国造神社(熊本県阿蘇市)をフォトアルバム(九州、沖縄)に掲載しました。
国造神社(こくぞうじんじゃ)
<通称>北宮さま(きたみやさま)
式内社 肥後國阿蘇郡 國造神社
旧県社
【鎮座地】〒869-2601 熊本県阿蘇市一の宮町手野2110 旧肥後国 阿蘇郡
【御祭神】
(四座)
一ノ宮 国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
(官社)神武天皇の御孫神建磐龍命(阿蘇神社主神)の御子神で阿蘇国造大神と称す。
二ノ宮 雨宮媛命(あめみやのひめのみこと)
一ノ宮の妃神、蒲池媛神で海神の女神とも云う。
三ノ宮 高橋神(たかはしのかみ)
一ノ宮の第二御子
四ノ宮 火宮神(ひのみやがみ)(日宮神)
一ノ宮の第三御子
【由緒・沿革】
御主神国造速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一の御子神にして、延喜の制式内宮(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり。父神健磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆庶を愛撫し、人徳を施された。
この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定められ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に、二、〇〇〇年以上の歴史ある古いお社である。
此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬も亦篤く、中世以降に於いても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造営のものである。
古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴を祈り、雨を乞ひ、又害虫消除に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折に祈願参拝も多く、近年には阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼を渇仰する故に外ならない。
明治七年十月には県社に列せられた。
(社務所案内板より)
参道入口の鳥居
阿蘇宮地駅の交差点から北へ約5km、阿蘇神社の北東にあり『北宮』とも言われます。
境内入口の橋
境内に通じる階段手前には小川が流れており橋が架かっています。
拝殿
階段を登るとみごとな彫刻が施された拝殿が目に飛び込んできます。
本殿
寛文十二年、細川五代綱利公の御造営、本殿にも匠の技が随所に見られます。
白蛇の桧
白蛇が宿り、時々現れて見たものは運が開けると伝えられています。
手野のスギ
元国指定天然記念物 大正13年12月09日指定
平成12年09月06日解除
高さ約48m、幹囲約11m(昭和45年測定)
このスギは、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命の御手植の神杉と伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」、「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に、天保2年(1831)に植えたものといわれ、「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁孝天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良等懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿になった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。
平成17年11月 阿蘇市教育委員会
(案内板より)
鯰宮
祭神 大鯰の霊
由緒
往古 阿蘇大神 国土草創、阿蘇谷の湖水干拓の時 湖の精と称する大鯰居て涸死す、因とその霊を祀られた。
古来より癜瘋肌(ナマズハダ)に祈りて霊験あらたかであると云う。
祭典 三月二十八日
(案内板より)
社殿全景
境内から参道
右に駐車場と社務所、無人でしたが中には自由に入れます、由緒、水神木(樹齢800年といわれ、当神社第2位の神木であったが、平成3年9月の台風19号により倒木した)などが展示されています。
国造神社(こくぞうじんじゃ)
<通称>北宮さま(きたみやさま)
式内社 肥後國阿蘇郡 國造神社
旧県社
【鎮座地】〒869-2601 熊本県阿蘇市一の宮町手野2110 旧肥後国 阿蘇郡
【御祭神】
(四座)
一ノ宮 国造速瓶玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
(官社)神武天皇の御孫神建磐龍命(阿蘇神社主神)の御子神で阿蘇国造大神と称す。
二ノ宮 雨宮媛命(あめみやのひめのみこと)
一ノ宮の妃神、蒲池媛神で海神の女神とも云う。
三ノ宮 高橋神(たかはしのかみ)
一ノ宮の第二御子
四ノ宮 火宮神(ひのみやがみ)(日宮神)
一ノ宮の第三御子
【由緒・沿革】
御主神国造速瓶玉命(はやみかたまのみこと)は、肥後一ノ宮阿蘇神社の主神健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一の御子神にして、延喜の制式内宮(官社)に列せられて、阿蘇神社と同格の御社であり。父神健磐龍命の聖業を嗣がれ、阿蘇の開拓に水利にと国土開発の大業をなされ、庶民に農耕を教え畜産に植林に万幸を与え衆庶を愛撫し、人徳を施された。
この御聖徳と御功業により、第十代崇神天皇の朝に、阿蘇初代国造と定められ、同十八年(紀元五八一年)御子惟人命(彦御子神)に勅せられて、阿蘇国造の神として、御居住の地(現在地)を卜して鎮祭せられ、茲に、二、〇〇〇年以上の歴史ある古いお社である。
此の間上歴朝の尊崇はもとより、下万民の敬仰する所で、国司、藩司の崇敬も亦篤く、中世以降に於いても肥後の大守細川氏も阿蘇神社と共に造営に、祭典に、代々藩費を供進せられ、現在の社殿は寛文十二年、細川五代綱利公の御造営のものである。
古来、農神としての信仰厚く、五穀豊穣に晴を祈り、雨を乞ひ、又害虫消除に頗る霊験新かであり、近郷近在より其の時折に祈願参拝も多く、近年には阿蘇の古名社として、遠来よりの参拝も沢になりゆき之大神の偉大なる御恩頼を渇仰する故に外ならない。
明治七年十月には県社に列せられた。
(社務所案内板より)
参道入口の鳥居
阿蘇宮地駅の交差点から北へ約5km、阿蘇神社の北東にあり『北宮』とも言われます。
境内入口の橋
境内に通じる階段手前には小川が流れており橋が架かっています。
拝殿
階段を登るとみごとな彫刻が施された拝殿が目に飛び込んできます。
本殿
寛文十二年、細川五代綱利公の御造営、本殿にも匠の技が随所に見られます。
白蛇の桧
白蛇が宿り、時々現れて見たものは運が開けると伝えられています。
手野のスギ
元国指定天然記念物 大正13年12月09日指定
平成12年09月06日解除
高さ約48m、幹囲約11m(昭和45年測定)
このスギは、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命の御手植の神杉と伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」、「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に、天保2年(1831)に植えたものといわれ、「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁孝天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良等懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿になった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。
平成17年11月 阿蘇市教育委員会
(案内板より)
鯰宮
祭神 大鯰の霊
由緒
往古 阿蘇大神 国土草創、阿蘇谷の湖水干拓の時 湖の精と称する大鯰居て涸死す、因とその霊を祀られた。
古来より癜瘋肌(ナマズハダ)に祈りて霊験あらたかであると云う。
祭典 三月二十八日
(案内板より)
社殿全景
境内から参道
右に駐車場と社務所、無人でしたが中には自由に入れます、由緒、水神木(樹齢800年といわれ、当神社第2位の神木であったが、平成3年9月の台風19号により倒木した)などが展示されています。
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