能登こなもん倶楽部~でんぷんの森へようこそ~

viva!炭水化物!最近こっそり買ったホームベーカリーで手づくりパンや粉物料理に挑戦中!

うどん~乾麺~

2009-10-09 | 粉物~その他~

この日のお昼ごはんは自宅でうどんを作ってみました。
能登こなもん倶楽部としては手打ちうどんをうってみました・・・といいたいところですが、今回はもう何年も島原(長崎県)から取り寄せているうどん(乾麺)でお昼ごはん
大のお気に入りでうちで食べる素麺・うどん(乾麺)はほとんどここの製品です。
ALL能登で作れないこともなかったのですが、麺だけはちょっとこだわりがあって・・・



喉越しのいいとってもおいしいうどん(乾麺)です。半田麺なんかも好きなんですが、最近は島原ばかりです。



厚揚げは白山市の美川タンパク。
美川タンパクの豆腐は国産大豆とJAS認定有機無農薬大豆と、にがり(凝固剤)には奥能登の揚げ浜式の天然にがりを使っています。



七尾市に本社を置く水産加工品などを製造・販売のスギヨの赤巻き(かまぼこ)



近所からのおすそわけでもらった自家製大根のつまみ菜(間引き菜)


素麺・うどん(乾麺)を取り寄せている先の製麺所の社長は小麦粉の世界ではちょっと有名人らしいのですが、なぜか縁があって今度会食することに。こだわりの小麦粉の話や素麺・うどんの話なんかもいっぱい聞こうと思っていて、今からとっても楽しみです

【会う前にちょっと事前学習】

輪島素麺

うどんといえば能登では幻の"輪島素麺"が知られています。一般に日本の麺食文化は奈良を発祥に放射線状に伝播していったといわれていますが、これとは別に五島列島を発祥とする麺食文化の伝播経路が存在したことが、輪島素麺の製造技法(油を使わない手延べ製法のそうめん)を通して知られています。

輪島素麺は戦国時代~江戸時代にかけて北陸の名産品として珍重され、織田信長や加賀藩前田家の献上品としても使われた名品。明治以降は衰退し現在の輪島には製麺所なく製法の伝承のないまま伝説(幻)の素麺となっていますが、輪島素麺は越中(冨山県)に伝わり氷見うどんや大門素麺としてその極意が今に伝わり残されています。秋田の稲庭そうめん・宮城の白石温麺の製法も元を辿ると輪島から伝えられたものだそうです。

島原素麺と五島素麺

島原も五島も同じ長崎県ですが歴史は少々異なります。
島原素麺は1637年に起こった天草四郎時貞を中心とした島原の乱の後、殆ど無人化し荒廃した島原南部地方に、徳川幕府は強制移民による復興策をとりましたが、このとき島原に移り住んだ人たちが日本の三大素麺の産地のひとつ瀬戸内海の小豆島など小豆郡の住民だったと言われ、島原素麺はこの時に小豆島より伝わったとされています。

素麺発祥の地とされている奈良県の三輪素麺や小豆島手延べ素麺は油を使って延ばす製法で作られ、小豆島の影響を強く受け、近年まで三輪素麺の7割近くを生産していた島原産素麺も同様で、油を使わない手延べ製法の五島や輪島の素麺とは異なります。

良質の小麦でていねいに作られ、腰が強く、歯ざわりのいい島原素麺は伝統の職人技で作られ、その品質の高さからかつては素麺の最高級ブランド三輪素麺の7割は島原で生産していたそうで、その実力は日本一ともいわれています。

※素麺の専門家ではないのでこれ以上の調査をすることはしませんが、現在売られている五島うどんの多くは椿油を使っていて、油を使わないものは別扱いのようです。