不惑なノッポの徒然ブログ

不惑を迎えエンジニアとバスケットボールで文武両道を実践しているつもりながら寄り道ばかりの日々を綴ります。

Manhole Card

2022-01-31 23:21:22 | Family

 今宵はDRAGONS.BB練習。

 新型コロナ禍、まん延対策、業務、怪我などなどで参加率は低空飛行中、10人に満たずも4対4を決行。

 息も絶え絶えの苦しい顔はノッポだけ、他のバスケ狂の面々は根っから楽しんで破顔状態!?

 怪我で練習に参加しないYAMA血さんは極寒にもかかわらずTOを務めていました。

 こんな境地にはなかなか至りませんな。

 

 

 

 そんなバスケ狂筆頭?のエース猫背さんからまたまたマンホールカードをいただきました(166/836枚)。

 ありがとうございます!

 

 

 

 帰宅すると長女が大学受験の申し込み資料をまとめていました。

 封筒に貼ったつもりの宛先の紙は簡単にはがれ、今度はのりを手塗りして貼り付けていました。

 

 

 

 勉強は抜群、運動はそこそこ、友人交流は盛ん、挑戦意欲は豊富、容姿は?な彼女は非の打ちどころが少ないのですが、このような事務仕事みたいな作業は不器用というか面倒くさがりというか、いつも笑わしてくれるようなアクションを披露してくれます。

 そんな彼女の高校生活の集大成が試される日が刻々と近づいていますが、自らの希望する道を進むことができれば何よりです。

 一方、2年後の受験生はその時に備えて眠れる獅子状態。

 


Legal Affairs

2022-01-30 23:08:29 | Family

 義父の一周忌でした。

 妙成寺、ではなく隣の大鏡寺でした。

 

 

 

 時間があったので周辺を散策したところ、寺ばかりの寺町でちょっと一服もできるそば処浄楽もありました。

 

 

 

 日蓮宗なので、読経は長めの1時間あまりでした。

 それでも短くなったとのこと、かつては2,3時間だったようです。

 浄土真宗が多い金沢も短縮傾向で、かつて通夜は19時から1時間程度の読経で20時までがほとんどでしたが、いつからか19時30,40分頃までの30分強に、今では19時30分より前で20分くらいになっているのではないでしょうか。

 

 

 

 読経が終わり、妙成寺の一画で墓参。

 その行き帰りに妙成寺の各建造物を見学(20年近くぶり?)。

 一眼レフを持ってくれば良かったなと後の祭りでした。

 

 

 

 その後は羽咋の妻実家で弁当会食。

 

 

 

 20年と少し前、結納時に訪れた料理屋まつおの仕出し弁当を味わいました。

 

 

 

 帰り、羽咋駅の駅姿を撮影していると妻から名物?があるよと、

 

 

 

 ジャーン!

 

 

 

 ここだけでなく、駅内及び周辺にJOJOを想起させるような石彫オブジェがいくつかあるようです。

 やはり一眼レフを持参すべきだった。

擬音の石彫オブジェ


Decision

2022-01-29 23:55:58 | Family

 心機一転、ずる延びのままとなっていた書斎を整理することとしました。

 まだまだ慌ただしい日々を控えていますが、日々少しずつ、新年度を迎えるまでには見栄え良くしたいところですな。

 

 

 

 長女から頼まれた移動販売のケーキを購入しようと町の公園へ。

 

 

 この柴田洋菓子店ですが、ネットで検索すると記事が結構出てきます。

 ネット記事なので賛否両論侃々諤々があるようですが、このような「ゲリラ販売」をあちらこちらで催しているようで、今回はここ金沢がターゲット?

 行列を予想して徒歩で行ったのですが、販売は何処?といったくらいで軽乗用車がポツンと1台佇み、幟が立っていました。

 ノッポが1番だったようで購入。

 その後、帰路の途中で振り返ると数名が寄せていましたが、チラシ配布だけのようなのでそんなものなのでしょうか。

 

 

 

 昼はラーメン安寿で4杯目/年、今年の初杯でした。

 中華そばは久々でしたが、ほっとする一杯でした。

 

 

 

 長女の大学受験、受験校が確定しました。

 共通テストの自己採点結果は思ったほどでなかったようで、多少の逡巡はあったようです。

 ノッポはこれまで積み重ねてきた成果と現実を踏まえた選択肢を提案、妻はそれと同感と言いつつも長女の意思を尊重、当の長女は学校の方針、担任の提案を素直に受け入れたよう(雰囲気に呑みこまれたよう?)。

 その結果、前期は当初からの志望校に挑戦、後期は自身の将来の夢と合格の現実を前提にした選択になりました。

 物心がついたときから挑戦を生きがいにしてきた彼女ですがコストパフォーマンスは抜群!

 プライベートスクールなる文字が辞書に無いノッポ家において率先、実践してきた18年余り、塾も短期講習の類以外はほとんど行くことがなく、学校の授業と自習で一定の成績を上げてきた成果に父母ともに脱帽。

 そして、この受験シーズンはナショナルスクールの2校のみ(前期で合格すれば1校)の受験で進める予定(父母もそうだった)。

 残り1か月弱は後悔が残らないようケーキを食べつつ勉強に励んでくださいな。


The day after

2022-01-28 23:05:40 | Study

 イベント翌日、気が抜けましたが課題通知があったのでもうひと踏ん張り。

 前々日に記したとおり、基本的にイベント前日は良く言えば「明鏡止水」、悪く言えば「現実逃避」です。

 

 中学時の各種試験、準備万端、解けない問題などあるのかといった根拠の無い自信も相まって、教室の隅であきらめグループと遊んでました。

 

 高校時、中学から一転してあきらめグループに入部?

 1年時は2桁番から300番後半へ急降下、2年時は400番台前半(と言っても450人なので前半しかない)の低空飛行をしっかり維持!?

 前日もしっかり睡眠、試験当日は解ける問題などあろうはずもなく睡眠、よく寝る子は育ちました!?

 

 大学になるとさらに磨き?がかかり、周囲は勉強派とカンニング派に二分されていましたが、そのどちらにも属さない第3派だったノッポは「明鏡止水」の心境で試験に臨み、その結果は教養課程(2年前期まで)であと1単位が足らずに留年でした。

 ちなみに、このときの留年率は1/4~1/3に達し、新聞にも大きく掲載されていたほどで自身正当化の題材としていました(が、半数以上は進級)。

 以下は、実しやかに囁かれていた噂、憶測、真相の深層です。

 金沢大学の工学部は2年前期までの教養、3年までの専門共通で進級審査があり、その後に4年時の研究室配属となります。

 研究室に配属されなかった過年度生が専門共通定員数のある程度を占めているため「空き」が少なくなり、前年からの教養の過年度生数を含めて入学定員を上回っている教養課程の学生を全て進級させる余裕は教室などのハード、先生方のソフト、その両面で余裕が無く、進級者数をある程度「間引き」する必要があったようです。

 ノッポは英語とドイツ語のそれぞれ1単位ずつ落第したのですが、授業を全出席すれば最低でも合格するドイツ語のほうに納得がいかず先生を訪問してみると、「合格でしたよ。」とさらっと言われ拍子抜け???

 英語は出来に自信が無かったのですが、出席率が悪くない限りは合格するとの話なので此方も問い合わせすべきか迷っているうちに、1年時からともに過ごしてきた友人も留年していることと相まってあきらめの心境に達し、留年が確定しました。

 その後、そのときの留年生のほとんどが英語とドイツ語をそれぞれ1単位ずつのみ落としてだけだったことが徐々に分かり、進級数調整のために何らかの「作為」が働いたのでは?との憶測を呼びました。

 成績判断基準を厳しくしたと言われればその限りですが、先の単位認定間違いがあるので疑念は拭えません。

 後日、数名ばかりほど単位認定違いがあり、改めて進級していたことも分かりました。

 当時、あきらめず英語も追及すれば「もしかして」があったかもしれませんが、結局行動を起こさず受け止めたことも「That's Life」。

 

 留年があって、通常進級とは違う巡り合わせが発生して現在に至っています。

 そのまま進級していればまだ就職氷河期前だったので東京や大阪の有名企業へ行っていたかも、大学院へ進学していたかも、県内企業だったかも、有名企業に入るもままならずに早々に都落ちして戻ってきているかも、などなど絶対違った人生だったろうと思い巡らせることがたまにあります。

 人生の「if」は際限が無く、物理的に時間を取り戻すことはできないので議論してもどうしようもありません。

 今をどう生きるか、巡り合ってきた方々との縁を大事にしながら、過去に思いが至りがちですが、それはそれで反省しつつ、未来を見据えて行動できるかどうか。

 40代の不惑から50代の知命へ、家庭、業務、交友などなど、これからの自分の立ち位置を認識しつつ行動改善ですかね。

 まず今年は「脱キリギリス体質」。


Thesis Review

2022-01-27 23:01:37 | Study

 今朝は大学で論文審査会でした。

 準備不足は否めず、英語は話せず分からず、質疑応答はしどろもどろ、夕方に届いた審査結果は差し戻しのような修正指示でした。

 これまでの行動録を振り返れば自業自得なので、心機一転で対応あるのみですな。

 

 

 

 晴れ間の兼六園下から望む石川門は32年前の学び舎の正門でしたね。

 

 

 

 昼は尾道ラーメンで3杯目/年(尾道率:10割)。

 11時半過ぎ、結構一杯でした。