コーダに近い部分の出だし。橙色の○で囲んだ音の部分、左手の線が上にでているところが太いラインであり、黄緑の○で囲んだ部分の和音を乗せる。その左手の和声の動きが非常に大切。右手は左手を装飾するレースみたいな働きをしている。細かい動きが多いので思わずその右手で音楽を動かそうとしたくなるのだけど、そうするとやたらと重くなるし言いたいことも分からなくなるとのこと。左手の和声を追いかけていったら意外に単純な仕組みだというのが見えてきた。もちろん細かい動きの中で微妙な強弱をつけるのだけど。fとは言っても右手と左手を足してちなみに左手も含め、最初の音を勢いよく弾きすぎないこと。ついついやってしまうのだけど。
コーダの部分の和声が面白いところ。○で囲んだところが太いラインとなるのだけど、赤い○の音をたどると半音階の動き、その後青い○でナチュラルになっている。半音階の動きからナチュラルなのだ。そして水色のエアブラシの動きは和声の解決方向への動き。緊張から解放へ向かう大きな動きである。その後のナチュラルによって不思議な光を放つような雰囲気になっている。緑の○で囲んだ右手の細かいナチュラル部分がその不思議な光の要素なので意識しながら。
う~ん、深い。他にも技術的に難しいところがあるのだけど、ここだけでもかなり気をつけることがあった。横の動きもだけど、縦の和声の動きをしっかりとらえること、また音がどちらの方向に向いているかをとらえることが大切なんだな。そして細かい弾き方。自分でやっていて一番甘くなってしまうところ。ちなみに重みをかけるとき、次の音へとつなげるときには重みの方向も次の音へと向けることが大切だということだった。
それにしても密度が濃いなあ。頭はこれで整理できたかな?
う~ん、深い。他にも技術的に難しいところがあるのだけど、ここだけでもかなり気をつけることがあった。横の動きもだけど、縦の和声の動きをしっかりとらえること、また音がどちらの方向に向いているかをとらえることが大切なんだな。そして細かい弾き方。自分でやっていて一番甘くなってしまうところ。ちなみに重みをかけるとき、次の音へとつなげるときには重みの方向も次の音へと向けることが大切だということだった。
それにしても密度が濃いなあ。頭はこれで整理できたかな?
こういう画像に遭遇。。。この画像の在り処、お分かりの方はお分かりでしょう。思わず吹き出してしまいました。
こういうショパンってどうなんでしょう。確かに顔立ちも髪型も似ているし、濃い色のカップ片手の雰囲気も合っているし、Tシャツが紫色というのも間違ってないと思うんだけど、こういう人が実際にいたら吹き出してしまいそう。見た瞬間はかなり気障に見えたしなあ。でももしショパンが現代に生きていたらこうなるのかな?
こういうショパンってどうなんでしょう。確かに顔立ちも髪型も似ているし、濃い色のカップ片手の雰囲気も合っているし、Tシャツが紫色というのも間違ってないと思うんだけど、こういう人が実際にいたら吹き出してしまいそう。見た瞬間はかなり気障に見えたしなあ。でももしショパンが現代に生きていたらこうなるのかな?
青柳いづみこさんの『ピアニストが見たピアニスト』という本の、リヒテルとミケランジェリのところを読んだ。その中に印象的なところがあった。
ミケランジェリが1977年に録音したドビュッシーの「前奏曲集」に対して、リヒテルは以下のように批判していたそうだ。
「完璧な演奏だけど、雰囲気が欠けていて、この前奏曲集には不可欠な魅力というものも欠如している。とはいえ、楽譜を狂信的なまでに正確に再現した演奏には変わりない。(中略)こうした狂信的態度や楽器に対する極限的なまでの要求というものはしかしながら、彼がかくも完璧に演奏してのける作品への真の愛情の発露やファンタジーの飛翔といったものを妨げることになるのではないかと思う。まさに『霊感 (インスピレーション )』こそが欠けていのである(以下略)」
青柳さんは「リヒテルの他のピアニストに対する評は、しばしば個人的な好みに頼りすぎるきらいがある」と述べていながらも、ミケランジェリのこの「前奏曲集」の演奏のディスクに対しては、リヒテルと同じ感想を持ってしまったそうだ。そしてその後に書かれた部分が印象的だった。
「そのとき、そのときのタッチに命を賭けるミケランジェリと、行間の表現に命を削るリヒテル。意見が合うわけがないのである。」
タッチのミケランジェリと行間のリヒテル。。。タッチか行間か?これはピアニストだけの問題ではなさそうな気がしてきた。もちろんタッチも行間も大切にしないといけないことだし、はっきり二分してしまうのは問題があるのだけど、自分は演奏していてどちらによりウエイトを置きたいと思っているか(もちろん弾く曲や作曲家や曲の中の箇所によって違う可能性もあります)、またウエイトを置いているような気がしているか、というのをちょっとでも自覚するのもいいかもしれない。ちなみに私は練習中のショパンに対しては、今は気持ちを行間方向へと向けようとしている感じ。タッチも気になるのだけどそれだけに目を向けるのはきつい。。。そう考えてみたらミケランジェリは本当にストイックな人だったのだと思う。
ミケランジェリが1977年に録音したドビュッシーの「前奏曲集」に対して、リヒテルは以下のように批判していたそうだ。
「完璧な演奏だけど、雰囲気が欠けていて、この前奏曲集には不可欠な魅力というものも欠如している。とはいえ、楽譜を狂信的なまでに正確に再現した演奏には変わりない。(中略)こうした狂信的態度や楽器に対する極限的なまでの要求というものはしかしながら、彼がかくも完璧に演奏してのける作品への真の愛情の発露やファンタジーの飛翔といったものを妨げることになるのではないかと思う。まさに『霊感 (インスピレーション )』こそが欠けていのである(以下略)」
青柳さんは「リヒテルの他のピアニストに対する評は、しばしば個人的な好みに頼りすぎるきらいがある」と述べていながらも、ミケランジェリのこの「前奏曲集」の演奏のディスクに対しては、リヒテルと同じ感想を持ってしまったそうだ。そしてその後に書かれた部分が印象的だった。
「そのとき、そのときのタッチに命を賭けるミケランジェリと、行間の表現に命を削るリヒテル。意見が合うわけがないのである。」
タッチのミケランジェリと行間のリヒテル。。。タッチか行間か?これはピアニストだけの問題ではなさそうな気がしてきた。もちろんタッチも行間も大切にしないといけないことだし、はっきり二分してしまうのは問題があるのだけど、自分は演奏していてどちらによりウエイトを置きたいと思っているか(もちろん弾く曲や作曲家や曲の中の箇所によって違う可能性もあります)、またウエイトを置いているような気がしているか、というのをちょっとでも自覚するのもいいかもしれない。ちなみに私は練習中のショパンに対しては、今は気持ちを行間方向へと向けようとしている感じ。タッチも気になるのだけどそれだけに目を向けるのはきつい。。。そう考えてみたらミケランジェリは本当にストイックな人だったのだと思う。
即興曲2番の後半の写真のエアブラシで囲んだ箇所を中心に練習した。この部分は好きなところなのに難所。右手、左手よりは軽く弾くところなので、ごまかそうとしたらごまかせる所なのかもしれないけれど、いいところなのでがたつきたくない。あまりにも弾けるようにならないので次の練習法でやってみた。デジピでも出来る練習法だ。
①リズム替え (またはアーティキュレーションをつける)。32分音符が四つごとにまとまっているので、第1音だけ切り、第2、第3、第4とつなげる。第2音と第3音が離れているので弾きにくいのだけどつなげようとすることが大切。
②目をつぶって弾いて鍵盤の距離感覚をつかむ。なかなか効果ありだと思った。
まだ出来ていないけど、こつこつやっていたら出来るようになるかな?
今晩は冷えるようなのでくれぐれも風邪をひかないように(*^^*)
①リズム替え (またはアーティキュレーションをつける)。32分音符が四つごとにまとまっているので、第1音だけ切り、第2、第3、第4とつなげる。第2音と第3音が離れているので弾きにくいのだけどつなげようとすることが大切。
②目をつぶって弾いて鍵盤の距離感覚をつかむ。なかなか効果ありだと思った。
まだ出来ていないけど、こつこつやっていたら出来るようになるかな?
今晩は冷えるようなのでくれぐれも風邪をひかないように(*^^*)
マイケル・ジャクソンの幻のロンドン公演のリハーサル映像『This Is It』を観てきた。なにしろあのマイケル!話題性が強いし、観ている方も多いし、私自身マイケルの音楽が好きだった時期もあったし、昨年の紅白でSMAPがムーンウォークをしているのを見てそれを生み出したマイケルはやっぱり只者ではないと思ったというのもあったし、時間芸術の究極を行った人の映像を見て自分もそういう感覚をもっと取り入れたいという魂胆もあったので、ぜひ観ておかなければと思ったのだ。幸い今週いっぱいの上映だった。
すごかった!ファンキーで激しく、しかも華麗で繊細なダンス。鍛え抜かれた筋肉と抜群のリズム感。そして魂からでてきたような歌声。凝りに凝ったステージは彼のイマジネーションから生まれたものだった。共演者たちのコメントも印象的だった。「彼はすべてを把握している (言葉は正確だったか分からないけどそういう意味だったと思う)。だから彼の指示は的確だ」マイケルは共演者たちに非常に細やかな指示を出していたけど、それは彼が音楽だけではなくてステージでやるべきことを完璧に分かっていたからだというのだ。「これが最後のカーテンコールだ。」というところでは泣けた。ここで行動を起こさなければ自然は破壊され地球はダメになる。だから地球を守らなければならない。大切なのは愛だ、と。そう叫ぶ彼は本当に心優しい人だったのだと思った。ロンドン公演は幻となってしまったけれど、そのまま葬り去られずにこのように映像となって残っていて本当によかった!マイケルは多くの人たちの心の中にずっと残るだろう。
すごかった!ファンキーで激しく、しかも華麗で繊細なダンス。鍛え抜かれた筋肉と抜群のリズム感。そして魂からでてきたような歌声。凝りに凝ったステージは彼のイマジネーションから生まれたものだった。共演者たちのコメントも印象的だった。「彼はすべてを把握している (言葉は正確だったか分からないけどそういう意味だったと思う)。だから彼の指示は的確だ」マイケルは共演者たちに非常に細やかな指示を出していたけど、それは彼が音楽だけではなくてステージでやるべきことを完璧に分かっていたからだというのだ。「これが最後のカーテンコールだ。」というところでは泣けた。ここで行動を起こさなければ自然は破壊され地球はダメになる。だから地球を守らなければならない。大切なのは愛だ、と。そう叫ぶ彼は本当に心優しい人だったのだと思った。ロンドン公演は幻となってしまったけれど、そのまま葬り去られずにこのように映像となって残っていて本当によかった!マイケルは多くの人たちの心の中にずっと残るだろう。
スタジオで練習してきた。できていないところをとことん練習するという勢いででかけた。グランドの部屋に入ると一気にテンションアップする。音の出し方から急に意識するようになる。一音一音作れるところが楽しいのです。こわくもあるけど。(とくに録音を聴いて実態を知ると(^^;) )
ワルツからはじめたのだけど、あっという間に時間がたってしまった。三拍子を一定にするために左手だけメトロノームで。いつもよりも引き締まった感じ。そして右手のやばいところを取りだしてちまちまと練習した。特に指をくぐらせるところの前後とか。さらに範囲を広げてその音の動きがどのような雰囲気(和声によるものでしょう)を出しているかもつかみながら弾くことが大切なんだと思うのだけど、実際には間違えないことだけで必死だったりする。ワルツに関しては今日の練習は前半と終わりの部分で終わった。
そして即興曲2番。「即興」とは言ってもあまりにも速度がいい加減ではいけないと思い、某楽譜に指定された速度でメトロノームに合わせて弾いてみた。出だしは弾けるのだけど途中の盛り上がるところからあまりにも速すぎてついていけない事態に。もともと無理があったのですね。そこで始めから盛り上がるところでも大丈夫そうな速度で弾いたのだけど、今度はコーダの右手の動きの部分で無理があることが分かった事態に。せめて同じ部では一定の速度で弾けるようにするということから始めようと思った。それ以前に弾けていないところをなくさなければ。気になるコーダの右手部分を少し弾いたところで時間終了。プレリュードやマズルカはお預け~(^^;)う~っ、愛しのグランドちゃんとお別れ(涙)
というわけで、あっという間に終わった今日の練習だった。これから1ヶ月、いかに頭をつかって練習するかだと思った。
練習の成果?も一部録音した。音源編に載せています(それ以降はもごもごもご)
ワルツからはじめたのだけど、あっという間に時間がたってしまった。三拍子を一定にするために左手だけメトロノームで。いつもよりも引き締まった感じ。そして右手のやばいところを取りだしてちまちまと練習した。特に指をくぐらせるところの前後とか。さらに範囲を広げてその音の動きがどのような雰囲気(和声によるものでしょう)を出しているかもつかみながら弾くことが大切なんだと思うのだけど、実際には間違えないことだけで必死だったりする。ワルツに関しては今日の練習は前半と終わりの部分で終わった。
そして即興曲2番。「即興」とは言ってもあまりにも速度がいい加減ではいけないと思い、某楽譜に指定された速度でメトロノームに合わせて弾いてみた。出だしは弾けるのだけど途中の盛り上がるところからあまりにも速すぎてついていけない事態に。もともと無理があったのですね。そこで始めから盛り上がるところでも大丈夫そうな速度で弾いたのだけど、今度はコーダの右手の動きの部分で無理があることが分かった事態に。せめて同じ部では一定の速度で弾けるようにするということから始めようと思った。それ以前に弾けていないところをなくさなければ。気になるコーダの右手部分を少し弾いたところで時間終了。プレリュードやマズルカはお預け~(^^;)う~っ、愛しのグランドちゃんとお別れ(涙)
というわけで、あっという間に終わった今日の練習だった。これから1ヶ月、いかに頭をつかって練習するかだと思った。
練習の成果?も一部録音した。音源編に載せています(それ以降はもごもごもご)
今日はSpielen2回目、そして今年初の練習会だった。会場は初台のリリカアートスクール内のスタジオリリカというところで、ヤマハのグランドの入っているお部屋をお借りした。東京オペラシティのすぐ近くだというのもなんだかうれしいし、部屋も十分に広く、人数が増えても十分に楽しめそうなところだ。
しかし初台に行きつくまでがひと悶着。新宿から京王線に乗り換えるということで、はじめて乗る京王線のホームに入った。しかし車内放送を聞いてびっくりした。初台駅とは違う駅の名前がきこえてきたのだ。このまま乗ったら大変なことになる、と思っていたら、相棒氏が京王線にも都営新宿線から来ているのがあり、そのホームは別ではないかと。なんとか出発前にその電車から降り、案内を見てみたらなんとかなり離れたところに都営新宿線から来ている京王新線なんていうのがあるではないか。新線のホームから乗ると行けるということで大慌てで移動し、無事に初台で降りることができた。やっぱりまだまだ修行がいりますね(^^;)そういう状態だったので少し遅刻する羽目になった。
会場に入るとすでに華麗なピアノの音が聴こえていた。とても明るくて雰囲気のいい音楽室みたいな会場だった。素敵なひとときを過ごせそうな予感がした。
K君はリストの愛の夢第3番やモーツァルトのソナタ、ショパンのノクターンやスケルツォを弾いていた。細かい動きが多いのでそこを丁寧に部分練習していた。
相棒氏は最近はまっているショパンのプレリュードの前半を数曲。プレリュードは変化があって面白いとのこと。一気にあれだけの曲を譜読みしたということ自体はすごいと思う。本番のある幻想ポロネーズも難しいところを取り出して練習していた。
アヤ公さんはバッハ、ショパン数曲、プロコフィエフ、上原ひろみを弾いたのだけど、一曲として同じ曲がなかった上に、譜読み中だと言いながらもどの曲もかなりちゃんと弾いていた。譜読みだけでも大変そうなのにすごいと思った。
見学に来られたMさんはショパンのノクターン8番を弾かれたのだけど、非常に心のこもった素敵な演奏をされた。一音一音を大切に演奏されていて、伝わってくるものがたくさんあった。入会してくださるようでとてもうれしい。
そして私。おなじみのメンデルスゾーン浮き雲で調子をつけた後、私にはやたらと難しく感じるワルツ11番を弾いた。そして思った、拍感のない演奏だなあと。マズルカに近いので三拍目を強くしたし、特にスラーの部分は音を外さないように気をつけたのだけど、根底となる左手が非常に甘いと感じた。骨格をしっかりさせなくちゃ。17、18、21、22小節目の右手もでこぼこしたし、うっかりすると音を外したり。。。19、20、27、28小節目の最後の音も絶対にはずさないようにしないとなあと思ったのだった。中間部の甘い雰囲気ももっと作れるはずだと思う。即興曲2番もペダルを減らしたつもりが、入れるタイミングがおかしいのか不自然なところがあるし、流れるように弾きたいところも後で聴いたら変なところで凸凹していた。ペダルをなくした箇所の一部、粘って弾くのは少しできるようになっていたけれど、まだまだ練習がいりそう。前半盛り上がるところの左手はオクターブになるとあやしくなるし、後半の右手はかっちりと弾きすぎるし。最後に弾く時は即興曲は暗譜にチャレンジしたのだけど、某所で忘れて楽譜を見る羽目に(汗)。おかげで忘れやすいところ、気をつけるべきところが分かってよかったけれど。やっぱりみんなに聴いてもらうのっていい、いや聴いてもらわないといけないと痛感したのだった。
練習会後は豪華な東京オペラシティを通り抜け、コーヒーショップへと向かった。その東京オペラシティ内の新国立劇場だけど、写真のような舞台衣装を着たマネキンさんたちが飾ってあったのには驚いた。楽しそうでしょう♪そこでぜひオペラを見たくなるような雰囲気だった。他にもすばらしい施設がたくさんありそうな予感がした。
コーヒーショップでは楽譜の版、調律、弾きたい曲などの話で盛り上がり、なつかしの広島風お好み焼きをいただいてすっかり満足したのであった。久しぶりのお好み焼き美味しかったです。お店も見つけてもらって感謝です。
今日は大いに刺激を受けたのでこれからがんばらなくちゃ♪
しかし初台に行きつくまでがひと悶着。新宿から京王線に乗り換えるということで、はじめて乗る京王線のホームに入った。しかし車内放送を聞いてびっくりした。初台駅とは違う駅の名前がきこえてきたのだ。このまま乗ったら大変なことになる、と思っていたら、相棒氏が京王線にも都営新宿線から来ているのがあり、そのホームは別ではないかと。なんとか出発前にその電車から降り、案内を見てみたらなんとかなり離れたところに都営新宿線から来ている京王新線なんていうのがあるではないか。新線のホームから乗ると行けるということで大慌てで移動し、無事に初台で降りることができた。やっぱりまだまだ修行がいりますね(^^;)そういう状態だったので少し遅刻する羽目になった。
会場に入るとすでに華麗なピアノの音が聴こえていた。とても明るくて雰囲気のいい音楽室みたいな会場だった。素敵なひとときを過ごせそうな予感がした。
K君はリストの愛の夢第3番やモーツァルトのソナタ、ショパンのノクターンやスケルツォを弾いていた。細かい動きが多いのでそこを丁寧に部分練習していた。
相棒氏は最近はまっているショパンのプレリュードの前半を数曲。プレリュードは変化があって面白いとのこと。一気にあれだけの曲を譜読みしたということ自体はすごいと思う。本番のある幻想ポロネーズも難しいところを取り出して練習していた。
アヤ公さんはバッハ、ショパン数曲、プロコフィエフ、上原ひろみを弾いたのだけど、一曲として同じ曲がなかった上に、譜読み中だと言いながらもどの曲もかなりちゃんと弾いていた。譜読みだけでも大変そうなのにすごいと思った。
見学に来られたMさんはショパンのノクターン8番を弾かれたのだけど、非常に心のこもった素敵な演奏をされた。一音一音を大切に演奏されていて、伝わってくるものがたくさんあった。入会してくださるようでとてもうれしい。
そして私。おなじみのメンデルスゾーン浮き雲で調子をつけた後、私にはやたらと難しく感じるワルツ11番を弾いた。そして思った、拍感のない演奏だなあと。マズルカに近いので三拍目を強くしたし、特にスラーの部分は音を外さないように気をつけたのだけど、根底となる左手が非常に甘いと感じた。骨格をしっかりさせなくちゃ。17、18、21、22小節目の右手もでこぼこしたし、うっかりすると音を外したり。。。19、20、27、28小節目の最後の音も絶対にはずさないようにしないとなあと思ったのだった。中間部の甘い雰囲気ももっと作れるはずだと思う。即興曲2番もペダルを減らしたつもりが、入れるタイミングがおかしいのか不自然なところがあるし、流れるように弾きたいところも後で聴いたら変なところで凸凹していた。ペダルをなくした箇所の一部、粘って弾くのは少しできるようになっていたけれど、まだまだ練習がいりそう。前半盛り上がるところの左手はオクターブになるとあやしくなるし、後半の右手はかっちりと弾きすぎるし。最後に弾く時は即興曲は暗譜にチャレンジしたのだけど、某所で忘れて楽譜を見る羽目に(汗)。おかげで忘れやすいところ、気をつけるべきところが分かってよかったけれど。やっぱりみんなに聴いてもらうのっていい、いや聴いてもらわないといけないと痛感したのだった。
練習会後は豪華な東京オペラシティを通り抜け、コーヒーショップへと向かった。その東京オペラシティ内の新国立劇場だけど、写真のような舞台衣装を着たマネキンさんたちが飾ってあったのには驚いた。楽しそうでしょう♪そこでぜひオペラを見たくなるような雰囲気だった。他にもすばらしい施設がたくさんありそうな予感がした。
コーヒーショップでは楽譜の版、調律、弾きたい曲などの話で盛り上がり、なつかしの広島風お好み焼きをいただいてすっかり満足したのであった。久しぶりのお好み焼き美味しかったです。お店も見つけてもらって感謝です。
今日は大いに刺激を受けたのでこれからがんばらなくちゃ♪
昨日の葉祥明の影響でしょうか。私は誰のためにピアノを弾けばいいのかとふと考えてしまいした。
そんなごちゃごちゃしたこと考えること自体おかしいじゃん、目の前にいる人たちのために弾くんだよ。確かにそうなんだけど。その前に曲を練習することが大切なんだけど。
本番のある練習のときにはその本番にいる人たちのことを思い出しながら弾くといいのかもしれない。そして例えば来月のショパンだったらあの小ホールのステージで広島県の仲間が聴いているつもりで弾けばいいのだけど。
自分のため、それは言うまでもないですね(いや、それではいけないのでしょうか?)。そして身近な人たちで聴いてくれる人たちのため、まあそれも当然でしょう。相棒氏とかサークルの仲間とか。先生のためというのは入れちゃっていいのかな?クラシック音楽の本質からいったら作曲家のためというのも入れるべきなのかもしれませぬ。あとその他です。
元気な人たちのため、というのもいいかもしれないけれど、悩んでいる人、苦しんでいる人たちが心が洗われるようなピアノが弾けたらいいなあ、と思うのです。苦しんでいる、といってもいろいろな種類があるのだけど。またさるまわしの村崎太郎さんのように全国を回るようなことができるわけでもないのだけど。それ以前に何おこがましいことを書いているの?という突っ込みも入りそうだ。
こんなことを書く自体、ちょっと現実逃避ぎみなのかな?体調も気を付けないとね。睡眠も大切みたい。今朝遅く起きたからでしょうか、今週はじめごろから昨日までの左の肩の痛みが治りました。もうそうならないように、睡眠もしっかりとろう。
ちなみにショパン、今私はどちらかといえば片手でゆっくりの練習をしています。望むような音やフレーズで弾けるように。とくに指をくぐらせるところになると間違いの度数が増えたり一気にへこんだ音になったりするのでそれをなくして自然に聴こえるようにしたいと思います。
明日の練習会が楽しみです!練習そのものになりそうだけど(^^;)
そんなごちゃごちゃしたこと考えること自体おかしいじゃん、目の前にいる人たちのために弾くんだよ。確かにそうなんだけど。その前に曲を練習することが大切なんだけど。
本番のある練習のときにはその本番にいる人たちのことを思い出しながら弾くといいのかもしれない。そして例えば来月のショパンだったらあの小ホールのステージで広島県の仲間が聴いているつもりで弾けばいいのだけど。
自分のため、それは言うまでもないですね(いや、それではいけないのでしょうか?)。そして身近な人たちで聴いてくれる人たちのため、まあそれも当然でしょう。相棒氏とかサークルの仲間とか。先生のためというのは入れちゃっていいのかな?クラシック音楽の本質からいったら作曲家のためというのも入れるべきなのかもしれませぬ。あとその他です。
元気な人たちのため、というのもいいかもしれないけれど、悩んでいる人、苦しんでいる人たちが心が洗われるようなピアノが弾けたらいいなあ、と思うのです。苦しんでいる、といってもいろいろな種類があるのだけど。またさるまわしの村崎太郎さんのように全国を回るようなことができるわけでもないのだけど。それ以前に何おこがましいことを書いているの?という突っ込みも入りそうだ。
こんなことを書く自体、ちょっと現実逃避ぎみなのかな?体調も気を付けないとね。睡眠も大切みたい。今朝遅く起きたからでしょうか、今週はじめごろから昨日までの左の肩の痛みが治りました。もうそうならないように、睡眠もしっかりとろう。
ちなみにショパン、今私はどちらかといえば片手でゆっくりの練習をしています。望むような音やフレーズで弾けるように。とくに指をくぐらせるところになると間違いの度数が増えたり一気にへこんだ音になったりするのでそれをなくして自然に聴こえるようにしたいと思います。
明日の練習会が楽しみです!練習そのものになりそうだけど(^^;)
今年初レッスンでショパンの4曲を聴いていただいた。今日はコンディションがよくなかったのだけど得られるものは多かった。
おおまかにまとめると
1.(ショパンに関して)楽譜やCDを寄せ集めて切り貼りすることようなことはしない。一貫性がなくなる。だから楽譜の選択からが大切。弾き始めてしまったからにはその楽譜を通そうということになった。
2.メロディーをしっかり出す。輪郭をつかむ。出せているようで出せていない。よく聴くこと。
3.片手ずつの練習をしっかりする。特にレガートやスラーのところ。できていないけど頑張ればまだ間に合う。分解例を示していただいた。
4.中心となる音とおまけの音とのメリハリを。
5.ペダルも注意。
6. メヌエットは2小節でひとまとまりだけど、ワルツは4小節か8小節でひとまとまり。これは初めて知りました。
考えてみたら基本的だしよく言われそうなことだ。やっぱり地味練だ。まだまだできていないと分かったけど聴いてもらってほっとした。頑張る励みができた。特に即興曲2番、かなり深い曲で頑張りがいがあると改めて感じられたのもよかった。
理論書を読むのもいいけれど、やっぱり聴いてもらうのがいいなあ。
おおまかにまとめると
1.(ショパンに関して)楽譜やCDを寄せ集めて切り貼りすることようなことはしない。一貫性がなくなる。だから楽譜の選択からが大切。弾き始めてしまったからにはその楽譜を通そうということになった。
2.メロディーをしっかり出す。輪郭をつかむ。出せているようで出せていない。よく聴くこと。
3.片手ずつの練習をしっかりする。特にレガートやスラーのところ。できていないけど頑張ればまだ間に合う。分解例を示していただいた。
4.中心となる音とおまけの音とのメリハリを。
5.ペダルも注意。
6. メヌエットは2小節でひとまとまりだけど、ワルツは4小節か8小節でひとまとまり。これは初めて知りました。
考えてみたら基本的だしよく言われそうなことだ。やっぱり地味練だ。まだまだできていないと分かったけど聴いてもらってほっとした。頑張る励みができた。特に即興曲2番、かなり深い曲で頑張りがいがあると改めて感じられたのもよかった。
理論書を読むのもいいけれど、やっぱり聴いてもらうのがいいなあ。