アメリカに行ってきて、本当に良かったです。
100%行くことに決まっていたから、行ったわけですが
それにしても、私にはアメリカ・ユタのピースハウスで数日間
たとえ英語がわからずとも話せずとも、過ごすことが必要だったし
あれだけの多くの兄弟姉妹、
しかも相当なコミットからの参加者である兄弟姉妹が参加して下さっていたからこその
多くの、かけがえの無い出会いがありました。
その素晴らしさは、言葉では表現不可能です。。。
それは、天国のそれと同じだからです。
ビックリしたのは「癒し」が、まだまだ、どれだけ私には足りないのかを思い知らされました。
えっちらおっちら、赦して祈っているだけでは、きっと、私の場合 今生の覚醒は無理だったのでしょう。
ピースハウスに6年間住み込んでいるという
Rickiさんというロックシンガーの女性も、おっしゃっていましたが
やはり、沢山の先輩実践者の人たちとなるべく頻繁に触れ合うことは、
完全なる覚醒への、相当な時間短縮になるのだと理解しました。(覚醒の途上では、本当の覚醒ではないんです)
毎日毎日、お互いに投影しあいながらも赦し合い学び合い助け合う日々を6年間過ごすことによって
相当な解放が、今、Rickiさんに起こっているのは私から見ても誰から見ても明らかです。
すばらしいことだな〜〜〜〜〜。と思います。
そういう意味もあって、真我なるハートの勉強会は毎月数回 行っているし
合宿も、毎月1回〜複数回行ってきました。
やはり、つながり合い、分かち合いながら目覚めてゆくのは計り知れない覚醒の波を起こさせます。
そのあたりは、Rickiさんと私は全く同じ感覚でした。ものすごくわかり合えました。(通訳の、あすかちゃんがいてくれてこそです^^)
特に、閉鎖的な日本人にはピースハウスに滞在するのはおすすめだと感じました。
こんな解放が待っていたのであれば、そりゃ〜〜〜〜自我さんは抵抗するよね。と思う。
私は、無意識の抵抗を認識できなかったのですが、有効期限が切れてしまっていたパスポートを新規で申請するため
自分の名前をサインする時、はじめて、そこで手が小刻みに震えたのです(爆)それまで気がつかなかったし
手が震えていても、恐れや不安感など何も感じないんです。知覚は静かなんです。
だから、無意識の恐れに気がつかないことに、私たちは気がついて行く必要があるわけですね。ほんとうにやれやれです(笑)
それと同じく、こんなに癒しが必要なの??って
本当に、私たちは「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚です。
形や、状況による癒しという程度の癒しではなく
例えるなら、宇宙の果てから果てまでの癒しが起こる必要があるわけですから(原因のレベル)
ということは、ビックリするくらいの癒しを受け入れて行く必要性がある。ということです。
トコトン、自分は無罪であり、無辜であり、安全なんだ。と
腹の底から、宇宙の果てから果てまで納得する必要があるようです。
で、ジーザスは「奇跡講座」「ア・コース・インミラクルズ」なる教えを差し出してくれたのですね。
私たちは基本的に、まだまだ天国乗っ取りを企てようとしますから(無意識レベルで)
それがいかに惨めでバカバカしいことなのかを、嫌というほど自覚していって
そして、神のみを望むと決意したなら、すべての障害がキレイサッパリ消滅してゆく、
要するに、何事にも恐れなくなる安心立命の心へと、この世界のあらゆるシナリオ・体験から導いてゆく。
ということなんですね。
「何事も起こらなくなる」わけではありません。Rickiさんもそれはちゃんと釘をさすようにおっしゃっていました。
「何事も起こらなくなる」というよりは、あらゆることがらにおいて自分が狂った解釈をしていただけだった。と
体験から確信させてくれるわけなんですね。
ただただ退いて立ち止まっていれば、正気の思考体系を通して力を抜いて生きるようになります。
そうすると、奇跡も奇跡、ありえない奇跡みたいなことはいくらでも体験します。
そんなことは普通のことだったんです。マザーテレサも普通に思っていたようですし
それは、聖霊がなさることなんです。だから当たり前なんですね〜。
実のところ、今回のユタの旅はあらゆるシーンで、形のレベルの奇跡(エコー)を沢山ちりばめてくれていました。
ジーザスは笑って言います。
「こんなの、朝メシ前なんだよね〜、君が邪魔しなければね」と。
完璧に委ねさせるために、信頼させるために、確信させるために、
朝メシ前の奇跡は、日々起きています。
すべては、完璧に最善で、恩寵の中で全員が神の記憶を思い出してゆく道筋にいます。
ここから、私も癒しを受け入れるカリキュラムが勝手にスタートしました。
その手段は、向こう側からやってきます。自分でクリエイトするものではないんですね。
あまりにも完璧すぎるので、いつも気持ちわるく感じます。(もちろん自我が)
ユタに出発する前(7月13日以前)と、今では、何もかも違ってしまいました。
別の人生を生きるかのようです・・。
これも、ジーザスのコントロール下だからこそ。
ジーザスの支配下に、自分を置くこと=退くこと
本気で癒しを受け入れるって、なかなか難しいことなんですよ。
できるのなら、この夢は今すぐ消滅できますけど
やっぱり自分に有罪宣告をして信じているので、自分を赦すことができないんです。
だから、罪悪・苦痛に魅力を感じ、破壊的(自覚していない)になってゆきます。
癒しを受け入れ、自分を赦し、更に癒しを受け入れ、更に自分を赦し。。。
この繰り返しなんですね。
私自身、ここまで来て、本当にこれ以上の癒しを受け入れてしまってもいいのかな?
というくらいの癒しが起きて行く気配があります。恐いくらいです。
けど、その恐れは単なる妄想からのものなので、相手にせず
更に聖霊のホストに、ジーザスのホストに、神のホストに、なってゆくことなんですね。
アメリカに行って本当に良かったと思うのは、その「ホストになる」という概念が
彼らにとっては、どうも常識のようで。。(笑)
おお、、相当遅れをとっているな、アタシ。と思った自我がいました(笑)
負けですよ、とことん負け、負けてゆかねば
撤退を決めなければ、絶対に神のホストなんて引き受けたくありません。
これからも、どんどん負けてゆこうと思ったのでした。
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100%行くことに決まっていたから、行ったわけですが
それにしても、私にはアメリカ・ユタのピースハウスで数日間
たとえ英語がわからずとも話せずとも、過ごすことが必要だったし
あれだけの多くの兄弟姉妹、
しかも相当なコミットからの参加者である兄弟姉妹が参加して下さっていたからこその
多くの、かけがえの無い出会いがありました。
その素晴らしさは、言葉では表現不可能です。。。
それは、天国のそれと同じだからです。
ビックリしたのは「癒し」が、まだまだ、どれだけ私には足りないのかを思い知らされました。
えっちらおっちら、赦して祈っているだけでは、きっと、私の場合 今生の覚醒は無理だったのでしょう。
ピースハウスに6年間住み込んでいるという
Rickiさんというロックシンガーの女性も、おっしゃっていましたが
やはり、沢山の先輩実践者の人たちとなるべく頻繁に触れ合うことは、
完全なる覚醒への、相当な時間短縮になるのだと理解しました。(覚醒の途上では、本当の覚醒ではないんです)
毎日毎日、お互いに投影しあいながらも赦し合い学び合い助け合う日々を6年間過ごすことによって
相当な解放が、今、Rickiさんに起こっているのは私から見ても誰から見ても明らかです。
すばらしいことだな〜〜〜〜〜。と思います。
そういう意味もあって、真我なるハートの勉強会は毎月数回 行っているし
合宿も、毎月1回〜複数回行ってきました。
やはり、つながり合い、分かち合いながら目覚めてゆくのは計り知れない覚醒の波を起こさせます。
そのあたりは、Rickiさんと私は全く同じ感覚でした。ものすごくわかり合えました。(通訳の、あすかちゃんがいてくれてこそです^^)
特に、閉鎖的な日本人にはピースハウスに滞在するのはおすすめだと感じました。
こんな解放が待っていたのであれば、そりゃ〜〜〜〜自我さんは抵抗するよね。と思う。
私は、無意識の抵抗を認識できなかったのですが、有効期限が切れてしまっていたパスポートを新規で申請するため
自分の名前をサインする時、はじめて、そこで手が小刻みに震えたのです(爆)それまで気がつかなかったし
手が震えていても、恐れや不安感など何も感じないんです。知覚は静かなんです。
だから、無意識の恐れに気がつかないことに、私たちは気がついて行く必要があるわけですね。ほんとうにやれやれです(笑)
それと同じく、こんなに癒しが必要なの??って
本当に、私たちは「癒しの必要性」に対して思っている以上に無自覚です。
形や、状況による癒しという程度の癒しではなく
例えるなら、宇宙の果てから果てまでの癒しが起こる必要があるわけですから(原因のレベル)
ということは、ビックリするくらいの癒しを受け入れて行く必要性がある。ということです。
トコトン、自分は無罪であり、無辜であり、安全なんだ。と
腹の底から、宇宙の果てから果てまで納得する必要があるようです。
で、ジーザスは「奇跡講座」「ア・コース・インミラクルズ」なる教えを差し出してくれたのですね。
私たちは基本的に、まだまだ天国乗っ取りを企てようとしますから(無意識レベルで)
それがいかに惨めでバカバカしいことなのかを、嫌というほど自覚していって
そして、神のみを望むと決意したなら、すべての障害がキレイサッパリ消滅してゆく、
要するに、何事にも恐れなくなる安心立命の心へと、この世界のあらゆるシナリオ・体験から導いてゆく。
ということなんですね。
「何事も起こらなくなる」わけではありません。Rickiさんもそれはちゃんと釘をさすようにおっしゃっていました。
「何事も起こらなくなる」というよりは、あらゆることがらにおいて自分が狂った解釈をしていただけだった。と
体験から確信させてくれるわけなんですね。
ただただ退いて立ち止まっていれば、正気の思考体系を通して力を抜いて生きるようになります。
そうすると、奇跡も奇跡、ありえない奇跡みたいなことはいくらでも体験します。
そんなことは普通のことだったんです。マザーテレサも普通に思っていたようですし
それは、聖霊がなさることなんです。だから当たり前なんですね〜。
実のところ、今回のユタの旅はあらゆるシーンで、形のレベルの奇跡(エコー)を沢山ちりばめてくれていました。
ジーザスは笑って言います。
「こんなの、朝メシ前なんだよね〜、君が邪魔しなければね」と。
完璧に委ねさせるために、信頼させるために、確信させるために、
朝メシ前の奇跡は、日々起きています。
すべては、完璧に最善で、恩寵の中で全員が神の記憶を思い出してゆく道筋にいます。
ここから、私も癒しを受け入れるカリキュラムが勝手にスタートしました。
その手段は、向こう側からやってきます。自分でクリエイトするものではないんですね。
あまりにも完璧すぎるので、いつも気持ちわるく感じます。(もちろん自我が)
ユタに出発する前(7月13日以前)と、今では、何もかも違ってしまいました。
別の人生を生きるかのようです・・。
これも、ジーザスのコントロール下だからこそ。
ジーザスの支配下に、自分を置くこと=退くこと
本気で癒しを受け入れるって、なかなか難しいことなんですよ。
できるのなら、この夢は今すぐ消滅できますけど
やっぱり自分に有罪宣告をして信じているので、自分を赦すことができないんです。
だから、罪悪・苦痛に魅力を感じ、破壊的(自覚していない)になってゆきます。
癒しを受け入れ、自分を赦し、更に癒しを受け入れ、更に自分を赦し。。。
この繰り返しなんですね。
私自身、ここまで来て、本当にこれ以上の癒しを受け入れてしまってもいいのかな?
というくらいの癒しが起きて行く気配があります。恐いくらいです。
けど、その恐れは単なる妄想からのものなので、相手にせず
更に聖霊のホストに、ジーザスのホストに、神のホストに、なってゆくことなんですね。
アメリカに行って本当に良かったと思うのは、その「ホストになる」という概念が
彼らにとっては、どうも常識のようで。。(笑)
おお、、相当遅れをとっているな、アタシ。と思った自我がいました(笑)
負けですよ、とことん負け、負けてゆかねば
撤退を決めなければ、絶対に神のホストなんて引き受けたくありません。
これからも、どんどん負けてゆこうと思ったのでした。
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