本「交渉術」

    交渉術 

 佐藤 優 著  文芸春秋 2009年1月30日 発行



著者は、在ロシア日本大使館勤務などを経て、1995年より国際情報局分析第一課に勤務し、主任分析官として活躍されました。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間東京拘置所に勾留された後、05年2月、執行猶予付き有罪判決を受けました。現在は、最高裁に上告中で、作家・起訴休職外務事務官として執筆活動中ということです。

たくさん本を書かれてます。 私は、『国家の罠』を読んだきりですが、このときよりさらに文章は巧みに、そして意のまま思う存分に書かれているように思いました。


この本が、文字通り「交渉術」について記しているところは、そう多くはありません。第1章の「神をも論破する説得の技法」が、そこにあたります。

聖書から、神と預言者との間に繰り広げられている交渉―――全知全能の神に対しても、交渉の土俵に上がらせて条件交渉に持ち込み、つねに合意を得ながら進めていく―――を読み取ります。そして、このような論理基盤を相手が持っていることを深く知ることが、交渉術として大切であると言っています。

また、交渉には3つのカテゴリーがある と。
  
〈1〉「交渉しない」という手もある。交渉をおこなえば損することが明らかな相手の場合は同じテーブルに着かない。しかし、このような場合でも、内在する理論は徹底的に研究し情報は確保し、組織を攪乱する工作は行われているはずで、「空白」ということではない。

〈2〉「暴力で押さえつける交渉」 一方的にこちらの要求をのませる。これは、圧倒的に力の差がある場合のみ。〈3〉の方法と併用されることもある。日常生活ではペットとの交渉に有効。

〈3〉「取引による交渉術」。これが、狭義の交渉術にあたる。

貨幣や商品が交換されるように、互いの情報や条件などで集団間の問題を解決するのが、交渉。―――というのが、が著者の考え。 確実に勝利できる交渉術はない。しかし、自分の通った道も失敗も書き置くので、原則と事例を研究し、交渉能力を強化する方策をたて、日本的交渉術を形成していってほしいという願いが伝わってきます。 


ということで、あとは実戦編。 著者が関わった交渉の詳細とその裏話になります。

外交の世界で「ぼんやり」と「へたくそ」は、国益を大きく損なうことになるので犯罪だ。ということですが、「日本外交は場当たり的で戦略も交渉術も大したことはない」と日本人は自己卑下する傾向があるが、実はかなりの水準に達している と、まんざらでもない評価。北方領土交渉については、「狡猾な日本外務省のロシア屋たちはここに目をつけた。云々…」。と、大いに褒めています。せっかくの知恵も実らすことができず、残念なことでありました。鈴木宗男氏の「ムネオハウス」にも戦略がかけられていたわけなのでありますね。 そのこととは別に、お役人の、組織を守る生き残り戦略も「見事だった」と褒めています。

一般社会では道徳や倫理に従った行動が善として賞賛されますが、『交渉術』というのは善も悪もなく是非善悪にかかわりのない技法です。ですから、心理学はもちろん、動物行動学からも学んで、罠に陥れたり堕落させたりという手段も当然使われるわけです。

著者は言っています。普通の日本人は「中国やロシアは日本人をハニートラップにかけるが、日本はそれに対して何の反撃もできない」といら立ちを強める。しかし、外国のインテリジェンス専門家から見ると「あれだけエゲツない工作をしながら、日本人はよく言うよ。自分だけ生娘のようなフリをして。自分の〝汚い〟部分には目をつぶり、他人だけを批難する、実に卑怯な連中だ」ということになる。 ということになるそうです。「接待」という言葉を使い、必要に迫られて(か?)、行われていないわけじゃないわけなんです。

このような認識の非対称性を矯正することが、インテリジェンス交渉術の大前提になる。 と。


ということで、道徳や倫理に従うことが善であると思っている私にはついていけない社会でありますが、物事を知り、その本質と意義を理解しようと心がけることは必要ですよね。


「賢い賄賂の渡し方」

さて、インテリジェンス工作の専門家は、どれくらいの工作費を使うことができるのであろうか。  イスラエルの専門家によると、工作費についてはほぼ青天井。事務所の備品代などは、例えば読書灯を買い替える場合などは見積もりを3通取り1番安いもの以外を買う場合は理由書を提出する必要があるそうです。

チェックは厳しく、銀行口座のチェック、嘘発見器による訊問、家宅捜査など、徹底した性悪説の原理に立ったうえで、運用は性善説に基づき多額の工作資金を認めているということです。

日本の場合は、インテリジェンスの国際スタンダードとは逆で、性善説の原理に立ち、運用は性悪説という間抜けな対応をしているので、情報収集や工作活動にカネを機動的に使うことが出来ない。これでは、戦う前にインテリジェンス戦争に敗けているようなものだ。 と、著者は言っています。ただし、カネをかけさえすれば情報をとることができるかと言えば、そうではない。とも。


大変過酷なお仕事です。国会議員とのつながりもありますから、タフな人でないと務まらないと思いますが、中には弱さを武器にする人もいるようです。「うめき声をあげてアルマジロのように丸まってしまった」(絨毯の上で実際に!)という規格外の恥知らずの行動をとったおかたは、重要な仕事が与えられず、したがって大きな失敗もなく生き延びている。減点主義の組織文化の中では、こういう人が出世できたりすることもあるらしいです。

「田中真紀子さんにはいっさい知られないようにして、重要情報を収集して外務本省に送れ」、などという面倒な指示もでるわけですからたいへんですね。 私は、「御庭番」を連想しましたよ。


「あとがき」の中に記されていることを少し書き写します。


私が外交官としてやりたかったことは、
 歯舞群島、積丹島、国後島、択捉島の北方四島を日本に取り戻すこと
 日本外務省に国際水準の対外インテリジェンス機関をつくること
の二つだった。



日本人は、政治家の底力を軽視する傾向がある。これが日本の交渉能力を弱めている。



元ロシア国務長官にいつも言われた二つの事。
 
 一つは、「過去の歴史をよく勉強しろ。現在、起きていること、また、近未来に起きることは、必ず過去によく似た歴史のひな形がある。それを押さえておけば、情勢分析を誤ることはない」

 二つ目は、「人間研究を怠るな。その人間の心理をよく観察せよ。特に、嫉妬、私怨についての調査を怠るな」

この視点をつねに考慮しながら本書を書いた。


外務省の内部抗争で私たちは敗北した。北方領土問題を解決し、日露の戦略的提携を深め、アジア太平洋地域に新しい秩序をつくり、今後、帝国主義的傾向を強める米国、中国、ロシアとの間で勢力均衡外交を進めようとする外交官たちには「宗男派」というレッテルが貼られ、放逐された。

私が逮捕され、葬り去られるだけならばいい。私を信頼し、当時の日本外交の方針が正しいと考えたロシア語を専門とする外交官の多くが、ロシア担当から外され、また、私のチームで国際水準のインテリジェンスの訓練を受けたキャリア、ノンキャリアの双方の同僚や後輩が、情報・分析部門からはずされている。この状況が改善される兆しはない。


本当にもったいないことであります。

鈴木宗男氏のこと、エリツイン氏、橋本、小渕、森の三総理、米原万里さんのことも詳しく記されています。とても面白く読みました。田中さんが、米国同時多発テロ事件直後に、米国務省の緊急避難先を新聞記者たちの前で話してしまった事件がありましたが、著者は 「田中氏が情報を漏らしてしまったのは事件ではなく事故である。田中氏はインテリジェンスの観点から、公開してもよい情報と秘匿すべき情報の区別がつかない。秘密がわからない人に秘密を守れと言っても意味がないのである」と。
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