ゲットしました(^^)/
寺院2枚目の御朱印です。
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場所は、坂東三十三観音の第十一番 岩殿山安楽寺
吉見よと 天の岩戸を押開き 大慈大悲の 誓いたのもし
先月末の巌殿観音正法寺が第十番で
わが日差しあふれるヒザシマツヤマ(申松山)付近には2つの坂東三十三観音があります。
実際には隣町・吉身町にあり、我が家から自転車で5キロくらい、30分以内でした。
今回、行ったのは3連休最終日の18日。
ゴルゴ13が練習する射撃場を越え、県道の坂を上り下り上り下り上り下った先に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/b9/aae90c636558d0aa91ed53f6967d0b12.jpg)
安楽寺の石塔と参道への分かれ道、参道の先に目指す安楽寺が見えました。
階段下まで行きましたが、残念ながら自転車を止める場所が無かったので、
参道を折り返し、100メートルくらい離れた駐車場の隅っこに駐輪。
歩いて参道を階段を上ると、
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岩殿山の看板のある仁王門。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/61/1183f52f994d58cc087bfb8885244bbb.jpg)
仁王門をくぐると、石の参道の先に階段、その上に本殿が見上げられます。
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階段の手前に『坂東第十一番入口』の石塔、階段を上って本殿前で参拝。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/a3/1abd31d162c31f7bf352bcb61ecb9e07.jpg)
残念ながらご本尊の聖観世音菩薩は見えませんでした(T_T)
本堂の左側には、納経所と『八起地蔵尊案内』の石塔と階段。
参拝を済ませたので、まず納経所で
正法寺で購入した納経帳を開き御朱印をいただきに行きました。
その際、
『本殿横の、ハチオキ地蔵尊の階段は上ってもいいのですか?』という問いに
『?・・・どうぞ』とちょい間がある返事。
書いてもらった納経帳をリュックにしまっていると
『これもお供物にどうぞ』とお饅頭をいただきました。
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お供物と聞いたので、私
『お供物?ああ地蔵尊にお供えすればいいのですね?』に対して
『いえいえ、ご自分でお食べください』・・・笑われてしまいました(^_-)-☆
お饅頭もリュックに入れて、本堂脇の『八起地蔵尊案内』の石塔の階段を登ると、
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ee/53e08196b642c5065dc690285c8fd7ff.jpg)
地蔵尊と鐘堂がありました。
蜘蛛の巣に遮られながら地蔵尊に合掌。
階段を降り、次は本堂の逆側の脇へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/03/03dde0e8f8246394fd6adb3778fb891b.jpg)
そこには三重の塔。
説明文には、元々の物は『鎌倉時代に源範頼公が建立』と書かれていました。
再び、本堂への階段を降りると、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/1b/6b8c6bad970d0b73ba7c77d69a3bc876.jpg)
『吉見の大仏』様と
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/87/dc6b673dfdcdfed1bab52751bf6ce99c.jpg)
包帯にくるまれた『地蔵菩薩』・・・ってなんで?
参拝を済ませ、仁王門をくぐり、最初の階段を下っていくと
表面は岩殿山安楽寺と彫られた石塔の側面には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/a6/6ea4d2d647cce93371b27090072addc8.jpg)
『蒲冠者 源範頼』と彫られていました。
安楽寺の説明文には、ここら辺一帯は範頼公の所領だったそうです。
正法寺は、比企能員
安楽寺は、源範頼
わが日差しあふれるヒザシマツヤマ(申松山)と吉身町・・・
『鎌倉殿の13人』で負けていった人々の地でした。
追伸:
納経所のお坊さんのチョイ間がある返事がわかりました。
『八起地蔵尊』は『ハチオキ』ではなく七転び八起の『やおき』でした
・・・はずかし(^_-)-☆
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