
4/08(土)、北九州の桜の名所の戸畑区の中央公園(金比羅山)、八幡東区の河内貯水池を廻る予定で出発、途中の八幡東区諏訪2丁目の「枝光八幡宮」(えだみつ)と河内貯水池の湖岸に鎮座されている白山神社に参拝しました。
桜は駆け足で撮影も少々しましたがあまり変わり映えがしないものばかりで反省しきりです。
やはりじっくりと腰を落ち着けて3脚も立ててやらないとうまくいきません。
枝光八幡宮(えだみつはちまんぐう)
かつての新日鐵八幡製鐵所の「本事務所」(今は戸畑に移転し、現在は北九州八幡ロイヤルホテルになっている)、に近い枝光本町商店街の通りを東の山手に百数10m入ったところに一の鳥居が見えます。石段の参道を登ると広い境内の左右に境内社、中央に本殿が建てられています。

創建は建久五年(1194年)、下野国の宇都宮上野介重業(しげなり)(後姓麻生)が花尾城主になり、領地の鬼門の宮田山に宇都宮八幡大神を勧請し祀ったのがその由来です。

また、当社も神功皇后、三韓征伐にゆかりの社です。
(平成祭データ)に
『神功皇后、三韓征伐の折、この地に立ち寄られ時の県主熊鰐が真榊の枝に鏡、劍、勾玉の三つの宝を掛けられてお迎えになられた。この真榊は熊本山〔今の高炉台公園〕より採られたものでこのことから以降枝光(枝三)と称されるようになった。』とあるとおり「枝光」の地名の由来でもあります。
白山神社
県道小倉ー八幡線の大蔵交差点から南下すること3.5kmの河内貯水池の湖岸の「宮前」バス停近くの高台に鎮座されています。
創祀年代等不詳、御祭神は白山比賣命 です。


参道の途中に「沼田泰子さんの記念碑」があります。
ググってみますとhttp://www.kita9.ed.jp/kawachi-e/newpage71.htm
河内貯水池の建設に携わられた沼田尚徳さんの奥さんで、生前、工事関係者を度々慰問されていましたが昭和3年(1928年)1月、しょう紅熱のため40才の若さで亡くなられました。この碑には沼田さんが亡き妻を偲んで読まれた詩、句が刻まれています。

河内貯水池は
官営八幡製鉄所の工業用水を確保するために、1919(大正8)年に工事着工、8年の歳月を費やし1927(昭和2)年3月に東洋一のダムとして竣工したものです。
現在は周囲に自転車道および遊歩道が整備され、四季を通して河畔をゆっくり散策できます。
黄砂の影響か視界不良

桜は駆け足で撮影も少々しましたがあまり変わり映えがしないものばかりで反省しきりです。
やはりじっくりと腰を落ち着けて3脚も立ててやらないとうまくいきません。
枝光八幡宮(えだみつはちまんぐう)
かつての新日鐵八幡製鐵所の「本事務所」(今は戸畑に移転し、現在は北九州八幡ロイヤルホテルになっている)、に近い枝光本町商店街の通りを東の山手に百数10m入ったところに一の鳥居が見えます。石段の参道を登ると広い境内の左右に境内社、中央に本殿が建てられています。


創建は建久五年(1194年)、下野国の宇都宮上野介重業(しげなり)(後姓麻生)が花尾城主になり、領地の鬼門の宮田山に宇都宮八幡大神を勧請し祀ったのがその由来です。


また、当社も神功皇后、三韓征伐にゆかりの社です。
(平成祭データ)に
『神功皇后、三韓征伐の折、この地に立ち寄られ時の県主熊鰐が真榊の枝に鏡、劍、勾玉の三つの宝を掛けられてお迎えになられた。この真榊は熊本山〔今の高炉台公園〕より採られたものでこのことから以降枝光(枝三)と称されるようになった。』とあるとおり「枝光」の地名の由来でもあります。
白山神社
県道小倉ー八幡線の大蔵交差点から南下すること3.5kmの河内貯水池の湖岸の「宮前」バス停近くの高台に鎮座されています。
創祀年代等不詳、御祭神は白山比賣命 です。



参道の途中に「沼田泰子さんの記念碑」があります。
ググってみますとhttp://www.kita9.ed.jp/kawachi-e/newpage71.htm
河内貯水池の建設に携わられた沼田尚徳さんの奥さんで、生前、工事関係者を度々慰問されていましたが昭和3年(1928年)1月、しょう紅熱のため40才の若さで亡くなられました。この碑には沼田さんが亡き妻を偲んで読まれた詩、句が刻まれています。


河内貯水池は
官営八幡製鉄所の工業用水を確保するために、1919(大正8)年に工事着工、8年の歳月を費やし1927(昭和2)年3月に東洋一のダムとして竣工したものです。
現在は周囲に自転車道および遊歩道が整備され、四季を通して河畔をゆっくり散策できます。
黄砂の影響か視界不良


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