一応、ブログ名に鬼渡神を掲げています。この鬼渡神は死と生との境界線の神。疱瘡神。旅立ちの神(死出への旅も含む)。そして地震と津波の神でもあります。
縄文時代、一番多くの縄文人が暮らしていた場所はどこか。
それは香取神宮のある千葉県の海寄り、鹿島神宮のある茨城県の海寄り。
次に私が住んでいる仙台市と塩釜神社がある塩釜市、多賀城市。
そして最後に本州の北端である青森県弘前市の周辺だと言えます。
私、スピリチュアル関連は好きではないのですが、千葉・茨城、仙台・多賀城・塩釜、そして弘前は一直線で結ばれています。レイラインと言うヤツです。
何故、この3地域が一直線で結ばれているのか。
それは縄文時代からこれら3地域は縄文人が行き来していたからだと言えます。海岸沿いで山も少なかったのも原因でしょう。
この3地域で共通している点とは何か。
それは日本でも地震が多いという事。そして津波も襲っていると言う事です。
実は香取神宮、鹿島神宮、そして塩竃神社は地震と津波を抑える為に建立されていると私は考えています。この3社の地主神は鬼渡神ですので。
鹿島神宮に祀られている建御雷之男神と香取神宮に祀られている経津主は同神だとされていますが、少なくても二神とも武神なのは間違いないです。
そして塩竃神社にも塩土老翁と共に鹿島神と香取神が祀られている。それはどう言う訳か。
香取神宮、鹿島神宮には要石が存在しています。この要石で地震を起こす鯰を抑え込んでいると言われています。この鯰とは一体何者なのか。
それは鬼渡神の代表的な神・阿須波神でしよう。
阿須波神は蝦夷の神。朝廷側からすれば敵視する神、畏怖すべき神です。
今までも言い続けていますが、「怨霊には武神・仏教、乱暴者(素戔嗚尊)」の考えがあります。
鹿島でも香取でもそして塩竃でも鬼渡神は地主神であるにも関わらず、天津神での武神である鹿島神・建御雷之男神、香取神・経津神により調伏されている。
地震を起こす鯰に落とされ、出て来れないように要石で抑え付けられている。それほど朝廷は鬼渡神である阿須波神を恐れている。
鹿島には「鹿島立ち」と言う言葉が残されています。「鹿島立ち」は一般的には旅立ちを意味します。
しかし、本来は戦に向かう防人たちが、鹿島神宮に祀られている阿須波神に旅の安全を祈願していた。そこから「鹿島立ち」と言う言葉が生まれています。
しかし、鹿島神宮には現在、阿須波神は祀られていない。それは何故か。
それは阿須波神は蝦夷の神だからです。鹿島も香取も蝦夷の地だからです。蝦夷の神への信仰は自分たちの立場を危うくする。消すしかありません。
蝦夷は縄文から続く古からの日本人です。そして朝廷側は大陸から渡って来た者の血が濃い。そして朝廷側は血を嫌う。自らは血を流さない。
だから戦は蝦夷にやらせる。東北である日高見国の蝦夷討伐は、先に朝廷に服従した鹿島と香取の蝦夷達に行わせた。
早くに朝廷に服した鹿島・香取の蝦夷は熟蝦夷(にぎえみし)。仙台・塩釜から東北の最後まで戦った蝦夷は荒蝦夷(あらえみし)と言われてます。日高見国の蝦夷討伐は荒蝦夷と熟蝦夷との戦いだったのです。
続く。