追悼,はだしのゲン,中沢啓治さん_20130212
■資料
「<訃報> 中沢啓治さん73歳=漫画「はだしのゲン」の作者」
毎日新聞 2012年12月25日09時29分
(「みんな楽しくHappy♡がいい♪」に記録あったものの転載です/リンク)
広島原爆で被爆した体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」の作者、
中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんが19日、肺がんのため広島市内の病院で亡くなったことが分かった。
73歳。葬儀は近親者で営まれた。
広島市の神崎国民学校(現・市立神崎小学校)1年の時、
爆心から1.2キロにあった学校の前で被爆した。
塀の陰にいたため、奇跡的に助かった。
父と姉、弟は自宅の下敷きになって被爆死した。
中学を卒業して看板屋で働いた後、漫画家になるため1961年に上京した。
当初は原爆と無関係の作品を描いていたが、被爆者だった母親が66年に死去し、
火葬した際に骨が粉々で原形をとどめなかったことをきっかけに、
原爆への怒りを込めた作品「黒い雨にうたれて」を68年に発表。
73年、週刊少年ジャンプ(集英社)で「はだしのゲン」の連載を始め、87年に完結させた。
単行本は1000万部を超え、十数カ国で翻訳出版されたほか、映画にもなった。
プロ野球・広島東洋カープの大ファンで、「広島カープ誕生物語」を描き上げたのを最後に
09年、網膜症と白内障による視力低下を理由に漫画家を引退した。
その後は精力的に講演などで被爆体験を語ってきたが、
10年秋に肺がんで入院し、以降は入退院を繰り返していた。
11年8月、自身の被爆体験を語ったドキュメンタリー映画
「はだしのゲンが見たヒロシマ」が公開された。
毎年8月6日にある広島市の平和記念式典は「つらい体験を思い出す」と長年避けてきたが、
11年の式典に初めて出席した。
02年、第14回谷本清平和賞を受賞。
毎日新聞が06年10月から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも、
反核・平和への思いを繰り返し語っていた。
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