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いろはにぴあの

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来年の目標

2009年12月30日 | 考えたこと
 昨日で今年の日記はおしまいにするつもりだったのだけど、思いついてまた書いています。

 来年の目標
主体的になる
  
 では本当によいお年を!

選択するとしたら

2009年12月25日 | 考えたこと
 今日はイヴ。ゆったりした夜を過ごしました、と行きたいのだけど、疲れがどっとやってきてうたた寝してしまい、目覚めたらこんな時間に。アホです。仕事、肉体的にだと思うのだけど疲れているのかも。

 それ以降は本当に、読者のみなさんにとってはあきれるようなわがままな悩みかもしれません。自分でちゃんと解決しないといけないと思っているのだけど。

 ピアノと英語、二者択一でどちらかを選ばないといけないのだとしたら、どちらを選ぶか?ということをこのごろよく考えるのです。なんで二者択一にしないといけないの?両方やればいいじゃない。そうなんです。それが理想だと思うのです。実際に両方ちゃんとされている方もいらっしゃるし、その上仕事や他のこともちゃんとしている方もいる。一方片方を責任を持って選んで、とことん追求されている方もいる。どちらも尊敬できる姿です。ちなみに私は両方とも中途半端。しかも今までの私の傾向からいくと、片方をがんばるともう片方が必ずなおざりになっているのです。甘いなあと自分でも思います。今までの傾向を表してみました。不等号が二重になっているものは、差が大きいことを表します。

 学生時代 英語>>ピアノ
 学校卒業後数年間 ピアノ>英語
 語学関係の仕事をやったり勉強したりしていた間 英語>>ピアノ 
 ピアノサークルをやり、語学関係の仕事を中断した後 ピアノ>英語
 結婚後 ピアノ>>英語
 
 興味の度合いだけでいけば、英語はそこまでないのです。ただかつて英語にはかなりの投資をしてきて試験を受けたり等目標を高く持っていた時期がある、というのが尾を引いています。(今は全くという状態なのですが(^^;))他を捨てる覚悟で頑張れば(本当はそこまでしなくてもいいのかもしれませんがどうもそこまでしないとできなそうに思えます)例えば仕事につくには有利かもしれない、とも思うのです。ただ英語、出来る人は本当にたくさんいます。しかも英語をしていて本当によかった、という思い出は私には残念ながらあまりないのです。。。よかった思い出はテストでいい点をとったことと、論文などの読み物が辞書なしでも意味をつかめたというようなことです。いやな思い出は、会話が得意でないので怖じけづいてしまっていたことと、名ばかりの企業に利用されたような気がしたことです。あまりにも世間知らずだったから、とも思うのですが。
 ピアノや音楽はとにかく楽しいのです。中断してきた時期もあるし、お金もいるかもしれないけれど、いい思い出ばかり。辛い時も悲しい時もいつも味方してくれているし、しばらく離れていても必ず帰ってきたくなるような世界です。だから離れてはいけないと思うのです。けれどもどこまで入れ込むか、というとまた考えてしまいます。英語と同じくピアノも上手な人はたくさんいます。そして他を捨てる覚悟というのはこちらも十分にいりそうに思えます。
 
 相棒氏にそういう相談をしたら、両方時間を決めてやればいいではないか、とのこと。ピアノ1時間英語1時間、それぞれやめずにやればよいとのこと。確かにそうなんですよね。そうすれば両方それなりにできるはずなのです。他を捨てる覚悟、というのも思いこみなのかもしれません。それにしてもこんな単純なことがなぜできないのだろうか、とまた思うのですが。それ以前にこの歳になっても自分のことについてここまで考えられること自体何なんだ、とも思います。そうですよね、本当にわがままな悩みですよね。

 書いているうちにちょっと整理ができてきました。どちらかを選ぶことしかあり得ない、という考え方から脱却したほうがよさそうです。ちなみに英語についてはもっと視野を広くしてみたほうがいいのかもしれません。
 
 それから恐らくピアノから気持ちが離れることはないというのは確実です(^^)

 申し訳ありませんがこの記事はコメントはなしでお願いします。本当に自分の問題だと思うので。

2009年11月27日 | 考えたこと
 最近よく食べているような気がする。一日三食ならまだいい。問題はその間だ。ついつい買ってしまうおやつ。そして町を歩いているとたくさん見かけるカフェ、カフェ、カフェ。そして駅には蕎麦屋にうどん屋。パン屋さんの前に行くとおいしそうなパンの香りとともになぜか喫茶ルームみたいなものがあったりする。朝昼晩ちゃんと食べているのだから、そういうところに引き込まれる必要はないと思うのだけど誘惑が強かったりするのだ。人間の消費欲をうまくかきたてていると思う。こわいものだ。これから限度を考えないと。来月中旬から少し働くというのに、常におなかが空いていていつもおやつがほしい人になってしまったら、なんだか恥ずかしいではないか。体にもよくないし。ただちょっと自己弁護もしたい。ある本にこう書かれていた。どうしようもなく悩んだ時にどうしたらよいか?という問いかけに対して、「メシを食うといい」という回答をされた方がいたのが鮮烈に印象に残ったのだ。そのときの印象が普段の行動にまで影響を与えている面も少なからずあると思う。

 欲といえば読書欲。図書館からはじめて本を借りた。米原万里の「言葉を育てる」、松久淳+田中渉の「天国の本屋」、川上弘美の「椰子・椰子」だ。昨日は米原万里の「言葉を育てる」を読んだ。ロシア語通訳者米原さんの著名人たちとの対談で、プラハにあるソ連が運営していた学校での学生時代の話、通訳をやりその人とずっとつきあっていると殺したくなる、などという話、統一化してしまうと面白いものも面白くなくなるというような話など、歯に衣着せない内容の対談がたくさん登場、深い内容が多くて、とても面白かったけど、毒もたくさんあって、気の弱い私にとっては耳が痛くなる面も多かった。(なのに米原さんの書評もいつか読んでみたいと思っているのだから懲りてないのかな。)免疫学者の多田富雄氏との対談「脳はウソをつくようにできている」の中で米原さんが「物書き、通訳、演奏家、情報伝達に携わる人はおしなべて誇張癖を患いがちですね」と言われているところもどきりとしたし(汗)。誇張癖か誇張欲か知らないけれど、なんだか心当たりがあるし、さらに身に付きつつあるような気がしているから。みなさんはいかがですか?
 そして今日は「天国の本屋」を読み始めたところ。ハワイに婚前旅行に行こうとしているカップルが登場するが、なんと女性が結婚詐欺師だと発覚というところまで読んだ。先日あった事件を思い出してしまった。読み進むうちに、どんな人との出会いもこよなく大切に思えてくると背表紙に書いてあったので、その後もいろいろあるのだろう。川上弘美の「椰子・椰子」は全くタイプが違っていて、不思議な夢のような話がたくさんでてくるようだ。

この世の最低温度と、音について少し

2009年02月26日 | 考えたこと
 この世の最低温度は

-273.15 ℃

だと言われていて、これは決まっているそうです(「温度の比較」参照ください)。理論的には原子の振動がかぎりなく無にちかづいた状態で、エネルギーが最低の状態だということらしいです。絶対零度とも言います。
 理論的にはそうなのだろうと思うのだけど、それにしてもあまり小さくない数値であることに驚きを覚えます。うっかりしていたら-300℃なんて言ってしまいそうです。

 ちなみにこの世の最高温度というのもあり、プランク温度といわれているらしいです。1.41679×10 32K(32は累乗です)で想像もつかなそうな温度なのだけど、約100万℃よりもはるかにはるかに高い温度みたいです。こちらも存在しているのが面白いのですが、とてつもなく大きな数値なので、まだ納得できます。

 ちなみには空気の振動により耳に聴覚としてとらえられるものであるので、空気がないと存在しません。そして音には大きく分けて「楽音」と「雑音(ノイズ)」とがあります。
 美しい音を「楽音」、そうでない音を「雑音(ノイズ)」だと言われやすいのですが、Wikiには、音の高さを聞き分けられるのが「楽音」、そうでないのが「雑音(ノイズ)」だとも出ていました。「楽音」は一定の周波数による規則正しい振動によって、一定の高さが生じている音のことを言うそうです。 (ただし規則正しい振動でも、音叉や時報のようにきちんとした正弦波の形をした波の振動になる音は「純音」といって、楽音からははずされるそうです。)けれども楽器でも打楽器の一部である太鼓、シンバルの音のように、一定の高さを持たないものは、「雑音(ノイズ)」としても分類されるのだそうです。なるほど。。。音の分類にはこのような方法もあるんですね。

 最近(いや元からかもしれませんが)浮世離れした記事が続いているのですが、大目にみてください(^^)

今朝起きてみたら

2009年02月25日 | 考えたこと
 今朝起きたら激しい雨が降っていました。この季節にこのような雨が降るのは珍しいことかもしれません。これから一雨降るごとに暖かくなっていくのでしょうか?

 ちなみにこのはほとんど水で構成されていますが、これは地球での話であります。太陽系内の他の惑星衛星でも雨が降ります。
 雨だけではありません。生物が存在していることもあります。先日相棒氏が宇宙の番組を見ていて、面白そうだったので私も見たのですが、どうもその番組によると、土星の衛星タイタンに生物の存在の可能性があるとのこと。タイタンにあるなにかに放射線をあてたら、生物のもととなる有機化合物がつくられるらしいです。しかもタイタンでも雨が降り、に雨すなわち液体がたまり、そのたまった液体が蒸発、凝結、凝固してができ、また雲から雨が降る、といった循環もあるらしのです。しかしです。タイタンでの雨はほとんどがメタンで構成されています。タイタンでのメタンは、地球での水に該当するのです。メタンの融点は-183 ℃、沸点は-162 ℃です。ということは、タイタンは-162℃よりもあきらかに冷たいメタンの海で覆われているということになります。タイタンでの気温は、人間も含め、地球上の生物にとっては想像できないぐらいの低温ですが、メタンの循環を地球で言う水の循環に該当するものとしてとらえれば、メタンの循環にもとづいて生きる生物がいてもおかしくない、ということになるそうです。

 ちなみに私は子どものころは自分はかぐや姫のように宇宙に行けるんだと思っていました。そしてすべての惑星は地球と同じように、地面があるのだと思っていました。木星や土星がガスでできているのを初めて知ったときのショックはかなり大きかったです。

 今回は多くの言葉をWikipediaの検索にかけました。書くことで思いつくことがあるし(実はこの記事、書き始めた時点ではタイタンは思いついていませんでした)、検索にかけるとさらに思いつくことがあるし、検索をかけたWikiの内容をちゃんと読んだらまたまた面白いことがありそうです。しかしこのようなことはいつもはできることではないし、思いついたこともほとんどが一瞬でしかもまとまりのない思いつきです。かといって、もし思いついたことが全て言葉にできるのだとしたら、それはまたすさまじい分裂状態になりそうですね。

マジメ論

2008年03月31日 | 考えたこと
 河合隼雄さんが「冗談も休み休み言え」にちなんで、「マジメも休み休み言え」ということを書いていましたが、マジメであるっていうこと、正直いうところ、かつてほど高い評価を受けていないようです。欧米の人からは、日本人はマジメなんだけどユーモアのセンスがなくて困るという評判を受けたりします。そこで私もユーモアのセンスをつけなくては、と深刻になったことがあります。。。しかしです、なかなかこればかりは、一気に身につくものではないと分かってきました。
 でも思うんです。マジメもいいんです。いや、マジメでいいんです。いやいや、マジメでなくちゃいけないこともあるんです。ただマジメ、休み休みだったらいいんです。休みの中に、他の世界があることがちゃんと見えればいいんだとやっと分かってきました。そしてマジメにも、いいマジメとあまりそうありたくないマジメがあると思います。エネルギーがわいてくるようなマジメはいいマジメで、自分や人を過度に追い詰めるようなマジメはそうありたくないマジメなのではないだろうか、と。ポイントはエネルギーの方向です。そして、いいマジメは大切にし、そうありたくないマジメは、できるだけ避けたいな。

蒸気機関車

2007年12月01日 | 考えたこと
 今日は練習しました、とはいっても10分です。時間も時間だったし。。。しかし明日はちゃんとやろう。朝の練習もいいですね。

 その後のテレビがよかったです。関口知宏の中国鉄道大紀行です (トップページは固まるのでブログのほうをリンクしています)。旅の終わりにむけて、新疆ウイグル自治区の都市を走っていたのです。テレビだといってあなどれません。その地の雰囲気がたっぷりでていました。列車内でギターを弾きながらウイグル族の歌を歌う青年、中国の故郷を思う歌を歌う若い女性。最後は関口さんが青年からかりたギターを伴奏に「与作」を歌っていました。なかなかいいではないですか、「与作」。寒い中にでている湯気のような雰囲気の旋律がジャポネスクな感じです。ピアノで弾いてみたらどうだろう。今までは断じて考えようとしなかったことだけど。
 鉄道の終点に当たるカシュガル駅の先端では、限りなく続いているだろうと思えるような線路が切れていました。はじめがあれば終わりがある、そしてまた0からではじめようかなとつぶやく関口知宏の言葉が印象的でした。

 突然ブログの更新が頻繁になったので、変だといぶかしがる人がいるかもしれませんがそんなことはありません(いや、いつも変だと言われてしまったらおしまいなのですが)。ただ今、蒸気機関車をねらっているのです。以下の矢印の方向へ向けて最短時間で最大の効果がもたらすために。

 書く→エネルギーの循環、燃焼もあり→能率的な練習

 やっぱり今日は蒸気機関車におかされたようです。日本にもありますよね。

表現者であること

2007年07月11日 | 考えたこと
 今日は読み応えのある文章にであいました。ピアノを弾く人として心当たりのある方も多いのではないでしょうか?
私は非常に身につまされました(^^;)。心当たりも。。。反省点たくさん。
(今回の777コンサートとは関係ないですよ。むしろそんなことから程遠い雰囲気で本当にありがたいです。)

ほぼ日刊イトイ新聞 大人の小論文教室 山田ズーニーLesson356 表現者の味方 3

 引用した最後の4行には本当に勇気付けられました。心に焼き付けておきます。自信を持つことって本当に大切ですね。

「自分を表現することに私たちはなれていない。
なんとなく恐いと思うもの同士の集まりだ。

だから表現者であること、
そのこと自体、自信を持っていいと私は思う。」

 hiroさん、コメントのお返事お待ちくださいね(^^)このように記事の更新が返事よりも先になることもありますが、必ず書きますので。

K先生とモーツァルト

2007年06月19日 | 考えたこと
 学生時代にK先生という先生がいました。その先生は自分から講義というものをせずに、いきなり本(しかも洋書)をわたし、グループごとにその内容について発表するような講義をされました。日本語版もちゃんとでていたので、私たちはなんとか乗り切ってきたのですが、K先生はそういう姿勢についてかなりうれいてらっしゃったようです。K先生はきまぐれでお天気屋でわがままで、でも繊細な人でした。しかし授業が非常に面白かったので、学生から人気がありました。そして私もK先生にあやかった一人でした。しかしK先生の評価基準には分からないところもあり困惑することもかなりありました。
 K先生はモーツァルトが大好きでした。研究室にはいつもモーツァルトの曲がかかっていました。アメリカ帰りの影響でしょうか、それともK先生の行儀の悪さでしょうか、足を思いっきり組むか、机の上にあげるかして、モーツァルトの曲をうれしそうに聴いていました。そしてベートーヴェンが嫌いでした。勝手なものです。ユーモアと明るいことが好きでした。あの走るような人生、モーツァルトみたいな人だったのかもしれません。その影響でしょうか、(いや、決してそう思いたくはありませんが)、私も照れくさい感じがしてあまり好きでなかったモーツァルトを聴くようになりました。まず交響曲からです。古楽器ブームにもあやかって、人気がでていたころです。40番、41番ジュピター、そして38番プラハ、39番にたちまちやられました。そして次にピアノ協奏曲も聴くようになりました。晩年につくられた27番の透き通るような悲しさ、最後に出会ったK先生みたいでした。もしK先生が今も元気だったら、どんな顔をされるでしょうか。あきれ果てるかもしれません。でも音楽だけはがんばりました。少なくとも私がモーツァルトを弾いているとは想像すらしなかったでしょう。

 ショパンのスケルツォがあります。私はスケルツォは青春の音楽だと思っているのですが、さてモーツァルトのピアノ協奏曲は何の音楽なのだろう、とふと考えたくなりました。悲しみの音楽なのでしょうか。いや、もっといい言葉がないでしょうか。。。

自分を

2007年05月13日 | 考えたこと
「自分を信じましょう」

恩師に言われたことばです。
年を重ねるにつれ、このことばが心に響きます。

自分に絶望しないで
自分を信じましょう
そして自分に期待しましょう

よくある話のように
人にはいろいろな限りない能力があるというのは
本当だとは思わないけど
それでも
自分に期待して信じたほうが元気にいけると思います

ただ、こうじゃなくちゃいけない
というように決め付けずに
選択肢はもっておいたほうがいいと思いますが。。。
どうしてもそうできなかったときに、
だめだと思ってしまったら困りますから。

でもやっぱり逃げずに自分に期待しましょう

今日の日記は私への言い聞かせです。