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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

お札や御朱印の転売を考える。

2023年02月16日 13時16分04秒 | 神道
私の友人に宮司がおりますが、最近、ロココ調と言うのでしょうか、大変凝った御朱印帳を販売しました。御朱印帳で天下を取った感じの存在感です。この御朱印帳は売れると思います。

実は友人の神社も御朱印が有名になっております。カラフルな墨を使っています。昔は下手くそな字だったのですが、文字も味がある感じです。

もしやと思いヤフオクで検索したら、500円の御朱印が2000円で落札されておりました。

「うーん、500円で仕入れて2000円で売れるのなら、良い商売になるな」と私の悪の心が芽生え、その話を友人に伝えたら友人も認識していました。ヤフオクで売っている人も把握しているそうです。

「御朱印とはそんな品物ではない。困ったもんだ」と不満を吐露していました。

私、その人の厄払いを願い、お守りや御朱印をプレゼントするのは良いと思います。

しかし、初めから転売目的なんて売る方も売る方ですが、買う方も買う方だと思いますね。

実は瀬織津姫の神社の参拝旅行記を書いている知人のセミナーに出たことがあります。そこでの余興のクジ引きで、某神社のお守りが付いた携帯電話用のストラップが私に当たりました。

私は「私の元に来たのも何かの御縁かな」と有難く受け取ったのですが、後にそのセミナーの主催者とその知人が遣って来て、「〇〇さんは携帯電話を持っていないでしょ。だっらそのストラップを某女性にプレゼントしなさいよ」と言います。

私は「携帯電話を購入したら使います」と言ったのですが、知人らはどうしてもその女性にプレゼントせよと言います。私は渋々その女性に渡しました。

そこで思いました。この知人とセミナーの主催者は神道に対する敬いの心が無い。商売で神道を利用しているだけだと。

お守りやお札等々は神社に祀られている神の眷属様が宿っています。それが一度は私の所に来た。これは神と私との縁です。

それを取り上げた。それがどれほど非道な事なのかが分かっていない。罰当たりな事か分からない。神に対する畏怖の心が全然ない無い。神への敬いの心が無い。

この人達と付き合うのは禍になる。その時、私はそう考えました。そこから縁を切ることを考え出しました。

御朱印に話を戻します。

ヤフオクを更に調べたら有名神社のお札や、有名神社の1月1日に書かれた御朱印は1万円でも落札されていました。

もう、お札も御朱印も完全にコレクターアイテムになっている感じです。これがスピリチュアルブームと言うものなのでしょうね。

でも、違いますよね。眷属が宿るお札や御朱印が転売される。金儲けに利用される。そうなると眷属様はどう思うでしょうか。

神道の神々は畏怖すべき存在です。その眷属様はナアナアが効きません。不敬は禍で返されます。私はそう神道を考えております。

金儲けの為に神社の眷属様か転売される。それは転売する方もそれを買う方にも禍が及ぶ。罰が当たる。

「日本人ならその位の事は分かれよ。そんな者たちは神社に参拝する資格が無いよ」。

私はそう考えますね。


ではでは。







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