さきごろ倒壊した御神木の大銀杏で話題となった鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)を掲載しました。
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
【鎮座地】〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31 旧相模国 鎌倉郡
【御祭神】應神天皇 比賣神 神功皇后
【例祭】 9月15日 例祭
【旧社格等】国幣中社(現別表神社)
相模國一の宮
【御由緒】
御祭神
応神天皇 比売神 神功皇后
由緒
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮をお示巳りしたのがはじめです。
その後、源頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の地に遷し祀り、建久2年(1191)には上下両宮の現在の姿に整えました。
鶴岡八幡宮は関東の守護、国家鎮護の神社となり、全国から崇敬を集め、各地の村々に八幡宮(八幡神社)が氏神様として、お祀りされるようになりました。
現在の建物は、文政11年(1828)造営で流権現造りの代表的な江戸建築です。若宮(下宮)は、寛永元年(1624)に修復したもので、ともに国の重要文化財に指定されています。
境内には源平池をはじめ、静御前で知られる舞殿、樹齢約1,000年の御神木の大銀杏が800年を越える長い歴史を語りかけてくれるかのようです。表参道である段葛、若宮大路から眺める八幡宮は、漆の朱と山の緑と空の青、更に遠近を考慮した色調と高低とを見事に演出させており、その美しさには驚嘆するばかりです。
(神社パンフレット「ご参拝のしおり」より)
三浦半島のつけね西に位置する鎌倉市にあります。JR横須賀線鎌倉駅から北北西におよそ1km、鎌倉市街地を望む高台に鎮座しています。
太鼓橋三の鳥居のくぐって直ぐ中央にあります。
右にある源氏池と左の平家池をつなぐ川に架かっています。昭和2年の建設で「かながわの橋100選」に選ばれています。
参道から社殿全景
太鼓橋の両側の橋を渡り石畳の参道を進むと東西に延びる流鏑馬馬場、正面一段上に荘厳華麗な舞殿からさらに上に本宮楼門です。
手水舎
例大祭期間中の9月16日に流鏑馬神事が執り行われる馬場となる道路を横断し一段上がると直ぐ左に、瓦葺朱塗り豪華な造りの手水舎があります。
舞殿
義経一行の奥州平泉までの逃避行の途中、鎌倉方に捕まった静御前が義経を慕い、舞を舞ったところに建ち、下拝殿とも称し、神事・結婚式等が行われます。
本宮への石段右下に授与所がありご朱印はここで頂けます。さらに右に行くと仁徳天皇、履仲天皇、仲姫命、磐之媛命をお祀りした国重要文化財の若宮(下宮)があります。
石段から本宮楼門
本宮(上宮)への61段の石段の左にあった(本年3月10日午前4時15分ごろ強風のため倒壊)御神木の大銀杏(幹回り6.8m、高さ約30mで樹齢は1000年)です。1219年三代将軍源実朝は、この木の陰に隠れていた甥の公暁に暗殺されたと伝えられています。
本宮楼門
奥州を平定した源頼義・義家父子は鎌倉を根拠地とし、康平6年(1063)由比郷鶴岡の地にひそかに石清水八幡宮を勧請したのが創始とされています。源頼朝により現在地に遷座され、建久2年(1191)には上下両宮の現在の姿に整えられています。
現在の建物は、文政11年(1828)造営で流権現造りの代表的な江戸建築です。若宮(下宮)は、寛永元年(1624)に修復したもので、ともに国の重要文化財に指定されています。
本宮楼門の扁額
シンプルに「八幡宮」とありますが、八の字は2羽の鳩が仲よく向かい合う姿になっています。鎌倉名物「鳩サブレ」はこれに由来するとのことです。
本宮楼門から拝殿楼門を入ると直ぐに拝殿です。
回廊、宝物殿などに囲まれて本殿は全く見られません。
宝物殿楼門左は宝物殿です。
八幡宮の神宝類(神輿、武具、工芸品、考古資料等)を展示しています。(拝観料:大人200円・小人100円)
丸山稲荷社本宮左、参拝者駐車場から階段を上がった直ぐのところにあります。
社殿は八幡宮では一番古い室町期の建物(国重要文化財)で、111月8日の火焚祭では、鎌倉神楽が奉奏されます。
当社に到着したのは16時40分頃、駐車場が17時00分に閉まるものと勘違いして、境内社は当社も含め撮影していません。機会があれば再度じっくりと参拝したいと思います。
本宮楼門から鎌倉市街地楼門からは南に一直線に延びる若宮大路から鎌倉市街地を望めます。
石段から舞殿 右は先頃倒壊した大銀杏の新緑です。
現在はこの景色も大分変わっているものと思われます。
舞殿から三の鳥居舞殿の中央に三の鳥居が見られます。
日本でも有数の観光地とあって多くの外国人の観光客を見かけました。
境内の参道から三の鳥居
参道両脇の源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(3)と死(4)を表すと云われています。源氏池の島には頼朝公の旗上げにちなんだ旗上弁天社があります。
段葛JR横須賀線鎌倉駅そばの二の鳥居から北に600mほど直進する参道です。
頼朝の妻、政子の安産を祈願して造られた参道で、葛石外側には桜とつつじの並木が続いています。
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
【鎮座地】〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31 旧相模国 鎌倉郡
【御祭神】應神天皇 比賣神 神功皇后
【例祭】 9月15日 例祭
【旧社格等】国幣中社(現別表神社)
相模國一の宮
【御由緒】
御祭神
応神天皇 比売神 神功皇后
由緒
康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に源氏の氏神として八幡宮をお示巳りしたのがはじめです。
その後、源頼朝公が鎌倉に入るや直ちに現在の地に遷し祀り、建久2年(1191)には上下両宮の現在の姿に整えました。
鶴岡八幡宮は関東の守護、国家鎮護の神社となり、全国から崇敬を集め、各地の村々に八幡宮(八幡神社)が氏神様として、お祀りされるようになりました。
現在の建物は、文政11年(1828)造営で流権現造りの代表的な江戸建築です。若宮(下宮)は、寛永元年(1624)に修復したもので、ともに国の重要文化財に指定されています。
境内には源平池をはじめ、静御前で知られる舞殿、樹齢約1,000年の御神木の大銀杏が800年を越える長い歴史を語りかけてくれるかのようです。表参道である段葛、若宮大路から眺める八幡宮は、漆の朱と山の緑と空の青、更に遠近を考慮した色調と高低とを見事に演出させており、その美しさには驚嘆するばかりです。
(神社パンフレット「ご参拝のしおり」より)
三浦半島のつけね西に位置する鎌倉市にあります。JR横須賀線鎌倉駅から北北西におよそ1km、鎌倉市街地を望む高台に鎮座しています。
太鼓橋三の鳥居のくぐって直ぐ中央にあります。
右にある源氏池と左の平家池をつなぐ川に架かっています。昭和2年の建設で「かながわの橋100選」に選ばれています。
参道から社殿全景
太鼓橋の両側の橋を渡り石畳の参道を進むと東西に延びる流鏑馬馬場、正面一段上に荘厳華麗な舞殿からさらに上に本宮楼門です。
手水舎
例大祭期間中の9月16日に流鏑馬神事が執り行われる馬場となる道路を横断し一段上がると直ぐ左に、瓦葺朱塗り豪華な造りの手水舎があります。
舞殿
義経一行の奥州平泉までの逃避行の途中、鎌倉方に捕まった静御前が義経を慕い、舞を舞ったところに建ち、下拝殿とも称し、神事・結婚式等が行われます。
本宮への石段右下に授与所がありご朱印はここで頂けます。さらに右に行くと仁徳天皇、履仲天皇、仲姫命、磐之媛命をお祀りした国重要文化財の若宮(下宮)があります。
石段から本宮楼門
本宮(上宮)への61段の石段の左にあった(本年3月10日午前4時15分ごろ強風のため倒壊)御神木の大銀杏(幹回り6.8m、高さ約30mで樹齢は1000年)です。1219年三代将軍源実朝は、この木の陰に隠れていた甥の公暁に暗殺されたと伝えられています。
本宮楼門
奥州を平定した源頼義・義家父子は鎌倉を根拠地とし、康平6年(1063)由比郷鶴岡の地にひそかに石清水八幡宮を勧請したのが創始とされています。源頼朝により現在地に遷座され、建久2年(1191)には上下両宮の現在の姿に整えられています。
現在の建物は、文政11年(1828)造営で流権現造りの代表的な江戸建築です。若宮(下宮)は、寛永元年(1624)に修復したもので、ともに国の重要文化財に指定されています。
本宮楼門の扁額
シンプルに「八幡宮」とありますが、八の字は2羽の鳩が仲よく向かい合う姿になっています。鎌倉名物「鳩サブレ」はこれに由来するとのことです。
本宮楼門から拝殿楼門を入ると直ぐに拝殿です。
回廊、宝物殿などに囲まれて本殿は全く見られません。
宝物殿楼門左は宝物殿です。
八幡宮の神宝類(神輿、武具、工芸品、考古資料等)を展示しています。(拝観料:大人200円・小人100円)
丸山稲荷社本宮左、参拝者駐車場から階段を上がった直ぐのところにあります。
社殿は八幡宮では一番古い室町期の建物(国重要文化財)で、111月8日の火焚祭では、鎌倉神楽が奉奏されます。
当社に到着したのは16時40分頃、駐車場が17時00分に閉まるものと勘違いして、境内社は当社も含め撮影していません。機会があれば再度じっくりと参拝したいと思います。
本宮楼門から鎌倉市街地楼門からは南に一直線に延びる若宮大路から鎌倉市街地を望めます。
石段から舞殿 右は先頃倒壊した大銀杏の新緑です。
現在はこの景色も大分変わっているものと思われます。
舞殿から三の鳥居舞殿の中央に三の鳥居が見られます。
日本でも有数の観光地とあって多くの外国人の観光客を見かけました。
境内の参道から三の鳥居
参道両脇の源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(3)と死(4)を表すと云われています。源氏池の島には頼朝公の旗上げにちなんだ旗上弁天社があります。
段葛JR横須賀線鎌倉駅そばの二の鳥居から北に600mほど直進する参道です。
頼朝の妻、政子の安産を祈願して造られた参道で、葛石外側には桜とつつじの並木が続いています。
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