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いろはにぴあの

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本番が終わりました

2010年05月16日 | ピアノ・音楽
 某本番が終わりました。ほっとしていいのかよくないのか?課題だらけだったから。
ブログも引っ越します。しかしここの記事は残しておきます。

 ではでは!

息を吸って

2010年05月14日 | ピアノ・音楽
 呼吸に気をつけてピアノを弾こうと思って、弾く前に息を吸おうと思うようになった。そのついでに思わず肩もあがっていたのだが、それは胸での呼吸になっていて、吸える空気の量も吐く空気の量も限られるのでいけないのだそうだ。よいのは一見自分でも空気を吸っているのか自覚がないような(そのように感じました)、おなかが膨らむ吸い方、すなわち腹式呼吸だそうだ。椅子に座っているとあまり自覚できないのだが、がんばっているのではなくて、何気ない感じで息を吸っておなかが自然と膨らむ状態。。。がいいのだそうだ。腹式呼吸は生活にもいいと言われる。音楽では歌や管楽器だけだと今まで思っていたが、鍵盤楽器でも有効なんだな。弦楽器や打楽器でも有効だと思う。
 そのこと、頭で分かっていてもなかなかできなくて、どうしたものか、と思っていたが、あるはずみで出来たりする。そうしようと力んでない時の方が却って出来たりすることもある。呼吸以外のこともそうみたいだ。力は入れたいのだけど、力むとかえって押しつけるみたいになって、音もでないし、あまのじゃくのような状態になってしまう。まるで生き物みたい。人か犬か猫か鳥か何に近いのか分からないけど。あの色と容貌からクジラだと思っていた時期もあったが、今はあまりそのようには思えていない。慣らして(鳴らして)あげるまでがなかなかなのだ~。慣れてちょうだいね。懐いてちょうだいね。

 ブログのピアノの記事では、練習で気づいたことを等身大で書いていくというのがポリシーだったのだけど、自分がそうすることに意味があるのだろうか、と思うことがときどきある。例えば呼吸。他にもそのようなことに気付いている人は山ほどいて、そのようなことも山ほど書かれていると思うから。ただ一つだけ決めたことがある。私が本当に実感を持ったことだけ書こうと。そうすれば書く意味も生まれてきそうだ。ただ中には通じない言葉もあるかもしれません、そのときはごめんなさい。

プレイエルのピアノ

2010年05月10日 | ピアノ・音楽
 昨日、練習の帰りにあるデパートに寄ってきました。ロビーでショパンのプレイエルのピアノの演奏会があったのです。演奏者は久元祐子さん。有り難すぎます。優雅で洗練された演奏。古く懐かしい音色でありました。

 プレイエルのピアノ、トリルは弾きやすいのですが、同音を続けて弾くのには鍵盤を完全に上まで上げないといけないので難しいそうです。そんなピアノで曲を作ったり弾いたりしていたショパンって。。。久元さんもこのピアノで英雄ポロネーズを弾かれていました。大変だったと思います。

スタジオの不思議

2010年05月08日 | ピアノ・音楽
 もしスタジオを借りて練習するのだとしたら、どのようなスタジオがいいでしょうか?

1.ピアノがよくて広いスタジオ
2.ピアノはよいけれど狭いスタジオ
3.ピアノがいまいちだけど広いスタジオ
4.ピアノがいまいちで狭いスタジオ

もちろん料金という重要な要素もあるのですが、とりあえずこの4つの選択肢から考えるとしたら、どのようなスタジオで練習したいでしょうか。

 1番、最高ですよね。そういうスタジオだったらお世話になりたいですよね。2番、私が今一番お世話になっているスタジオがこれに該当していると思います。3番、4番はできたら避けたいと思っていたのですが、急に3番の位置づけにあるスタジオの地位が上がりました。部屋が広いというのは、ピアノの音をダイレクトに感じやすいという利点があるようです。音の響き具合、強弱がついているかというのもその場で分かるし。典型的な3番スタジオに行ってきました。今まではピアノの音が気になっていて、そこでの練習はあまり気が乗らなかったのですが、今回は部屋の広さが有難く感じられました。(ピアノも調律したのかもしれませんが)かといって弾けるようにはなっていないのですけどね(汗)
 そう考えてみたらM市のポポロの練習室は素晴らしいところでしたね。典型的な1番でしかも安い。なつかしいです。ああいうところはなかなかないですよ~。

ピンチの割には

2010年05月06日 | ピアノ・音楽
 私にとってはピンチ事態が近付いているピアノ。
 しかしそういう事態に持っていったのはまさに自分自身だった(汗)。また今そういうことができていること自体幸せなのかもしれません。
 だから言い訳は無用だ~。

 今日から本当に現実に向き合います。
 

若手のエネルギー

2010年05月04日 | ピアノ・音楽
 昨晩のラ・フォル・ジュルネはポーランドのマルチン・コジャク氏という若手ピアニストさんの演奏を聴きに行った。申込の時点では彼についての知識は全くなく、幻想ポロネーズをはじめとしてショパンの主要なソロ曲がが入っているということだけで申し込んだ。
 しかしプログラムには個人的に期待していた幻想ポロネーズやマズルカはなく、ノクターン、エチュード、スケルツォ、バラード、英雄ポロネーズになっていた。これらの曲でもいいのだけど急に変更になるなんてと思いながら入場した。席は一番前正面右側という特等席。あまりメジャーな公演ではなかったようだ。けれどもそれが、ものすごい掘り出し物だった。
 ピアノの前に座ったのは華奢だけど骨格がしっかりした青年。ノクターンOp.15-2の一音が始まったとたん独自の世界が繰り広げられた。彼の呼吸とともに夢見るような世界が繰り広げられる。エチュードOp.25-5ではさらにわくわくする雰囲気。エチュードの中で好きな曲の一つだったので、間近に生で聴けてうれしかった。そしてエチュードOp.10-12の革命。すごかった。超高速で始まり怒りのこめられた渦が次々と登場。こんな音がよくでると思えるようなエネルギッシュな爆音もでてきて興奮のるつぼに。鼓膜が切れる寸前だったかもしれない。しかも単に激しいだけではなく、指さばきやコントロールも見事だった。ペダルも自由自在に踏んでいてすごかった。その勢いは次のスケルツォ2番、バラード4番、英雄ポロネーズと続き、聴衆達の心を奪ったままブラボーの掛け声とアンコールへの拍手へと続いたのだった。
 恐ろしいぐらいエネルギッシュな演奏を近くで聴けて私達も放心状態。ピアノもああなるとスポーツだという話にもなった。あのエネルギーを吸収できたら。歳と性別と国籍と人間が違うって?まあそうなんですけどね。あの大きい音は家では出せないし、私が出そうとしたらたたきつけるようになるし、なかなかすぐに見習えるものではないのだけど、彼の演奏に頭を殴ってもらったおかげで、少なくともこのところのなんとなく間の抜けた気分からは脱却できそうな気がする。

オルガンコンサート

2010年04月28日 | ピアノ・音楽
 今日の昼はみなとみらいホールにオルガン1ドルコンサートを聴きに行った。
演奏者は浅尾直子さん、演奏された曲は

ジョゼフ・ポネ作曲 春の歌
ジャン・アラン作曲 クレマン・ジャヌカンの主題による変奏曲
パウル・ヒンデミット作曲 オルガンソナタ第3番より彼女にお休みが言いたい
ルイ・ヴィエルヌ作曲 月の光
             朝の歌
モーリス・デュリュフレ作曲 アランの名による前奏曲とフーガ

 知っている曲はなにひとつなく、しかも作曲された年代も19世紀後半から20世紀にかけてと新しい曲ばかり、しかもオルガン曲の作曲家としてのイメージがあまり多くないフランスの作曲家の曲ばかりなので、楽しめるだろうか、と思っていたのだが全くの杞憂だった。
 最初の「春の歌」はのびやかでありながら近代的な雰囲気の曲。オルガンの照明も華やかに色づいていた。2曲目の「クレマン・ジャヌカンの主題による変奏曲」は古くは16世紀、ルネッサンス時代に作られた素朴な旋律に基づいた変奏曲で素朴な感じがした。「月の光」「朝の歌」はまさにオルガンによる風景の描写。いつまでも続きそうな麗しい月夜をあらわわした「月の光」、そしてちょっと寝起きの悪そうなセンチメンタルな朝の様子を表した「朝の歌」など、オルガンによるベルガマスク組曲というような感じがした。そして最後の「アランの名による前奏曲とフーガ」は、「クレマン・ジャヌカンの主題による変奏曲」を作ったジャン・アランに哀悼と敬愛の意味を示していて、フランスの古いレジストレーション(オルガンの音色の組み合わせ方)に基づいて作られたそうだ。バッハの前奏曲とフーガに近いのだろうか、と思っていたが、近くもあり近くもなかった。前奏曲は本当に小さな光が高速度でこまやかに動いており、それがどんどん多彩になっていくような気がした。古い歌に基づいているようだが、新しい感じもした。フーガの出だしはバッハのフーガに近く重厚な雰囲気だったのだが、途中で変化がみられ、知らず知らずのうちにどんどん盛り上がって光が大きくなっていき、非常にドラマチックな動きになっていた。ジャン・アランの代表作の「リタニ」という曲の旋律が使われていると解説に書いてあった。とても華やかで美しい世界だった。「リタニ」いつか聴いてみなくては。
 オルガンはレジストレーションというのが難しいみたい。あのダイナミックさの裏には果てしない苦労があるのだ。楽譜を見たことがあるが3段で複雑極まりなかったのを覚えている。奏法はどうなのだろうか。タッチはピアノとはかなり違うのだろうと思う。ピアノで今困っているからか、タッチの違いが妙に気になる。強弱の表現も気になる。タッチがピアノよりも簡単だったら(おそらくそう甘くはないだろう)鞍替え?いや、そういうことを考えるからいけないのですね。でもやっぱりあのダイナミックなオルガン好きだなあ。今日は100円だから行ったようなものなので、大したことは言えないのだが、知らない曲ばかりのコンサートにも行ってみるものだと思った。
 
 横浜に来た月である昨年の10月末以来のオルガンコンサートだった。人が少ないだろうという予想は外れ、前回と同じくかなりの人が来ていた。こちらに来たばかりの初々しかった(?)ときのことを思い出した。それから6ヶ月。あっという間だった。さて私はこちらに慣れたと言えるだろうか。今のところ慣れた面と慣れていない面とがある。

 さてさて、某本番に専念というのはどこに行ったのでしょう?いや、それは訊かないで~。

弾いてみたら聴いてみたら

2010年04月27日 | ピアノ・音楽
 先週、今週と火曜日続いて別のところでピアノを弾かせていただいた。来月の某本番の曲をたくさん弾いた。私は普段触れることがないようなピアノたち。そんなピアノが弾けるだけでうれしくて(^^)。しかし実際に弾いてみたら慣れないピアノだからかタッチの具合が違う。音が出ないか出すぎるかのどちらか。思った通りの音が出せるようになるまでしばらく時間がかかり、慣れたらうれしくはなるもののなんだかやっぱり慣れた音とは違う。自分のコントロール力のなさを痛感した。そして改めて録音を聴いてみたらなんだこりゃ。ひとまず最後まで通して弾けるようになったものの(そこだけは拍手)、拍感がなくなっているわメリハリはどこかへ飛んでいるわ。ここを出したい、というところは物足りず、ここは引っ込めたいというところは出すぎていて見苦しい、ではなくて聴き苦しい状態だった。でもそういうことに気付けたこと自体貴重だ。そういう発展途上の演奏に感想やアドバイスもいただいて感謝感激。練習のポイントがいろいろと見えてきた。ありがとうございました。

 申し訳ないのですが練習その他がんばりたいので、ブログは更新するものの、コメントはしばらくなしにします。よろしくお願いします。

逆上がり理論など

2010年04月22日 | ピアノ・音楽
 生徒の古文の参考書にこのようなことが書かれていた。「逆上がり理論」と「自転車のペダル理論」だ。

逆上がり理論
 逆上がりというものは、できるまではできない。
子供のころを思い出すと、「逆上がり」は最初はできなくて、何度も何度も地面を蹴って回ろうとした経験があるはずだ。簡単そうに見えるのに、これがなかなか鉄棒にひっかからないのだ。しかし、何度もチャレンジしているとあるときできるんだな、これは。
 なぜだかわからないが、何度も何度も地面を蹴っているうちに、ひょっ、と逆上がりができる瞬間が訪れるものなのだ。そしてすごいことに「一度できてしまえばもう何度でもできる」のだ。

自転車のペダル理論
 自転車のペダルはこぎはじめが重い。だから何事も最初が一番大変だ。

 この参考書は古文の参考書なので、何度も何度も古文に取り組んでいると、あるときひょっと出来る瞬間が訪れる、ということが書かれていたのだが、この理論って他のことにも応用できそう。たとえばピのつく楽器も。
 
 先日アップした音源サイトの「久しぶりの録音」を削除した。過程とはいえちょっとこれはひどい、と思えたから。ピアノにすべきところでピアノになっていないこと自体、楽譜が読めていない、ということだ。(ちなみにそういうことは前のほうができていたような気がする(汗))音色は大切だけど、強弱記号も見れないようではね~。出直しっ。

おもりを乗せる

2010年04月21日 | ピアノ・音楽
 このところいい音を出すのによい練習方法として

腕におもりをつける
手に重みをのせる
手を上から押さえて指を立たせる

という話が続いております。
 やっぱり関節の力をつけるのが大切だということですね。たしかにそうすると、「いい」音がでているようです。鍵盤の近くにいてもそれが「いい音」だと自分で分かるようになるのが、前書いたように課題でもあるのですが(^^;)
 
 超インドアの私には試練ですが、筋力アップを図ろうかと思い始めているところです。

 しかし今日のレッスンは、ほかにちょっといい話もありました。視野開けるかも(^^)

 友達からもなぜかこの時期になって続いて誘いがかかってきた。来月後半になりそうだけど。そこまでひとまずいろいろがんばって乗り越えよう。