12/23(木)、天皇誕生日です。天皇陛下は77歳の喜寿を迎えられ、皇居では2万6千人の方がお祝いに訪れたとのことです。
久しぶりに神社参拝を掲載します。初代神武天皇の曽祖父天孫瓊々杵尊が日向の高千穂の峰に降臨の際、道案内をした猿田彦大神を祀る猿田彦神社です。
当社社頭および境内には狛犬ならぬ赤いほおかむりををしたユーモラスな狛猿?が見られます。猿は日吉神社の神使として多く見られます。当社御祭神の猿田彦大神は鼻は八咫、背長は七尺、と大男で天狗の原型になったとも云われています。
猿との共通点は見つかりません。猿との結びつきについて不思議に思い調べてみました。
8世紀後半の平安時代の初期の頃より宮廷の貴族の間で始まった庚申信仰が、その後、猿を神使とする日吉山王信仰と結びつき、さらに江戸時代に入り猿田彦信仰と習合し、庶民にも広まった。とあり、単に「サル」の共通から結びついたようです。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
【鎮座地】〒814-0013 福岡県福岡市早良区藤崎1丁目1-41 旧筑前国 早良郡
【御祭神】猿田彦大神
【例祭】 1月初庚申の日 初庚申祭
【旧社格等】無格社
【御由緒】
猿田彦神社由緒
古文献によりますと八世紀後半の平安初期の頃より宮廷の貴族の間に庚申信仰が起こり鎌倉、南北朝、室町時代を経て徳川時代に至り庶民にも広く庚申待信仰が伝わり永い年月を経て今日に至っております。
当社の勧請年月は明詳らかではありませんが参道入り口の両側に残された鳥居の石柱に正徳三年(西暦一七一三年)正月二十一日再建の刻字が見え(現在は風化して歳正月二十一日のみ)るそれ以前の昔から既に社が存在して奉斎されていたことは明らかなことです。
大祭日は新年になって初の庚申の日と定められ藤崎の庚申様としてその啓きの神、幸せの神としてその御神徳は広く庶民の信仰を集め当日は猿面を受け、家の出入口に掛けて諸々の魔性を祓い幸せを招くと信じられこの旧い習わしが今日まで伝承され多数の方の参拝が見られる次第です。又近年はお啓きの神の御神徳を広義に解され進学祈願の参拝も多く見られるようになってまいりました。
御参拝の皆様がこのような諸々の御神徳を授かられ幸多い人生をお送りくださいますよう心より祈念致しております。
(平成祭データ)
福岡市の中心、天神から西におよそ3km、早良区藤崎にあります。市営地下鉄空港線藤崎駅、早良区役所の直ぐ前の道路に面してひっそりと鎮座しています。
鳥居の扁額
鳥居には紀元二千五百六十六年、明治三十九年五月再建とあります。扁額は猿田彦神社と刻まれています。
狛猿鳥居の前に一対の狛犬ならぬ狛猿が迎えてくれます。
平安時代から始まった庚申信仰が、その後猿を神使とする日吉山王信仰と結びつき、さらに猿田彦信仰と習合し民間に広まりました。
手水舎鳥居をくぐると直ぐ右にあります。
参道から拝殿
参道中間に注連柱があります。境内はこじんまりとしていますが、綺麗に整頓整備されています。
拝殿注連柱をくぐると正面に鈴緒が5本と規模の割に多く架けられた拝殿です。
社殿全景現在の社殿は平成3年11月吉日再建されました。
拝殿から本殿まで一体となった神明造りを基調としたコンパクトな構造です。
本殿
創建年代は不詳、御祭神は天孫降臨の際、瓊々杵尊の道案内をした猿田彦大神です。
当社の例大祭はその年最初の庚申の日に行われる初庚申大祭。毎年、朝5時ごろから猿のお面を求めて厄除け祈願の人々が集まり大行列ができテレビでも放映されます。
庚申塚本殿裏にあります。
左の大きいものには庚申天と刻まれています。右の小さいのには猿田彦大神とあります。
猿田彦大明神社殿右に並んであります。
真ん中のものには猿田彦大明神とあります。
狛猿境内右端(西側)に2体並んで奉納されています。赤いほおかむりがユーモラスです。
御神木 社殿右にあります。
昭和53年4月1日福岡市指定の保存樹のえのきです。注連縄が巻かれていますので御神木と思われます。
拝殿から参道参道は平成3年12月改修工事が完成しました。
庚申の日の案内社頭には庚申の日の案内があります。
来年(平成23年)の初庚申祭は1月5日(水曜日)となっています。当日は早朝から縁起物の猿のお面を求める多くの参拝客で賑わいます。
久しぶりに神社参拝を掲載します。初代神武天皇の曽祖父天孫瓊々杵尊が日向の高千穂の峰に降臨の際、道案内をした猿田彦大神を祀る猿田彦神社です。
当社社頭および境内には狛犬ならぬ赤いほおかむりををしたユーモラスな狛猿?が見られます。猿は日吉神社の神使として多く見られます。当社御祭神の猿田彦大神は鼻は八咫、背長は七尺、と大男で天狗の原型になったとも云われています。
猿との共通点は見つかりません。猿との結びつきについて不思議に思い調べてみました。
8世紀後半の平安時代の初期の頃より宮廷の貴族の間で始まった庚申信仰が、その後、猿を神使とする日吉山王信仰と結びつき、さらに江戸時代に入り猿田彦信仰と習合し、庶民にも広まった。とあり、単に「サル」の共通から結びついたようです。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
【鎮座地】〒814-0013 福岡県福岡市早良区藤崎1丁目1-41 旧筑前国 早良郡
【御祭神】猿田彦大神
【例祭】 1月初庚申の日 初庚申祭
【旧社格等】無格社
【御由緒】
猿田彦神社由緒
古文献によりますと八世紀後半の平安初期の頃より宮廷の貴族の間に庚申信仰が起こり鎌倉、南北朝、室町時代を経て徳川時代に至り庶民にも広く庚申待信仰が伝わり永い年月を経て今日に至っております。
当社の勧請年月は明詳らかではありませんが参道入り口の両側に残された鳥居の石柱に正徳三年(西暦一七一三年)正月二十一日再建の刻字が見え(現在は風化して歳正月二十一日のみ)るそれ以前の昔から既に社が存在して奉斎されていたことは明らかなことです。
大祭日は新年になって初の庚申の日と定められ藤崎の庚申様としてその啓きの神、幸せの神としてその御神徳は広く庶民の信仰を集め当日は猿面を受け、家の出入口に掛けて諸々の魔性を祓い幸せを招くと信じられこの旧い習わしが今日まで伝承され多数の方の参拝が見られる次第です。又近年はお啓きの神の御神徳を広義に解され進学祈願の参拝も多く見られるようになってまいりました。
御参拝の皆様がこのような諸々の御神徳を授かられ幸多い人生をお送りくださいますよう心より祈念致しております。
(平成祭データ)
福岡市の中心、天神から西におよそ3km、早良区藤崎にあります。市営地下鉄空港線藤崎駅、早良区役所の直ぐ前の道路に面してひっそりと鎮座しています。
鳥居の扁額
鳥居には紀元二千五百六十六年、明治三十九年五月再建とあります。扁額は猿田彦神社と刻まれています。
狛猿鳥居の前に一対の狛犬ならぬ狛猿が迎えてくれます。
平安時代から始まった庚申信仰が、その後猿を神使とする日吉山王信仰と結びつき、さらに猿田彦信仰と習合し民間に広まりました。
手水舎鳥居をくぐると直ぐ右にあります。
参道から拝殿
参道中間に注連柱があります。境内はこじんまりとしていますが、綺麗に整頓整備されています。
拝殿注連柱をくぐると正面に鈴緒が5本と規模の割に多く架けられた拝殿です。
社殿全景現在の社殿は平成3年11月吉日再建されました。
拝殿から本殿まで一体となった神明造りを基調としたコンパクトな構造です。
本殿
創建年代は不詳、御祭神は天孫降臨の際、瓊々杵尊の道案内をした猿田彦大神です。
当社の例大祭はその年最初の庚申の日に行われる初庚申大祭。毎年、朝5時ごろから猿のお面を求めて厄除け祈願の人々が集まり大行列ができテレビでも放映されます。
庚申塚本殿裏にあります。
左の大きいものには庚申天と刻まれています。右の小さいのには猿田彦大神とあります。
猿田彦大明神社殿右に並んであります。
真ん中のものには猿田彦大明神とあります。
狛猿境内右端(西側)に2体並んで奉納されています。赤いほおかむりがユーモラスです。
御神木 社殿右にあります。
昭和53年4月1日福岡市指定の保存樹のえのきです。注連縄が巻かれていますので御神木と思われます。
拝殿から参道参道は平成3年12月改修工事が完成しました。
庚申の日の案内社頭には庚申の日の案内があります。
来年(平成23年)の初庚申祭は1月5日(水曜日)となっています。当日は早朝から縁起物の猿のお面を求める多くの参拝客で賑わいます。
私がここに初めて訪れた時は、野鳥参拝でしたので、神社がアップされていると「あっ!間違えた!」と思ってしまうほど、私も鳥さんモードになっていました。
猿田彦大神は、我が家のマンションの入り口道路側で、十一面観音様と一緒に祭られています。そして、散歩をすれば数え切れないほどの猿田彦大神の庚申塚?があります。そして先日、福岡市一ノ宮の住吉神社に参拝に行き、時間の都合で本殿と猿田彦大神だけを参拝してきたばかりなので、ビックリ!感動です。
そして、狛猿…。
しばらく 頭から離れそうにありません。おかしすぎて…