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いろはにぴあの

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危険な感覚

2009年05月16日 | 読書
 変なエネルギーが沸いてくるのか自粛するといった矢先にネタがでてきます。こういうことをしているから私の信頼度が落ちるのですが、今回は、大好きな岸本佐知子さんの本が手元にあるので書かないわけにはいかないのです。数年前読もうと決意したはずなのに長い間読んでいなかった「ねにもつタイプ」を借りてきて古巣に戻ったような気分になっています。当時の日記(3月15日から18日まで「気になる部分」になっていました(^^))に記した彼女の「気になる部分」というエッセイにはまっていた思い出も蘇ってきました。

 「ねにもつタイプ」タイトルからして恐ろしそうですが、変なエッセイばかりが書いてあって全然恐ろしくありません。笑いすぎておなかをこわす危険性がありますので胃腸薬が必要かも知れませんが。

たとえば (以下引用)

作法
バンドエイド
(用意するもの ) 人差し指の第一関節と第二関節の間の切り傷、それに巻いたバンドエイド
一、バンドエイドは濡れても絶対に取り替えず、一週間ほどそのままにしておく。
ニ、人さし指を、「スリ」の形に曲げ、ゆっくりと鼻の下にあてがい、思うさま匂いをかぐ。これを無意識のうちに日に数十回繰り返す。
三、入浴時に、バンドエイドが指輪をはずすようにスポッとはずれたら、指のその部分が白くふやけて水玉模様になっているさまを心ゆくまで鑑賞する。
四、はずれたバンドエイドを浴槽の縁に置き忘れる。

(引用以上まで)

 ああ、なんと実感のこもった文章なのでしょう。とくに「手順四」、このようなことをしてしまった記憶は数知れずです。「手順五」には「皺くちゃになったあわれなバンドエイドの姿が発見される」というのをいれてもよいかもしれません。そして「手順六」には「その存在すらも忘れるかのようにさりげなく発見したバンドエイドをゴミ箱の中に入れる」というのをいれてもよいかもしれません。「手順ニ」を「なんと汚い!」と思われるそこのあなた、本当に自分はしていないという確信はありますか?作業をしたりご飯を作ったりするその指から悪臭ががしていないだろうか、と気になっているうちに無意識にやっているような気がしませんか。そういう私はしているような気がする。。。ううっ。

 他にも「それまで気にもとめていなかったことが、突然どうしようもなく変に思える瞬間」とか「肉のもっともまずそうな動物ベストテン」などおかしな文章がたくさん載っています。
 「それまで気にもとめていなかったことが、突然どうしようもなく変に思える瞬間」というのには、腕がついている場所がおかしいとか、鼻の存在がにわかに気になりだしたこととかが載っていました。(以下引用)「ふだんは忘れているが、鼻は視界の下あたりに常に薄ぼんやりと見えている。一度気になりだすともうだめだ。物を見るのもしゃべるのも聞くのも、鼻が邪魔で集中できない。こんなところにこんな出っ張りがあるのは、設計上の欠陥としか思えない。」(引用以上まで )「人間」という字が読めなくなる、という経験も載っていました。(以下引用)「人間?何と読むのだっけ?じんかん?たしかこの言葉はヒトを意味していたはずだが、だったらなぜ「人」の「間」なのか。人と人との間ならば何もない空間だ。何もない空間がヒトだというのか?そのうちに今度は「新聞」という字が読めなくなる。しんきき?にいきき?。。。そうやって私を取り巻くすべてのものが、ゆっくりと意味のない記号に還っていく。自分と世界をつなぐ糸がプツプツプツと切れていき、ついに最後の一本も切れて、私は命綱の切れた宇宙飛行士のように、暗い広い宇宙空間をひとりぼっちで遠ざかっていく。」(以上引用)大変なことじゃないですか。でも最後はこうおさまるんです。「その感じを、私はそんなに嫌いではない。」
 
 しかしだね

 これは何?ここはどこ?私は誰?私はなぜここにいるのだろうか?そしてなぜこんなことをしているのだろうか?なぜこの楽器でこのようなことをしているのだろうか?この音は何?なぜ今この鍵盤を押しているのだろうか?次はどの鍵盤を押すことになるのだろうか?

 お~~~っと!たびたび経験する感覚だけど「そんなに嫌いではない」とは言ってられなそうな危険な感覚です。こういうことも想定しておくことが大切なのはいうまでもありません(^^;)

ばさっと

2009年04月16日 | 読書
 髪を切りました。最近マンネリ化していた髪型、前髪だけをはさみで切ったりもしていたけどやっぱりすっきりせず、えいっ、やっと。すっきりした~。それとともにあらゆる煩悩もなくなることを。。。いや、そううまくはいかないものです。

 職業柄と自分のためにこんな本も読んでいます。
勉強する理由 石井大地著
勉強は自分が幸せになるためにするもの、という考えをもとに、勉強が楽しくない3つの理由、「勉強しなさい!」と言うのが正しくない3つの理由、心の奥底のやる気を見つける3つの方法、勉強に本気になるための3つの秘訣について、筆者の経験に基づいた考えが述べられていましたが、きれいごとではなく、かなり深い内容にまで突っ込んでいました。勉強という言葉の占める範囲も広かったし。勉強だけとは限らないのですが
口では「やる気がある」と言いながら、行動できないのはなぜ?
というような、自分自身についても大いに心当たりのある内容が述べられているのにはっとされられました。

一日一生

2009年04月09日 | 読書
一日一生」という本。著者は比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶、酒井雄哉師だけど、書かれていることばが本当にやさしい。勉強もできなかったし、戦時中は予科練に入隊したものの優秀でなかったために生き延びたし、いじめもしたし、仕事もいまいちだったし、結婚生活も悲劇で終わったりと、悪いことばかりだったけど、縁があって比叡山に登ったことが運命のはじまりだったという。語り口もやさしくユーモラスで、酒井さんはえらい僧侶というよりも気さくなおじいちゃんのように思えた。
 そこから得た人生訓には「一日が一生、と思って生きる」「身の丈に合ったことを毎日くるくる繰り返す」「足が疲れたなら、肩で歩けばいい」「人からすごいと思われなくたっていいんだよ」「ゆっくりと、時間をかけて分かっていくことがある」などがあった。なんだか元気付けられそう。
 今の季節にぴったりだと思えたのが「桜は、精いっぱい咲いている」だ。酒井さんは、「今年も桜が咲いたな」と思ったら、「明日また来ます」って桜に言いながら歩くそうだ。桜には、日本人独特の悲壮感のようなものがあるのだけど、桜にしてみたらそんなふうに思われたくないのではないか、という気が酒井さんはしたそうだ。散ったからといって、寂しがることはない。桜は、いい花にさいて、みんながお花見に来てくれて「今年も咲いた咲いた」って、みんなに喜んでもらうことに、咲くっていうことに意味を感じて、誇りを持っているんじゃないかって。よし、来年はもっといい花を咲かせましょうってね。
 いつの間にか本文の引用になってしまいました。すみません、酒井さん。でも本当にいい本でした。ここまで悟る境地には、私はまだまだ至っていないけど、元気が沸きました。他の方のブログを見て気づいたのだけど、今日(昨日)はお釈迦様の誕生日だったのですね。いいタイミングでであえました(^^)

センセイの鞄

2009年01月05日 | 読書
 川上弘美の「センセイの鞄」読み終えました。泣けました。こんなに泣ける小説にめぐり合えたのは久しぶりです。谷崎潤一郎賞を受けた小説だというのに納得。かなり前から評判のよかった小説でしたね。川上弘美、なんとなく好きな作家のような気がしていたけど、いいです。他の短編も素敵だったし。下手な感想文は書けないので今は保留にしておきますが、気が向いたら何か感想を書くかもしれません。
 ちょっとまえにコメントで国語教育よりも日本語教育だなんて書いたけど、このような文章の前ではなにもかもがひと吹きされてしまいそうです。

高校生のための批評入門

2008年03月21日 | 読書
高校生のための批評入門」は「高校生」という前置きがいらないぐらい濃厚な本。我々にとって身近な話題を扱った最初の文章「みどりのパンドマイム」からのけぞりました。深くて豊かな世界。

 51の文章が載っているこの本。ちびりちびりと読んでいきます。筑摩書房ってなんか好き。全集やアンソロジーをメインから隙間から楽しんで出してきたような気がして。

さらば○区図書館

2008年03月14日 | 読書
 予定より5日遅れてシャンドールの教本を返してきました。今までだったらまた別の本を拝借していたのだけどさすがに今日はしませんでした。それにしても本当にお世話になりました、○区図書館。延滞もよくしたし、結局最後もこうなってしまったけど、使い倒したというぐらいお世話になりました。ブラックリストに挙がっていたかもしれないけど。
 しかしです、広域貸出サービスというものがあり、M市もH島広域都市圏内に入っているという事実があきらかになりました。ということはH市内の図書館と縁を持てるっていうことじゃないですか。ラッキー!でも返すのはM市の図書館ではいけないらしいので、そう調子よくはいかないらしいですが。

 ちなみに昨日書いた河合隼雄さん、フルートは58歳で再開されたそうです。

河合隼雄さんの本

2008年03月13日 | 読書
 昨年なくなった臨床心理学者の河合隼雄さん著の「こころの処方箋」。5年以上ぶりに読み直したのだが、非常に心に染みる内容だったのには驚いた。決め付けるようなところがないし、ユーモアあふれるなかではっとするような鋭い指摘もあった。初めて読んだときは当たり前のことを書いているような気がして、可もなく不可もなくという印象だったのだけど、こんなに深い内容だったとは。文章も読みやすくやさしいし。一旦離れていた本でも、年月を経て経験をつんだ後出会うと、教えられることが多かったりする。だからしばらくは読まない本でも、持っておくのは悪くない。

 河合隼雄さんは、よくこのようなことを言われていたらしい。
『分かりませんなあ』
『難しいですなあ』
『感激しました』
趣味のフルートの演奏会も2005年からされていたらしい。幼少期から吹かれていたとか。

そして昔話の分析もしていたんだよね。かつて格好つけて読んでいたこともあったけど、今度出会えたらもっとじっくり読めるかな。

段ボール箱の中の贅沢

2008年03月07日 | 読書
 今最も頻繁に占めるようになった私の日課の項目。それは部屋の片付けと本の整理です。

 段ボール箱にしまい、部屋の奥やベランダにおいていた本やノートを片っ端から取り出し、スリム化を図ろうと試みたのですが、なにしろ今までの蓄積が蓄積だったために(汗)一筋縄ではいかない作業になりそうです。

 しかし、久しぶりにであった本に再開し、読むチャンスでもあることに気づきました。こんな本を持っていたんだとなつかしくなったりして。おかげで私の読解力はたちまち上昇しました(?)。

 読んだ本はこれらです。
絶望がやがて癒されるまで 精神科医が語るこころの処方箋 町沢静夫著
 いきなり深刻でしたか。買った当時は真剣に読もうと思っていましたが、かつてはこういう本をけっこう読み漁っていたからでしょうか、期待ほど印象的には感じられませんでした。しかし本というものは時をおいて読むと、いろいろ再発見があっていいものです。絶望から本来的な自己を再発見し、いかに自分らしく生きていくかを説いた本です。出会った人たちの実例とともにフロイト、ユングのような精神科医、ニーチェのような哲学者、高村光太郎、宮沢賢治、太宰治、芥川龍之介のような作家、そして町沢氏本人の絶望とのかかわり方についても載っています。そして町沢氏は、生きることは、何らかの自己固有の生きる意味を探す試みであり、意味を作り出す創造行為であると信じていると述べていて、私も共感しました。この言葉、一見難しそうですが、このブログの読者のほとんどの方がそれにむけてがんばっている人のような気がしました。最後に吉本ばななとの対談が載っていたのがなつかしかったです。

ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論 立花隆著
 並々ならぬ読書家でもあるジャーナリスト立花隆氏の読書論と書評です。立花氏はどうしてこんなにいろいろな分野の面白い本が書けるんだろうと思って手に取った本だけど、彼の自慢も入った徹底した方法論にただただ圧倒され、最後まで読む前に投げだしてしまった本でした。「ただならぬ好奇心を持つのは大切だよ、一つのことを学ぶためには借りるのではなくて書店を回って一気に20冊も買うといいのも分かるよ、同テーマの類書を読むのもわかるよ、自分の水準に合わぬ本は途中でも止めるのもわかるよ、疑問に思ったらオリジナル・データにあたるのもわかるよ、でもそれは立花さん、あなただからできたんでしょ!」という屈折した感情もかねて。今回もそういう感情はすべてはぬぐいされたわけではないけれど、でも、そこまでくるとさすがに尊敬、次元は違いすぎるけど採り入れられるものは採り入れようかなという気持ちにもなりました。地下1階から3階までの4階分ある、「猫ビル」という名の書斎を持っているということ自体すごいです。ただ、この立花さん、最近動向をみていなかったのですが、その後も相当な毒を吐いていたようで。。。近くにいたら逃げたくなりそうな人かも。
 この本についていうと、前回はどうでもよくて読み飛ばしたのに、今回いいなと感じたのは最後の「私の読書日記」の部分でした。かたい本からやわらかい本まで、多種多様な本を本当に楽しんで読んできたのだというのが伝わってきました。おかげで私もここに掲載されている本の要点をつかむことができそうです(逃)。

危険な文章講座 山崎 浩一著
 あやしい名前の本です。この本は買った場所も覚えています。H島から消えた丸善という書店の二階ででした。本当にH島のH通から丸善がなくなったときの悲しさはただならぬものでした。一階は雑誌や文庫、二階は専門書、文具やおもちゃなど、三階は洋書や専門書等が置いてあったような気がします。二階のハヤシライスもおいしかったなぁ。なんというか、浮世離れした贅沢な雰囲気で一部を除いては一見役にたたなそうだけど面白いものが転がっているような雰囲気が好きだったのですが。。。梶井さんのように画集にレモンを置いて爆発、なんてことができる前になくなって残念。(やったひといるのかな)
 この本の趣旨は
文章の『バランス』なんて考えるな、『ゆがみ』を大切にすることからこそ理想的な自己表現は生まれる!

です。いきなりいいこと言っているじゃないと勇気がわいてきます。そして例文もなかなか面白い。しかしまだ読み終わっていません。一度に読み終えないほうがよさそうな気がしています。

 段ボール箱にはまだまだ本がありそうです。最高の楽しみだったけど家での喧嘩の原因でもあったもの(ずばり、買いすぎて親にあきれられていました。当然です。)を少しずつ読んで片付けていこうと思います。

クリスマス会の

2007年09月22日 | 読書
 DVDを見ました。遅いでしょう。でもおそくても見てよかったです。充実した内容でした。DVD、見れるだけで、気持ちがやっぱり違います。半年後はクリスマスだし、今見るのが本当はタイムリーなのかもしれませんね。
 私ですが結構がんばっていたかも。上手な人がたくさんいたけど、でも自分としてはがんばっていたかな。指もかたくなっていなかったし。なつかしいです。

 久しぶりに大好きな作家である角田光代さんの本を読みました。「今、何してる?」という本です。この本のこの部分、特に印象的です。なぜなら私は自分は個性がないのでやばいんじゃないかと思ってきたし、実際に人からもそういうことを言われたことがあって落ち込むことも多かったので(しかし反対に向かおうとしたら、変わっているともいわれるし、難しいですね)、この本を読んだら安心できそうだから。
「個性というものは育てたりのばしたり、大事にしたり主張したりするものではなくて、もうどうしようもなくそこにあるもので、あとは自分自身がそれとどのように折り合いをつけていくかなんじゃないかと私は思ったのだった。
 だから、私はふつうであるとか平均であるとかみんな同じであるとかいうことが、だーい好き。何がかっこいいって、平凡であることがかっこいい、と思ってきた。」

 でも本当は、平凡って、とっても難しいと思います。よりよい平凡を目指すのが本当の目標です!

 なんだか妙なことを書いてしまいました(^^;)今日の天気みたいですね。今回はコメントなしにさせてください。



スロープレイイング

2007年06月27日 | 読書
 本の読み方 スロー・リーディングの実践 平野 啓一郎という本が気になります。次から次へと本をあさってもただ読んだということだけが心に残って、内容の消化がほとんどできていないような状態よりは、少なくても遅くても選んだ本をじっくり読み、その本から多くのものを得ようとするほうがいいのかもしれない、と思うことが多いからです。しかしその前に、この本も読まなければならないのですよね、しかもなかなか難しそうだし。

 
「ミステリドラマで英語リスニング-ハードボイルド・ストーリー」を聴き始めました。1950年代らしく、モノクロのような雰囲気のBGMではじまりました。ストーリー自体が殺人事件だし、予想通りのあやしくおそろしい雰囲気。そして内容の聴き取りの成果は?書かないことにします。一回でできるようになると言うこと自体が間違いです。
 その後ショパンのマズルカを聴いて非常にほっとしたのはいうまでもありません。BGMがピアノ曲だらけの英語教材ってないかな?

 スローの世界はリーディングだけでは終わりません。スロープレイングというのもあります。今日の練習。モーソナ第2楽章。曲自体がスローですね。最初の9小節、めりはりはつけるのですが、びょーんと飛び出た部分を減らすように心がけて弾こうとしたら脱力どころか肩に力がこもってきました。お~い。そしてその続きの数小節を弾いていたら、右手の指遣いが気になりだして。本当はなめらかに流れるようにいきたいのよ~。