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諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ドラマ「ハヤブサ消防団」のラストに、大騒ぎとなった瀬織津姫騒動の顛末を見た。その3

2023年09月19日 12時21分47秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
続けます。

あの「ハヤブサ消防団」を観て新興宗教の怖さを覚えたでしょ。

私、断言しちゃいますが、どんな新興宗教やカルト教団と言われていても底辺の信者達は心が純粋で良い人が多いのです。

私を勧誘に来た「エホバの証人」、「統一教会」、「真光教」、「幸福の科学」らの信者にも悪いオーラの人はいませんでした。

しかし、彼らは自分達が信仰している宗教の知識は無い。宗教の教祖や幹部に洗脳されて、言われたままに勧誘活動をしているだけです。一人では生きられない。群れの中でしか生きられない人達だからです。

彼らには罪は無い。

しかし、自分の人生を自分で考え乗り越えずに、群れの長の話を信じ込んで生きるのは愚か者だと思います。自分で考えて生きてこその人生だと思いますので。

彼らは教祖や幹部たちに神を信じ込まされると、悪の行為であっても善行をしている感覚になる。それが宗教の怖さなのです。

日本においても仏教徒、キリスト教徒、神道の徒は多くの戦や戦争で命を落としている。

それは全て神を語る悪者が、自分達の権力・勢力拡大の為に起こした行為。宗教は戦争兵器に変わる一面が確実にあるのです。

スピリチュアルヒーラーも自分が創造した神を語る。自分は神を宿している。自分は神の言葉を聞ける。前世は神だったとして人を洗脳する悪意の者が大勢います。

極論、そう言ったスピリチュアルヒーラーや新興宗教の幹部や教祖らは、自分が語っている神に対する歴史までは知りません。

彼らも神の真実の歴史を知らないのです。妄想で語っているだけ。だから多くの宗派が乱立しているのです。

例えは「エホバの証人」。

彼らの宗教はユダヤ教(旧約聖書)とキリスト教(新約聖書)をミックスした教えです。大天使ミカエルが人間になった姿がイエス・キリストだとしています。

私、知らなかったのですが、彼らには彼らの聖書があります。同じキリスト教系であっても細部は違っています。それは「エホバの証人」を組織化した教祖の考えによるものでしょう。

っとは言え、「エホバの証人」の信者たちはキリスト教の歴史を知らない。

そしてキリスト教の歴史は変えられない。私が「キリスト教は戦争兵器だ」と言っても理解できない。

キリスト教国はキリスト教の伝道者が最初に異国を訪れ、キリスト教を現地民に広める。現地民をキリスト教に入信される。

そして次に来るのがキリスト教国の軍隊。キリスト教に入信した現地民はキリスト教国とは戦わない。侵略を受け入れる。場合によってはキリスト教国の走狗となって自国と戦う。そうやってキリスト教国は植民地を広めてきた。

私はエホバの証人の女性達に言ってやりました。「キリスト教は戦争兵器だ。キリスト教徒がやっている事は悪魔の所業だ」と。

そう言うとエホバの証人の信者たちは何も言い返せません。その程度の事実も知らなかったのです。

そして彼女らはこう言って来ました。「キリスト教に詳しい幹部を連れて来ます」と。

望むところです。私は快諾しました。


続く。


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ドラマ「ハヤブサ消防団」のラストに、大騒ぎとなった瀬織津姫騒動の顛末を見た。その2

2023年09月17日 07時06分07秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
続きます。

やっぱりストーリーを書いときます。途中から観たので、間違っている部分があると思いますが、ご容赦ください。

先ずはデビュー当初、横溝正史の再来と言われていたが落ち目になった作家の太郎が、父が亡くなり空き家となっているハヤブサ地区の実家を訪ねる。その環境に心地よさを感じ、住むことにした。

村人がやって来て太郎は半場強制的に消防団に入れられる。

村では数か月前から放火と思われる火災が頻発していた。家を焼失した村人は持っている山林を売り払って村を出て行くしかなかった。

その山林をメガソーラー会社が買い占めていた。不信に思う太郎。メガソーラー会社の社員が、メガソーラーを設置する為に放火を繰り返しているのではないかと推理する。

消防団は村八分的な男が犯人だと思っていたが、その男が殺された。その男が殺された後も火災は続いた。犯人は別にいると消防団も思うようになる。

村には映像クリエイターの彩が住んでいた。村興しの為に太郎と彩が組んだ。そのうちに二人は付き合うようになった。

実はメガソーラー会社はかつて6名のリンチ殺人を起こしたカルト教団・アビゲイル騎士団が経営していた。放火はアビゲイルの信者であった消防団の仲間の1人だった。その男も殺された。

ハヤブサ地区は初代教祖と言える聖母・山原展子の思い出の地だった。展子は29歳で病死している。

それでアビゲイル騎士団は彩を二代目聖母として、ハヤブサ地区をアビゲイルの聖地、そして拠点にしようと考えていた。

太郎は山原展子の親友でアビゲイル内で狂人を装っていた映子と、展子の義理の兄であった住職から山原展子の人生と本当の気持ちを聞き、ノンフィクション的に文章を書てい彩に読ませる。

そのうちにアビゲイルの信者がハヤブサ地区に集まる。

彩は聖母になる決心が揺らぎ、信者の集合場所には行かず役場に向かう。そして村内放送でこれまでの経緯と真実を語る。

信者は放送を聞き解散し始めた。アビゲイルの幹部の男は怒り、猟銃で彩を殺そうとする。

太郎は彩を庇い撃たれる。そこにハヤブサ消防団と警察が遣って来て幹部を逮捕すると言う内容です。

人間って辛い思いをすると神に縋りたくなる。自分を受け入れてくれる宗教を信じたくなるものなのですよ。

私もそうですよ。だからこんなブログを書いているのですよ。

でもね、「神と自分」それで宗教は完結すべきです。人それぞれ心の目盛りは違います。神の姿も違って見える。神と自分との間に人を入れるべきではない。

しかし、アビゲイルの幹部の様に宗教で権力を握ろうとする者がいる。自分の権威に快感を覚え、人を洗脳することに喜びを感じ金を踏んだ来る悪がいるのです。

どんな宗教にも悪の権力者はいます。キリスト教にもユダヤ教にも仏教にも神道にもです。

その権力者により信者は苦しむ。金を毟られる。不幸になる。場合によっては命を失う。

最近の旧統一教会もそう。オウム真理教もそう。特に新興宗教はその傾向が強いです。どっかの国で政権を担っている宗教団体もそうです。

そして近年はオウム真理教の問題から、宗教法人を創るのは困難になった。

しかし、宗教で権力を掴みたい。神として振舞いたい。自分の欲望を満たしたい。名声を得たい。金を掴みたいと思う者は大勢いる。

それでスピリチュアルヒーラーが生まれた。

人を洗脳し自分の信者にして、自分の欲望のままに信者を動かし金を巻き上げる。

ヒーラーと呼ばれる大抵の輩はそう言う欲望の塊の人間です。

他にいるとすれば神様病を発症した精神疾患の患者でしょうか。


続く。






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ドラマ「ハヤブサ消防団」のラストに、大騒ぎとなった瀬織津姫騒動の顛末を見た。その1

2023年09月15日 13時00分47秒 | 人を不幸にする禍のスピリチュアル。
ドラマ「ハヤブサ消防団」、最初から観て入れは良かったぁー。失敗した。

ラストの方しか観なかったが、まさかカルト宗教団体との戦いの推理ドラマだとは思わなかった。

だってタイトルが「ハヤブサ消防団」でしょ。そんなイメージ出来ないよ。

作家の池井戸潤と言ったら、企業ドラマの「半沢直樹」が有名です。

私、企業ドラマだとか団結とか、悔しい思いをするドラマは大嫌いなんだよ。

「ハヤブサ消防団」のタイトルから、賄賂を受け取って産廃ゴミ処分場を村に建設する村長ら役場の連中と、それに反対する消防団ら村民との戦いのドラマ。

若しくは火事にハヤブサの如く駆け付け、命がけで人を助ける村の消防団の救命ドラマだと思い込んじゃったよ。だから興味が湧かなかったんだよ。

池井戸潤、タイトル付けるの下手だなぁー。

私と同じ予想をした者も多い筈。内容が分かっていたら最初から観ていたのになぁー。残念だなぁー。

仮にタイトルが「アビゲイル騎士団」だったら、何の事かなと興味が湧く。

「アビゲイル騎士団vsハヤブサ消防団」だったら、「何だか面白そう」と思うだろうに。

その点は作家の池井戸潤よりも編集者・整理記者の経験がある私の方が上かな・・・・・って言ったら怒られそうだけど。

ストーリーは省略しますが、麿赤児演じる住職までもアビゲイル騎士団側だったのはショックだった。

そして曲者の山本耕史が演じる編集者が黒幕なのではと思ったが、スカシだったとは・・・・。

鎌倉殿の13人に出ていた善児役の梶原善も出ているし、どうしてもこの2人が怪しいと思ったよ。

これっ、計算してキャスティングしているな。

まっ、そう言う期待を裏切るスカシは新鮮。変な話、騙されて嬉しさを感じる。先が読める展開のドラマなど面白くないし。

それにしても最初から観たかった。

私、カルト教団とか詐欺スピリチュアルヒーラーの駆除を目的に、このブログを書いている部分があります。

若い頃の私は多くのカルト教団や新興宗教、占い師等々のドアを叩いた。

自分の呪われた自分の人生を祓いたい。自分自身を清めたい。その想いで頭がいっぱいだったのです。今もですけど。

オウム真理教にでさえの話を聞きに行こうと思ったのです。奇麗なオウムのお姉さんとお近づきになりたいとの気持ちも少々ありましたが・・・・・・。

済みません。

昔の私は麻原彰晃が座禅を組んだ状態で宙に浮く事が出来ると思い込む程、純粋だったのです。直ぐに人を信じる男だったのです。

でも、名前は出しませんが、殆どのカルト教団や新興信仰は「貴方の先祖が罪を犯した。人を殺した。殺された者達は子孫の貴方を憎んでいる。その罪を貴方が償わなければならない。水子の霊が憑いている。貴方を恨んでいる生霊が憑いている。貴方は施しをしなければならない。その為にはお金が必要です。全財産を捨てて無にならなければ禍は消えません」等々、多くの教団幹部や教祖に言われました。

困りました。だって私、お金持っていないんですもん。

「地獄の沙汰も金次第」とは言うけど、お金が無い人は救われないのか。そんなのが宗教なのか。こいつら金儲けの為に宗教やっているのではないか。

段々とそう思うようになってきました。


続く。




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