最初に到着したのは
国指定史跡 日野俊基墓。
説明板。
『日野俊基は、鎌倉時代末期の朝臣後醍醐天皇に仕え、討伐計画に参加した。
正中の変(1324)に捕らえられ許されたが、元弘の乱(1331)のとき再び捕らえられ、
鎌倉に送られて翌年ここ葛原ヶ岡で処刑された。』
とあります。
「俊基朝臣墓所」大正6年(1928)鎌倉町青年会
「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」
(秋を待たないで葛原岡に、露と消える我が身の、恨みが強くこの世に残るであろう)
という俊基が詠んだとされる辞世の歌が刻まれています。
「贈従三位日野公墓碑銘」(明治17年)
日野俊基の生前の階位は従四位下だったそうですが
明治維新後、南朝(吉野朝廷)が正統とされると俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、
明治17年になって従三位が贈られたそうです。
日野俊基の墓の全景。
手を合わせてお墓をあとにしました。
【オマケ画像】
秋の風物詩。
銀杏爆弾。
足元注意です
以上!
秋の鎌倉遠征。*日野俊基の墓*
でした~ヾ(*´∀`*)ノ
<(_ _)>
つづく。
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