須佐神社(島根県出雲市)を掲載しました。
須佐神社(すさじんじゃ)
<通称>須佐大宮(すさおおみや)
【鎮座地】〒693-0503 島根県出雲市佐田町須佐730 旧出雲国 飯石郡
【御祭神】須佐之男命 (配祀)稻田比賣命 脚摩槌命 手摩槌命
【例祭】 8月14日 切明神事祭 8月15日 切明神事祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
式内社 出雲國飯石郡 湏佐神社
【御由緒】
須佐神社(須佐大宮)の御由緒
本殿 大社造(県文化財)
御祭神 須佐之男命
配祀 稲田比賣命 脚摩槌命 手摩槌命
須佐神社は須佐之男命を主神とし稲田比賣命、足摩槌命、手摩槌命を合わせて御祀してあります。
出雲風土記飯石郡の條に「須佐郷、郡家の正西一十九里、神須佐能袁命詔り給はく、此の國は小き國なれども、國處なり、故我が御名は木石に着けじと詔り給いて即ち己命の御魂を鎮め置き給いし處なり。
然して即て大須佐田小須佐田を定め給いき。故、須佐という。即ち正倉あり」と載せてあります。即ち御神徳の宏大なる須佐大神が自ら御魂を鎮め置き給いし、いとも尊き御社であります。須佐之男命の御社としては他に其の比儔を見ざる處であります。
須佐は須佐之男命の御終焉の地御鎮魂の聖地御名代としての霊地であり、須佐之男命の御本宮として古より須佐大宮、十三所大明神、出雲大宮と稱え朝廷をはじめ國守藩主、武将の崇敬は申すに及ばず世の人々の崇敬あつい神社であります。
主な祭日
一月一日 歳旦祭
二月節分 節分祭 悪病退散厄除「茅ノ輪」授与
四月十八日 例大祭 朝覲祭(神幸)を奉仕
四月十九日 古傅祭(この祭)陵王舞、百手神事を奉仕
八月十五日 切明神事祭念佛踊(県無形文化財)奉納
十月十七日 秋祭り
須佐神社 宮内区
(境内由緒掲示板より)
島根県の東部に位置し、出雲神話の舞台の出雲市にあります。市の中心部JR山陰線「出雲市駅」から南に直線でおよそ15kmの佐田町須佐、県道39号線と須佐川に挟まれた森に鎮座しています。
参道から隋神門
鳥居をくぐると直ぐ右に自然石の趣のある手水舎に続いて亀石があります。左側、須佐川(素鵝川)沿いには巨木が林立し、参道両側の灯篭から隋神門です。
隋神門鳥居から拝殿への参道のほぼ中間点にあります。
門守神の豊磐間戸神、櫛磐間戸神の二神が祀られています。
隋神門から拝殿
隋神門を入ると左右両側に東・西末社、正面に拝殿、その右には授与所・社務所があります。
境内末社・東末社隋神門入ってすぐ参道右にあります。
御祭神は天穗日命 天忍穗耳命 天津彦根命 活津彦根命が合祀されています。
境内末社・西末社隋神門入ってすぐ参道左にあります。
御祭神は熊野杼樟日命 市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命が合祀されています。
拝殿
当地は「出雲国風土記」に「須佐之男命が自分の名から大須佐田、小須佐田を定め、自らの御魂を鎮めたと」あり、須佐之男命の終焉の地とされています。
正面三間、側面三間、入母屋造り平入のかなりの規模の拝殿です。頭上に大きな注連縄が見られます。
本殿
社名の変遷、延喜式では「須佐神社」、中世には「十三所大明神」近世には「須佐大宮」と呼ばれ、明治4年(1871)須佐神社と制定されています。
現在の本殿は神社大辞典には文久元年(1861)藩主松平定安の建造とあります。出雲大社本殿と同じ建築様式の2間四方大社造、屋根は切妻栩葺(きりつまとちぶき)で島根県重要文化財として指定されています。
本殿の鬼板本殿そばに展示されています。
屋根に乗ってると大きさを感じませんが、真近で見るとその大きさを実感できます。
社殿全景
写真右から、玉垣の中に本殿、幣殿、舞殿、垣の外立ち木に続いて拝殿です。
境内末社・稲荷神社本殿右にあります。
御祭神は稲荷神・稻倉魂神、狛狐は数対ありますが稲荷神社特有の主の鳥居は見当たりません。
御神木の大杉本殿奥にあります。
周囲:約6m、樹高:30m余、樹齢:1200年以上の巨木です。その昔、加賀藩から帆柱にと所望がありましたが、時の須佐国造はこれを断ったと伝えられています。
境内末社・三穂神社本殿奥の鬱蒼とした杉などの杜の中にあります。
「下社」、「下(しも)の御前さん」と呼ばれ、御祭神は大国主神のお后、三穂津比売命と、その御子事代主命の二柱です。
三穂神社から本殿
写真ではISO感度を上げて撮影してますので明るく見えますが、実際はもっとうす暗い森で独特の雰囲気があります。
塩井隋神門入ってすぐ、境内右奥(東側)にあります。
須佐神社の七不思議
塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。
この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは潮の干満と関係があるという。満潮の時には付近の地面に潮の花をふく。浴用、飲用に用いれば万病に効果があり、産湯に少し用いれば幼児が健康に育つという。わずかに塩味を感じる。(社記・島根の名水百選)
(現地案内板より)
須佐の七不思議
塩 井 門を入って右側の小池須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという。
日本海満潮の時は附近の地面に潮の花をふく。
内用浴用すればほとんどの万病に効果あり。
落葉槇 槇(柏)の葉に松葉で通した孔がある 槇の喬木。
そのかみ、稲田姫が、誕生山でお産をなさった時、産具を柏葉で包み松の葉で
綴じ流瀬川にお流しになり、今の処にとどまり生育して現在にいたる。
影無桜 昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いた時、知々井の某に夢想があり「須佐大官
の境内に大きい桜が繁茂して、それが隠岐へ影をさす為に耕作が出来ぬから、早
く須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい」 とのことであった。そこで桜を切
ったので隠岐で耕作が出来るようになったと伝えられる
星 滑 須佐の中山の嶺のあたりに岩石が露出して谷の様になっている所に白い斑点が
ある。それが豊年なれば光澤があって大きく見え、凶年なれば光澤がなく小さく
見える。
雨 壷 神社の西を流れる素鵝川に添って、約一粁下流の田の中に大きな岩があり、其の
中に径二尺(六十七センチ)余りの芝生がある。これを犯せば須佐大神の怒りに
ふれて洪水があり、犯した者の家には不吉なことがあるという。
相生松 男松女松が一本のとなっている。今は枯れてなし。
神 馬 神社に奉献された神馬はどんな毛色の馬でも後必ず白馬に変り吉凶又種々の異状
をよく予知せりという。
今はなし。
(境内案内板より)
摂社・天照神社
道路を挟んで境内入口の鳥居の対面(本社と向かい合って)にあります。「上社」、「上(かみ)の御前さん」と云われています。
御祭神は名前のとおり姉君の天照大神、拝殿と大社造の本殿からなる、本格的な構成のお社です。4月18日の例大祭には当社への行幸の神事「朝覲祭」が齋行されます。
須佐神社(すさじんじゃ)
<通称>須佐大宮(すさおおみや)
【鎮座地】〒693-0503 島根県出雲市佐田町須佐730 旧出雲国 飯石郡
【御祭神】須佐之男命 (配祀)稻田比賣命 脚摩槌命 手摩槌命
【例祭】 8月14日 切明神事祭 8月15日 切明神事祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
式内社 出雲國飯石郡 湏佐神社
【御由緒】
須佐神社(須佐大宮)の御由緒
本殿 大社造(県文化財)
御祭神 須佐之男命
配祀 稲田比賣命 脚摩槌命 手摩槌命
須佐神社は須佐之男命を主神とし稲田比賣命、足摩槌命、手摩槌命を合わせて御祀してあります。
出雲風土記飯石郡の條に「須佐郷、郡家の正西一十九里、神須佐能袁命詔り給はく、此の國は小き國なれども、國處なり、故我が御名は木石に着けじと詔り給いて即ち己命の御魂を鎮め置き給いし處なり。
然して即て大須佐田小須佐田を定め給いき。故、須佐という。即ち正倉あり」と載せてあります。即ち御神徳の宏大なる須佐大神が自ら御魂を鎮め置き給いし、いとも尊き御社であります。須佐之男命の御社としては他に其の比儔を見ざる處であります。
須佐は須佐之男命の御終焉の地御鎮魂の聖地御名代としての霊地であり、須佐之男命の御本宮として古より須佐大宮、十三所大明神、出雲大宮と稱え朝廷をはじめ國守藩主、武将の崇敬は申すに及ばず世の人々の崇敬あつい神社であります。
主な祭日
一月一日 歳旦祭
二月節分 節分祭 悪病退散厄除「茅ノ輪」授与
四月十八日 例大祭 朝覲祭(神幸)を奉仕
四月十九日 古傅祭(この祭)陵王舞、百手神事を奉仕
八月十五日 切明神事祭念佛踊(県無形文化財)奉納
十月十七日 秋祭り
須佐神社 宮内区
(境内由緒掲示板より)
島根県の東部に位置し、出雲神話の舞台の出雲市にあります。市の中心部JR山陰線「出雲市駅」から南に直線でおよそ15kmの佐田町須佐、県道39号線と須佐川に挟まれた森に鎮座しています。
参道から隋神門
鳥居をくぐると直ぐ右に自然石の趣のある手水舎に続いて亀石があります。左側、須佐川(素鵝川)沿いには巨木が林立し、参道両側の灯篭から隋神門です。
隋神門鳥居から拝殿への参道のほぼ中間点にあります。
門守神の豊磐間戸神、櫛磐間戸神の二神が祀られています。
隋神門から拝殿
隋神門を入ると左右両側に東・西末社、正面に拝殿、その右には授与所・社務所があります。
境内末社・東末社隋神門入ってすぐ参道右にあります。
御祭神は天穗日命 天忍穗耳命 天津彦根命 活津彦根命が合祀されています。
境内末社・西末社隋神門入ってすぐ参道左にあります。
御祭神は熊野杼樟日命 市杵嶋姫命 田心姫命 湍津姫命が合祀されています。
拝殿
当地は「出雲国風土記」に「須佐之男命が自分の名から大須佐田、小須佐田を定め、自らの御魂を鎮めたと」あり、須佐之男命の終焉の地とされています。
正面三間、側面三間、入母屋造り平入のかなりの規模の拝殿です。頭上に大きな注連縄が見られます。
本殿
社名の変遷、延喜式では「須佐神社」、中世には「十三所大明神」近世には「須佐大宮」と呼ばれ、明治4年(1871)須佐神社と制定されています。
現在の本殿は神社大辞典には文久元年(1861)藩主松平定安の建造とあります。出雲大社本殿と同じ建築様式の2間四方大社造、屋根は切妻栩葺(きりつまとちぶき)で島根県重要文化財として指定されています。
本殿の鬼板本殿そばに展示されています。
屋根に乗ってると大きさを感じませんが、真近で見るとその大きさを実感できます。
社殿全景
写真右から、玉垣の中に本殿、幣殿、舞殿、垣の外立ち木に続いて拝殿です。
境内末社・稲荷神社本殿右にあります。
御祭神は稲荷神・稻倉魂神、狛狐は数対ありますが稲荷神社特有の主の鳥居は見当たりません。
御神木の大杉本殿奥にあります。
周囲:約6m、樹高:30m余、樹齢:1200年以上の巨木です。その昔、加賀藩から帆柱にと所望がありましたが、時の須佐国造はこれを断ったと伝えられています。
境内末社・三穂神社本殿奥の鬱蒼とした杉などの杜の中にあります。
「下社」、「下(しも)の御前さん」と呼ばれ、御祭神は大国主神のお后、三穂津比売命と、その御子事代主命の二柱です。
三穂神社から本殿
写真ではISO感度を上げて撮影してますので明るく見えますが、実際はもっとうす暗い森で独特の雰囲気があります。
塩井隋神門入ってすぐ、境内右奥(東側)にあります。
須佐神社の七不思議
塩井(しおのい)
須佐之男命がこの潮を汲み、この地を清められたという。
この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは潮の干満と関係があるという。満潮の時には付近の地面に潮の花をふく。浴用、飲用に用いれば万病に効果があり、産湯に少し用いれば幼児が健康に育つという。わずかに塩味を感じる。(社記・島根の名水百選)
(現地案内板より)
須佐の七不思議
塩 井 門を入って右側の小池須佐之男命自ら潮を汲み此地を清め給うたという。
日本海満潮の時は附近の地面に潮の花をふく。
内用浴用すればほとんどの万病に効果あり。
落葉槇 槇(柏)の葉に松葉で通した孔がある 槇の喬木。
そのかみ、稲田姫が、誕生山でお産をなさった時、産具を柏葉で包み松の葉で
綴じ流瀬川にお流しになり、今の処にとどまり生育して現在にいたる。
影無桜 昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いた時、知々井の某に夢想があり「須佐大官
の境内に大きい桜が繁茂して、それが隠岐へ影をさす為に耕作が出来ぬから、早
く須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい」 とのことであった。そこで桜を切
ったので隠岐で耕作が出来るようになったと伝えられる
星 滑 須佐の中山の嶺のあたりに岩石が露出して谷の様になっている所に白い斑点が
ある。それが豊年なれば光澤があって大きく見え、凶年なれば光澤がなく小さく
見える。
雨 壷 神社の西を流れる素鵝川に添って、約一粁下流の田の中に大きな岩があり、其の
中に径二尺(六十七センチ)余りの芝生がある。これを犯せば須佐大神の怒りに
ふれて洪水があり、犯した者の家には不吉なことがあるという。
相生松 男松女松が一本のとなっている。今は枯れてなし。
神 馬 神社に奉献された神馬はどんな毛色の馬でも後必ず白馬に変り吉凶又種々の異状
をよく予知せりという。
今はなし。
(境内案内板より)
摂社・天照神社
道路を挟んで境内入口の鳥居の対面(本社と向かい合って)にあります。「上社」、「上(かみ)の御前さん」と云われています。
御祭神は名前のとおり姉君の天照大神、拝殿と大社造の本殿からなる、本格的な構成のお社です。4月18日の例大祭には当社への行幸の神事「朝覲祭」が齋行されます。
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