わりたくない、と考えるのが普通でしょう。しか

し、過程が大事なのですよ。ボタンのかけ方を教える

ことで、介護者は、金銭的評価の不能な感動を山ほど

も手にいれられることでしょう。ただ、その感動とい

う宝を手にするかは、ひとえに介護する側の責任で

す。だから、威張っていていいのです、知識に代わる

知恵が目の前にチラチラしていなくて。

お互い、年老いたら威張っておりましょう。

ひょいと、わが人生を振り返って、感ずるものがあれ

ば、きっとそれが知恵だと僕は思います。






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