
この口ずさみを覚えたのは中学生にもなってからだった。例の奥谷忠彦が試験に出したからだ。こんな歌があったとは知らなかった。何度も何度も北から〇番目は何通りや。と問題が出るので覚えざるを得なかった。しかも最後は五条までしか知らなかった。それから後は今回、NAVERのまとめで初めて知った。ほかの友人も同じようなもので、幼稚園でも小学校でも習わなかったし、近所のガキもこんなんは口ずさんでいなかった。有名になっているのは観光都市京都のネタに単になりやすいからなのではないか。ちなみに、私の実家は魚棚通り。しかし住所は下京区六条通・・・。魚棚通りの一つ下にも六条通りがある。ボクラは疎開地と呼んでいた。戦時中に避難するため拡幅が行われたらしい。小学生の時の同級生、田淵隆俊君の家はこの工事の為、家が3分の一の広さになったと彼が言っていた。が、その家は僕の家の100倍は広かった。

奥谷忠彦先生(平成22年5月1日御逝去、84才)ご冥福をお祈りします。
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