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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

今月(3月)の心療内科・精神科の風景。

2025年03月28日 16時07分15秒 | 鬱病
先日、また鬱で通院しているクリニックに行ってきました。今回も多くの患者が待合室におりました。

しかも、医師は常時3名いるのにその日は二人しかいない。90分ほど待ちました。

実はもっとかかるのを覚悟していたのですが、介護職なのか二人連れてきていた方が多かった。

その日は認知症、或いは知的障碍者が多かったと言えます。皆、大きな声で喋っている者が多かったので。

私は何時もの様に薬を渡す場所と会計の真ん前に座ります。私、人の鬱で自分の鬱の重度を計っているのです。それで前で聞いているのです。

でも、今回は違った。明らかに知的障碍者と認知症が多かった。

特に私の並びに座った二人組。一人は介護職。そしてもう一人の40歳前後の男は知的障碍者だった。

大型液晶テレビの前に彼らは座った。テレビでは情報番組で山火事を流していた。知的障碍者は叫んでいた。「助けてぇー、助けでぇー、僕のせいだ。助けてぇー」と。

山火事に恐怖する彼に対し、「お前のせいじゃないよ。テレビから火は出てこないよ。大丈夫だから静かにしてくれよ」と私は思っていた。

しかし、ふと思った。私は彼に近いのではないかと。

私も地震が来ると地震の神に「止めてください、お鎮まりください」と地震が終わるまで連呼する。父母の前でも躊躇せずに叫ぶ。それで地震が鎮まると思っている。

その私と彼は似ているのではないか。少なくても私は僅かながらも知的障害があるのではないか。

最近、また夢を多く見る様になった。夢と現実が交差している感覚になっている。その振幅が激しくなれば、私は認知症になるのではないか。

否、認知症は既に進んでいるのではないか。

勿論、私は61歳。若い頃よりも頭の回転は鈍っている。っと言うより、若い頃から鈍っていた。どんなもんか。

母も認知症だ。祖母も認知症だった。私も認知症になる可能性がある。まともに考えられるのは、あと10年程度ではないのか。

認知症の感覚。知的障碍者の感覚。夢と現実の振幅が激化し、自分の意思・感覚が鈍くなっていく。考えられなくなる。対応できなくなるのではないか。

鬱病は業務・判断を避けると言うか、心労が酷くなる。心が辛くなる病状と言える。

辛さから逃げる為に薬を飲んでいるが、最終的には心の辛さを避ける為に辛さを忘れる。つまり認知症になるのではないのか。

うーん、当たっている感じがする。私の隣で「助けてぇー」と叫んでいる彼ば将来の私か。そして最後は恐怖さえも忘れてしまうのだろうか。

そうなったら、鬱の辛さは消えるだろうが、死とどう変わるのだろうか。ただ生きている幽霊と同じではないか。

そうならない為には自覚がある内に亡くなる事だと思う。

それが正しい成仏ではないだろうか。


ではでは。




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