時間

いろんな時間です。仕事の時間。休みの時間。散歩の時間。今は定年退職しています。
気ままな時間。良い出会いができる時間。

今日のコラム

2013-12-31 06:14:16 | Weblog

☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月31日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

総決算

 十二月は総決算の月。このときに当たり、一年の歩みをふり返り、お互いの心のケジメもつけたいものです。この一年、よかったことはよかった、悪かったことは悪かったと、素直に自分で採点しなければなりよせん。

 そしてこの一年は、決して自分ひとりの力で歩んだものではありません。自分で気づかないところで、人びとの協力を得、また思わぬところで迷惑をかけていることもあると思うのです。そんな周囲の人びとの協力に対しては、ありがたく感謝し、迷惑をかけたことに対しては謙虚に謝罪したいと思います。そうした素直な自己反省こそ、次の新しい年の自分の成長にプラスする何かを、必す与えてくれると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月30日東京新聞TOKYOWeb
 
▼じゃんけんで決める。大人の社会でもよくある。寒い中、コーヒーを誰が買いに行くのか。嫌な仕事は誰が。大人が子どものように「最初はグー」とやっている。悪い光景ではない

▼じゃんけんの歴史は平安期からというが、紙、はさみ、石などの「三すくみ」を利用した現在のじゃんけんが広がったのは江戸期と比較的新しいようだ

▼『拳の文化史』(セップ・リンハルト著)によるとじゃんけんの「じゃ」は蛇。大当たりを取った、歌舞伎の「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」の大ガマの人気で、蛇、カエル、ナメクジのじゃんけんが流行したそうだ

▼誰だって勝ちたいと思うが、必勝法はない。緊張すると拳を握りやすいのでパーが有利とも聞くが、当てにならない。気分が悪いのは後出しである

▼東京都知事選は辞職した猪瀬直樹さんの後任選びで全国的に注目されるが、出馬を表明したのは宇都宮健児さんだけで、噂(うわさ)の人物たちは沈黙し後出しを狙っている。都知事選にとどまらない。後出しは選挙戦術として、定着しつつある

▼早く手を挙げるとあら探しをされる。遅い方がインパクトが大きい。先に出た候補の主張を分析する時間が稼げる…。知名度がそこそこある人なら、後出しにはいろいろ利点がある。一方、有権者は、出る人の考えを早く知りたい。吟味したい。戦術とはいえ後出しには器の小ささを見せる危険もある。

☆ 今日で今年も終わり、明日からは新しい年の始まりです。今日も皆様にとって良い一日でありますように、来年もよろしくお願いします。☆


12月30日(月)のつぶやき

2013-12-31 02:43:01 | Weblog

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今日のコラム

2013-12-30 06:11:16 | Weblog


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月30日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

静思の時

 何事も合理的でスピーディなものが尊ばれる昨今、それがスピーディであればあるほど、一方で静思の時というか、ゆったりしたものがほしくなる、これが人情というか、人間の本能的とも言える一つの姿でしよう。だから、これを押さえることは人間の身体や生活を、とんでもなくゆがんだものにしかねないと思います。

 ですから、夜やすむ前、床の上に坐って静かに一日を反省する。やり方はどうあれ、そういう時を持って、一日のケジメをきちんとつけてこそはじめて、そこに安らぎが生まれ、明日ヘの新たな意欲が湧いてくるのではないか。世の中が騒々しくなるほど、そういう静思の時が必要になると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月29日東京新聞TOKYOWeb
 
▼昨日は門松を飾る人をよく見かけた。門松を立てるのは十三日から二十八日までの間が望ましく、二十九日は、「苦を待つ」「苦立て」につながるので、見合わせた方がいいという

▼三十一日も一夜飾りで望ましくない。三十日も二十九日と三十一日の間で良くないそうで、となると、二十八日が門松を立てるのに適した最後の日ということになる

▼縁起が良いに越したことはないが、忙しい中、本寸法にはいかぬ。<門松を三十日(みそか)の夜に立てしかな>。高浜虚子の句もある。「私の家では、正月の設けというものも、とかく大三十日の晩ぐらいにする…」(『俳句の作りよう』)

▼「紙の門松」。門松の絵を印刷した紙を玄関先に張る。岐阜出身の筆者は子どもの時、門松といえばあれだったが、全国共通ではない。東京では見かけぬ。名古屋、大阪出身者も知らぬという。逆に千葉では「今もある」。高知や岡山では紙の方が一般的と聞く。不思議な分布である

▼高知のある印刷所は昭和二十九年から紙の門松を製作している。松林の保護が目的と説明するが、あの頃、本物はぜいたくだったのか。紙の門松に豊かになりたいと願う、かつての日本人の前向きな熱を思う。しかもあの時の方が幸せだったような気さえする

▼破れやすい紙。気にしない。二十九日でも「苦を絶つ」と読めば、それほど後ろめたくないだろう。

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆


12月29日(日)のつぶやき

2013-12-30 02:46:38 | Weblog

今日のコラム

2013-12-29 05:55:48 | Weblog


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12月29日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

理想ある政治を

 政治には理想が大事です。日本をこうするんだという一本筋が通ったものがなければいけない。そういうものがいまは見られません。その場を適当におさめてやっている、そういう状態です。

 いまだ日本が世界で二、三十番目ということであるなら、追いつけ追いこせということで目標もできてきますが、すでに世界で一、二位を争うようになっている以上、そこにより高い目標、理想を打ち出す必要があると思います。たとえ世界で一番ということになったとしても、日本にはもっと大きな役割があるんだからということで、より高い理想を持ち、力強い政治を行なっていくことが必要だと思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月28日東京新聞TOKYOWeb
 
▼昔むかし、牛はお母さんと一緒に、森で暮らしていた。ある日、お母さんは人間に狩り殺されてしまう。「仇(かたき)をうたなくちゃ」

▼牛が考え付いた復讐(ふくしゅう)の手口は、思いも寄らぬものだった。人間に降参し、その乳で人間たちを養ってやるというのだ。「そしたら、やがてわたしたちのありがたさが身にしみてわかるから、仲間同士でけんかをはじめて、殺し合うってわけ」

▼兄弟同士、氏族同士が、民族同士が牛という富をめぐって争い、血を流し続ける。これこそが、牛が仕掛けた復讐。こんな昔話が南スーダンのディンカ族には伝わるという(『ライオンの咆哮(ほうこう)のとどろく夜の炉辺で』青娥(せいが)書房)

▼この不気味な伝説は、かの国の現実を言い当てた予言のようだ。四十年に及ぶ内戦の末、一昨年の夏に南スーダンは独立した。だが、今月始まった政府軍と反政府勢力の戦闘は、もともと牛の牧草地などをめぐり対立していた部族間の憎悪を煽(あお)った。数々の虐殺が起き、すでに千人を超える命が消えていったとされる

▼双方が激しく争うのは、現代産業の乳ともいえる石油の利権だ。人口一千万半数が貧困層というこの国には、豊かな資源がある。国家歳入の98%を石油収入が占め、その多くを軍事費に充てる、そのいびつさ

▼牛の復讐が続く国・南スーダン。私たちが使う石油にも、かの地からの油が含まれているという。


【社説】東京新聞TOKYOWeb
一票の不平等 司法の責任を自覚せよ

2013年12月28日
 

 参院選での一票の不平等をめぐる高裁レベルの判決は、「違憲状態」が大半だった。「国会の裁量権」に大幅譲歩すれば、議員は安住する。司法はもっと責任を自覚し、厳しく臨むべきだと考える。

 五・〇倍の格差を是正しなさいといわれ、四・七七倍にした。これを一般の人々は是正とは言わない。努力をしたとも感じられない。格差はほぼ変わらないと思うのが普通だろう。どうやら、その感覚が裁判官にはないらしい。

 格差とは、選挙のときに生じる選挙区ごとの一票の重みの違いだ。七月の参院選では、最大四・七七倍あった。鳥取の有権者が「一票」とすると、北海道の有権者は「〇・二一票」しか持たなかった。

 全選挙区で提訴され、十四の高裁・高裁支部で、計十六件の判決が出た。十三件は「違憲状態」判決で、「違憲」は、東京と大阪、岡山だけだ。岡山が「選挙無効」としたことは特筆される。

 違憲状態とは、著しい不平等は認めるけれど、国会が是正するまで、「合理的期間」が経過していないとする意味だ。その期間は裁判官のさじ加減で決まる。約五倍の格差で推移していた参院選について、二〇〇九年の最高裁は「定数を振り分けるだけでは格差縮小は困難」と抜本是正を求めた。

 昨年の最高裁では「都道府県単位で選挙区を設定する現行方式を改めるなどの立法措置が必要」とも踏み込んだ。つまり、〇九年から数えると、三年九カ月もの長い時間があったのだ。

 だが、違憲状態判決を書いた高裁の裁判官は、いまだに「抜本的な制度見直しには相応の時間が必要」などという。これほど国会に甘い裁定はなかろう。

 衆院選を審査した昨年の最高裁も同じだ。国会の裁量権を大幅に認めて、違憲状態とした。衆院の〇増五減を「見直しが行われた」と評価した。参院は四増四減だったから、高裁の裁判官も、国会の“努力”を追認したわけだ。

 常識のある人々は、四増四減を小手先とか、弥縫(びほう)策と呼ぶだろう。是正といっても、国会は何の痛みも伴わないからだ。そもそも、利害の当事者である議員に是正を求めることの方に無理があるのかもしれない。

 それならば、司法権こそ、毅然(きぜん)としなければならない。裁判官は良心に従い、独立して職権を行う。拘束するのは、憲法と法律だけだ。誰かの顔色をうかがうような司法では、失望を買う。


☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆


12月28日(土)のつぶやき

2013-12-29 02:42:26 | Weblog

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今日のコラム

2013-12-28 06:22:14 | Weblog


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆


12月28日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

ケジメをつける

 お互い人間にとって、責任を明らかにするというか、ケジメをつけることの大切さは、昔からよく言われてきていることだが、これは今日でも変わらないと思う。もちろん、それぞれに会社の社風や仕事の内容が違うから、その会社の独自のやり方があるであろう。しかし、お互いに自分自身の成長のためにも、また自分の会社がさらに飛躍し、社会に貢献してゆくためにも、ケジメをつけるという断固としたものを、一面において持たなければならないと思う。

 いま一度、それぞれの立場でわが身を振り返り、事をアイマイに過ごしていないかどうか、改めて確かめてみることが大事ではないだろうか。


【コラム】筆洗

2013年12月27日東京新聞TOKYOWeb
 
▼<ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ち上がる…>。石垣りんさんの「弔詞」という詩だ。終戦から二十年たって職場の新聞に掲載された戦没者名簿に寄せて書いた

▼<ああ あなたでしたね。/あなたも死んだのでしたね。/活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとじられたひとりの人生。/たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合つて、ドブの中で死んでいた、私の仲間。>

▼靖国神社には、合祀(ごうし)された戦没者名を記した「霊璽簿(れいじぼ)」が収められている。だが、この若い女性の名はそこには書かれていないだろう。神霊とされるのは「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々」だからだ

▼戦争で犠牲になった人を思い、記憶し続けるのは、とても大切なことだ。ただ、どうしても気になるのは、同じ犠牲者でも神とされる人とそうでない人を分ける、弔い方のありようだ

▼しかも例えばキリスト教徒や仏教徒の遺族が故人を「神」にするのはやめてほしいと言っても、聞き入れられない。安倍首相は閣僚の靖国参拝を「心の問題で自由だ」と言うが、合祀を拒む人の心の問題はどうなのか

▼<戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私たちに近づく。/そうでなければ良い>と、石垣さんは書いている。


【社説】東京新聞TOKYOWeb

安倍首相靖国参拝 真の慰霊になったのか

2013年12月27日

 安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。国の指導者が戦死者を追悼するのは当然の責務としても、近隣諸国の激しい反発を招いては真の慰霊にはなるまい。

 第一次内閣のとき、靖国神社に参拝しなかったことを「痛恨の極み」としていた安倍首相である。

 昨年暮れ、首相に再び就いてからも、春と秋の例大祭、八月十五日の終戦記念日という節目での参拝を見送った。第二次内閣発足一年に当たるきのうが、積年の思いを遂げる日と考えたのだろう。

 首相は記者団に「この一年の安倍政権の歩みを報告し、再び戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓いを伝えるためにこの日を選んだ」と述べた。

◆独り善がりの説明

 国の戦争に駆り出され、戦場に散ることを余儀なくされた戦死者に、その国の指導者が哀悼の誠をささげるのは当然ではある。それが誤った政策判断で突入した戦争だとしたら、なおさらだろう。

 その一方、首相の靖国参拝が、極東国際軍事裁判(東京裁判)によるA級戦犯の合祀(ごうし)発覚後、高度な政治・外交問題と化している現実もある。そのことは、安倍首相も認識しているはずではないか。

 中国は旧日本軍による侵略の、韓国は植民地支配の「被害者」という歴史上の事実は消せない。

 首相が「いわゆる戦犯を崇拝する行為だと、誤解に基づく批判がある」といくら強弁しても、靖国参拝がほかの戦死者と同様、戦争指導者をもたたえる行為だと受け取られても仕方があるまい。

 首相は、すべての戦死者を慰霊する「鎮霊社」にも参拝することで、今回の靖国参拝に「不戦の誓い」を込めたのだろうが、結果として中韓両国の反発を招いた事実は重く受け止めるべきだ。それを誤解に基づくと言い張るのは、あまりにも独り善がりがすぎる。

◆米国が異例の批判

 今回の靖国参拝がより深刻なのは、首相が同盟関係の強化を目指してきたはずの米国が「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに、米国政府は失望している」(在日大使館声明)と、異例の強い調子で首相を批判していることだ。

 アジア・太平洋地域では、中国の軍事的な台頭、北朝鮮の核・ミサイル開発など、安全保障環境が悪化している。日米安全保障体制の信頼性が揺らげば、中国に軍事的冒険の誘因を与えかねない。

 安倍内閣が「対中包囲網」の一環として関係強化に努める東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国が頼りにするのも「アジア・太平洋地域安定の礎石」としての日米安保体制だ。米国との関係を損ねた日本と組んでまで中国と向き合おうとする国があるだろうか。

 中韓両国に加え、米国との関係悪化の先にあるのは、日本の外交的な孤立にほかならない。

 日本がそんな「いつか来た道」を再び歩みだすことを、靖国の杜(もり)に眠る人々が望むはずがない。

 首相は昨年十二月の衆院選に続き、今年七月の参院選でも圧勝して政権基盤を固めた。悲願だった国家安全保障会議(NSC)を設置し、中長期の外交・防衛政策の指針となる国家安全保障戦略を策定するなど、安全保障政策の見直しを着々と進めている。

 経済面では株価が六年ぶりに終値一万六〇〇〇円台を回復。今月の月例経済報告では四年二カ月ぶりにデフレの表現がなくなった。

 特定秘密保護法成立で低下はしたが、安倍内閣の支持率は高止まりしている。就任一年の集大成として靖国参拝に踏み切っても乗り切れるとの「慢心」があるのなら、見過ごせない。

 戦死者、戦没者をどう追悼するかは国内問題であり、外国から干渉されるべきものではないが、靖国神社がその場として今も適切かどうかは、議論が残る。

 首相の靖国参拝や合祀をめぐる訴訟が起きたり、首相や閣僚の参拝に対する中国、韓国などの激しい反発がそれを表している。

◆悪循環を断ち切れ

 首相は高支持率という政治的資産を、靖国参拝という中央突破ではなく、参拝が引き起こす悪循環を断ち切ることにこそ、振り向けるべきではなかったのか。

 首相は、内外の誰もがわだかまりなく戦死者、戦没者を追悼できるような施設、環境づくりにこそ、指導力を発揮すべきである。

 これまでにも、A級戦犯分祀論や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充、新たな国立追悼施設造営など、さまざまなアイデアが浮上している。

 議論を集約し、実現するには困難を極めるとしても、ドイツの宰相、ビスマルクが言うように「政治は可能性の芸術」であるのなら、不可能はないはずだ。

 首相には勇気を持って、一歩踏み出してほしい。「不戦の誓い」に、魂を込めるためにも。


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12月27日(金)のつぶやき

2013-12-28 02:38:30 | Weblog

今日のコラム

2013-12-27 06:41:35 | Weblog


☆ お早うございます、今日もお立ち寄りありがとうございます ☆

12月27日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

投げやらない

 成功する会社と成功しない会社の差というものは、私は紙一重だと思います。

 たとえば、今後、価格の競争が激しくなってくれば、われわれの製品のコストを十%引き下げるということを、当然やらなければなりません。もし下がらなければ、なぜ下がらないかということに対して、内外の衆知を集めなければならないのです。それを、自分の知恵の範囲で、会社の知恵の範囲でいろいろ考えて、これは無理だ、できないと言って投げやってしまえば、これは絶対にできないわけです。どうしてもやっていくんだというところに、一つの成功の糸口がだんだんとほどけてきて、必ずその成果が上がると思うのです。


【コラム】筆洗

2013年12月26日東京新聞TOKYOWeb
 
▼ずるいという意味で「へなまずるい」という言い方が北海道にある。倉本聡さんの「北の国から」で知った。そう言われていたのは「笠松のじいさん」で大友柳太朗さんが演じていた

▼老人が馬を売る場面がある。二十年近く飼っていた馬だが、名前はない。「名を付けると馬に情が移る。手放す時に心が痛む」。かつての富良野の開拓村での厳しい生活と関係があるという

▼農耕などのために馬は欠かせないが、冬になると「食えないから」馬を売る。冬の間、狩猟などでカネを稼いで、春にまた馬を買う。毎年別れがある

▼米軍普天間飛行場の移設問題の話である。沖縄県の仲井真弘多(ひろかず)知事は名護市辺野古の埋め立てを承認する見通しだという。反対する人は天を仰ぐ展開だろう。仲井真さんは県外移設の公約を守れなかった。批判は避けられないが、悪いのは知事一人か

▼「馬小屋から引き出したら急に動かなくなって。涙を流してやんのよ。それから不意に自分からトラックの荷台に上がったもんだ。信じていたオラに何が言いたかったか」。悲しい

▼来年度三千四百六十億円の沖縄振興予算。「へなまずるい」のは馬を手放さざるを得ない状況に追い込む政府と、それを黙認する沖縄以外の日本人全体かもしれぬ。<札束に替えてうま市から戻り>。愛馬を売り払い、札束を手にしても笑えるはずはないのである。
 

☆ 今日も寒いですが、皆様にとって良い一日でありますように ☆


12月26日(木)のつぶやき

2013-12-27 02:35:55 | Weblog

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