
先日の6/10(土)の第3弾です。
白岩神社からさらに北上し、下上津役の熊野神社を目指します。
下上津役地区はベッドタウン化に伴い幹線道路の整備と区画整理が進み、新興の街として生まれ変わって昔ながらの田園風景がだんだん見られなくなっています。
途中「愛宕神社」バス停が目に入りさらに10数m行くと鳥居がありましたので
道路わきに車を停め、急ぎ参拝してきました。

愛宕神社
【祭神】軻遇突智命(かぐつちのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
思兼命 (おもいかねのみこと)
【勧請】蔓延元年(1860)四月
【社殿改築】昭和56年(1981)四月
軻遇突智命は火をおさめ給う神です。
災厄を防ぎ家内や社会の無事安全を祈る神です。
勝軍地蔵に因んで必勝を祈願するのにも最適の神様です。
猿田彦命は道祖神として進路を導き庚申興玉神として
近隣和楽を見守る神様です。
思兼命は神々の頭脳を代表する神で思慮と知恵の神です。
知恵の増進学業成就を司る神様です。
(境内石碑より抜粋)

目指す熊野神社は北西に数百mの近いところにあります。
この社の近くは道路も狭い割りに交通量も多く駐車する場所が見つからず
右往左往してやっと何とか停めることができました。

熊野神社(八幡西区下上津役)
【祭神】伊弉册尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
【御由緒】
熊野神社は全国に数千社をかぞえる。いずれも紀伊の国の熊野神社(熊野三山、熊野三所権現とも言う)を総本社とする。
当神社の草創も熊野信奉の歴史的背景と無縁ではなく、たまたま室町時代の中期に麻生氏が竹の尾城に居を移し、その守神としてこの地に熊野権現を祭祀したのがそもそもの起源で、その後幾多の変遷を経て今日に至ったものである。
(境内石碑より抜粋)
この神社のシンボルは3本足のカラス、ヤタガラスです。

続いて上上津役の熊野神社
国道211号線「上の原2」交差点から山手に入り「馬場バス停」から左折(さらに山手に向かう)250mほどの突き当たりにあります。
一の鳥居をくぐり、参道を上ると正面に昭和52年7月御造営の立派な社殿が見えます。

【祭神】伊弉册尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
【御由緒】
神功皇后三韓を征し給ひ帰朝の途次、下上津役の里御お迎にて二皇子の謀叛の事を聞かせ給ひ応神天皇を紀伊国に潜行させ給ふにあたり御躬親らその地に祭壇を設けて、熊野三山の大神を祭り、幼帝の安泰を祈り給ひし斉庭に社殿を建立せしを創始とす。
天文年中竹尾城主麻生左衛門太夫鎭里此地に社殿を造営し遷座し奉る。
今の社殿は寛永十七年井上周防之房祈願のため頭山勘左衛門正利に再建させしものなり。
昭和四十一年十月 熊野神社奉賛会
(境内石碑より抜粋)
注:天文年中=(1532~1554)、寛永十七年=(1640)

現在の社殿は昭和52年7月御造営(神殿幣殿の改築、拝殿の移築等)により竣工したものです。

白岩神社からさらに北上し、下上津役の熊野神社を目指します。
下上津役地区はベッドタウン化に伴い幹線道路の整備と区画整理が進み、新興の街として生まれ変わって昔ながらの田園風景がだんだん見られなくなっています。
途中「愛宕神社」バス停が目に入りさらに10数m行くと鳥居がありましたので
道路わきに車を停め、急ぎ参拝してきました。

愛宕神社
【祭神】軻遇突智命(かぐつちのみこと)
猿田彦命 (さるたひこのみこと)
思兼命 (おもいかねのみこと)
【勧請】蔓延元年(1860)四月
【社殿改築】昭和56年(1981)四月
軻遇突智命は火をおさめ給う神です。
災厄を防ぎ家内や社会の無事安全を祈る神です。
勝軍地蔵に因んで必勝を祈願するのにも最適の神様です。
猿田彦命は道祖神として進路を導き庚申興玉神として
近隣和楽を見守る神様です。
思兼命は神々の頭脳を代表する神で思慮と知恵の神です。
知恵の増進学業成就を司る神様です。
(境内石碑より抜粋)

目指す熊野神社は北西に数百mの近いところにあります。
この社の近くは道路も狭い割りに交通量も多く駐車する場所が見つからず
右往左往してやっと何とか停めることができました。

熊野神社(八幡西区下上津役)
【祭神】伊弉册尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
【御由緒】
熊野神社は全国に数千社をかぞえる。いずれも紀伊の国の熊野神社(熊野三山、熊野三所権現とも言う)を総本社とする。
当神社の草創も熊野信奉の歴史的背景と無縁ではなく、たまたま室町時代の中期に麻生氏が竹の尾城に居を移し、その守神としてこの地に熊野権現を祭祀したのがそもそもの起源で、その後幾多の変遷を経て今日に至ったものである。
(境内石碑より抜粋)
この神社のシンボルは3本足のカラス、ヤタガラスです。


続いて上上津役の熊野神社
国道211号線「上の原2」交差点から山手に入り「馬場バス停」から左折(さらに山手に向かう)250mほどの突き当たりにあります。
一の鳥居をくぐり、参道を上ると正面に昭和52年7月御造営の立派な社殿が見えます。

【祭神】伊弉册尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかおのみこと)
【御由緒】
神功皇后三韓を征し給ひ帰朝の途次、下上津役の里御お迎にて二皇子の謀叛の事を聞かせ給ひ応神天皇を紀伊国に潜行させ給ふにあたり御躬親らその地に祭壇を設けて、熊野三山の大神を祭り、幼帝の安泰を祈り給ひし斉庭に社殿を建立せしを創始とす。
天文年中竹尾城主麻生左衛門太夫鎭里此地に社殿を造営し遷座し奉る。
今の社殿は寛永十七年井上周防之房祈願のため頭山勘左衛門正利に再建させしものなり。
昭和四十一年十月 熊野神社奉賛会
(境内石碑より抜粋)
注:天文年中=(1532~1554)、寛永十七年=(1640)


現在の社殿は昭和52年7月御造営(神殿幣殿の改築、拝殿の移築等)により竣工したものです。

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