心の平和を求めて・・・

夫と別居中。
私の身近で起きている「性格や考え方に偏りを持つ人」との関わり合いの記録です。

はじめに・・・このブログについて

自己愛性パーソナリティ障害の夫との関わり合いの記録をつづっています。 パーソナリティ障害の人と付き合っていくのは 色々な苦労があります。 この障害の人は相手を思いやることができません。巻き込まれると自分の考え方や、人間性まで深く傷つけられてしまいます。 自分のやってきたことを一度まとめて記録にしようとブログを 立ち上げてみました。
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中。(ダンナが勝手に出て行きました)
ダンナの奇妙な部分などをその都度思い出して書いて行きます。

覚え書き↓
2009年11月  ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月  ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月  姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。

一人もいいけど、誰かといるのもいい

2023-03-03 08:06:00 | 
私は昔からつくづく家族とか、家事とかそういうものに合ってない気がしてた。不自由なこの主婦という生き方に違和感を感じていた。

旦那に嫌な顔をされてた、子供が小さい頃に夜中にワープロ通信にハマったあの頃、主婦なのにどちらかというとこっちの世界の方が自分は心地良いと思っていた。
多分、母になったから、家族の為に母でなければ!家族を優先させなければ、家事をきちんとしなければと思い込んでいたのかもしれない。子育て中は特にそういう脳内成分?が出てくるとかって何かで聞いたなぁ。
私もそうして良妻賢母になろうとしていたのかもしれない。
だけど元々の私は根真面目かもだけど良妻賢母でもない(笑)
それをグッと抑えて良い母、妻になろうと思い込んだ。

もしかして、旦那の逃げ癖がなかったとしても、(最近改めて調べたら、多分旦那は回避性パーソナリティ障害がピッタリハマると行き着いた。多分、あまり外には出てこない発達障害もあるっぽい)
私は一生その違和感を抱きつつ、家族を大切に一生を過ごしていただろう。
もしかしたら神様はそんな私を見て手を差し伸べたのかもしれない。

旦那が逃げるたびに私は引き留めた。なんとか家族を続けたくて必死だった。家族という形に違和感を持っているのに?!
それはダンナのそうした駆け引きのマインドコントロールかもしれない。
振られてなかなか忘れられない…ああいうものなのかもしれない。それは依存でもある。

今の自由な自立している自分はなんだか本当の自分のような気がする。なんだか今の自分にはしっくりくるものがある。

家庭に入り子育てしたり、またパートや派遣で仕事をしたり、そういう遠回りをしたかもだけど、それはみんな大切な経験だった。今ははっきりそう思える。みんな年取った人はそう感じるのかな?

人生に無駄なものは一つも無かった。全ての経験が今自立している私を作っている。なんだかすごいことだと自分でも感じる。

だから今現在、辛い思いや自分の力ではどうしようも出来ないことを抱えている人がいれば言いたい、
大丈夫、それもいつかあなたの大きな経験値になると。今はまだわからないけど、きっと人生を半分以上越えるころそう思える時が来る。

なんだか壮大な話になってしまったけど(笑)

今回ここに書きたかったことは、一人の私も好きだけど、それでも誰かがそばにいてくれるのはとても大切なこと。それは家族であり、友達であり、なんらかで関わっていることそれ自身が宝物と思う。

昨日はバカ後輩の細かいミスで(電気つかっぱなし、社長が戻っても気づかないでお茶を忘れるなど、彼女は一つのことに関わると全体が見えなくなる。よくもそれで総合職候補だったと言えるもんだ)そんな細かいやらかしに私は日々ストレスを溜める。ついつい職場で甘いものを食べ過ぎてしまい、昨日もチョコをばりばり食べてしまう。
昨日もそれで疲れていた。家に帰って食事しながら長男にその話をしてたら、
長男が黙って部屋に行って戻り、はい、ってキットカットをくれた。
それは甘くて何より心に沁みた。些細なことだけど、そういう自分以外からの優しい気持ちってのは宝物と思う。
人と関わることは厄介なことも多いけど、一人もいいけどやっぱり人との触れ合いは大切なことだなと。


コメント
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