4/7(金)、先日(4/01)に続いて下関の数社に参拝しました。
先日の「大坪八幡宮」の続きです、、、
「大坪八幡宮」から国道191号線{金比羅交差点」を直進し「彦島八幡宮」にむかいました。
途中の彦島大橋(地図には有料道路とあるが今は無料になっている。)からの海岸の景観は大変すばらしかったです。
彦島八幡宮
「迫町」出口で降り左折、海に向かって数百mで本殿裏側の鳥居に出ました、鳥居の左側の狭い道に入ると右手に西山小学校さらに進むと境内が見え突き当りの広い道路を右折してすぐ正面の鳥居があります。
すぐ前は大きな工場があります。鳥居の奥の立派な楼門とともにこの彦島にこんな大きな工場があることにもびっくりしました。
御由緒
彦島全島ならびに大和町一円の総氏神社である。当八幡宮は平治元年(1159)十月十五日、本当開拓の主祖・河野通次自ら祭主となり宇佐神宮より御祭神を勧請、祭祀なされたのであります。一名灘八幡と言っただけに宮の沖合を通過する船は必ず「半帆」の札をとったと云われる事から造船、漁業関係者の崇敬が厚く、又、安産の神として別名子安八幡と崇められて併せて式神、文化神、生産神として御霊験あらたかな神様であります。尚、秋の例大祭「十月二十一日」には八百四十余年伝来の無形民俗文化財「サイ上リ神事」があり由緒の深さを示しております。
(境内入口案内板より、抜粋)
本殿
随所にみごとな彫刻が施されている、床下基礎部分の組木もすばらしい。
田の首八幡宮
彦島の最南部田の首地区の突端近くに鎮座、すぐ前の対岸は北九州市門司区のJR門司駅付近になります。
境内の裏手は向井小学校に隣接しています。
御由緒
『当社は、下関市彦島田の首町に鎮座しており、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后お祀りし田の首町一円の氏神様であり、明徳2年10月15日、彦島八幡宮より貴船山に勧請されて以来、地域住民の厚い崇敬に護られてきましたが時代の変遷により、貴船山より現在地に遷座されました。』
(平成祭データ)
注:明徳2年(1391年)
境内から対岸の門司方面を望む
先日の「大坪八幡宮」の続きです、、、
「大坪八幡宮」から国道191号線{金比羅交差点」を直進し「彦島八幡宮」にむかいました。
途中の彦島大橋(地図には有料道路とあるが今は無料になっている。)からの海岸の景観は大変すばらしかったです。
彦島八幡宮
「迫町」出口で降り左折、海に向かって数百mで本殿裏側の鳥居に出ました、鳥居の左側の狭い道に入ると右手に西山小学校さらに進むと境内が見え突き当りの広い道路を右折してすぐ正面の鳥居があります。
すぐ前は大きな工場があります。鳥居の奥の立派な楼門とともにこの彦島にこんな大きな工場があることにもびっくりしました。
御由緒
彦島全島ならびに大和町一円の総氏神社である。当八幡宮は平治元年(1159)十月十五日、本当開拓の主祖・河野通次自ら祭主となり宇佐神宮より御祭神を勧請、祭祀なされたのであります。一名灘八幡と言っただけに宮の沖合を通過する船は必ず「半帆」の札をとったと云われる事から造船、漁業関係者の崇敬が厚く、又、安産の神として別名子安八幡と崇められて併せて式神、文化神、生産神として御霊験あらたかな神様であります。尚、秋の例大祭「十月二十一日」には八百四十余年伝来の無形民俗文化財「サイ上リ神事」があり由緒の深さを示しております。
(境内入口案内板より、抜粋)
本殿
随所にみごとな彫刻が施されている、床下基礎部分の組木もすばらしい。
田の首八幡宮
彦島の最南部田の首地区の突端近くに鎮座、すぐ前の対岸は北九州市門司区のJR門司駅付近になります。
境内の裏手は向井小学校に隣接しています。
御由緒
『当社は、下関市彦島田の首町に鎮座しており、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后お祀りし田の首町一円の氏神様であり、明徳2年10月15日、彦島八幡宮より貴船山に勧請されて以来、地域住民の厚い崇敬に護られてきましたが時代の変遷により、貴船山より現在地に遷座されました。』
(平成祭データ)
注:明徳2年(1391年)
境内から対岸の門司方面を望む
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