正月明け、病院に行って、ようやく旋回するという病は、「もう大丈夫です」と、獣医から完治の御墨付をもらった。老体を襲ってきた病だったが、兎兎は見事にそれを乗り越えたのだ。獣医が、「13才になったんですね。13才という年齢のウサギは珍しいんですよ。その上、あらゆる病気に罹っても、全て克服していった兎兎ちゃんは、表彰してあげたいくらいです。生命力が強いですね」と褒めてくださった。嬉しかった。兎兎の強さには感服する。兎兎の精神力を尊敬する。それらは、私を励まし、負けずに頑張り続けることを教えてくれている。
御墨付をもらったことで、睾丸腫瘍の漢方薬以外の薬は止めることができたが、兎兎の体力や筋力はかなり落ちていて、それらはもう良くなることはないだろうと推測すると、とても哀しかった。それにまだ、兎兎の病との戦いは済んではいないと思うと辛かった。兎兎は睾丸腫瘍を悪性に転じさせない為に、まだまだ戦い続けなければいけなかったのだ。病で大きくなってしまった睾丸腫瘍は、大病が治っても小さくはならなかった。それよりも、睾丸腫瘍はまた大きくなってしまった。でも、まだ悪性には転じていないということだった。そして、一生涯、睾丸腫瘍は悪性に転じる事はなかった。良かった。もし悪性に転じたとき、どのような選択をしたらいいのか、その選択で私は凄く途方に暮れたはずだ。昨年の病以上に苦しむ兎兎を安楽死させるか、苦しんでも頑張り続けさせるか・・・・とても過酷で心労をともなう選択となったはずだ。だけど、その選択をしなくてすんだ。兎兎も苦しまなくてすんだ。そのことは本当に良かった。もしかしたら、兎兎は、悩みまくる私のために、悪性に転じさせないように頑張って踏ん張ってくれたのかもしれない。私にとって兎兎は、子であり兄であり友であった。だから、そのように接する私のことを、ママであり妹であり友だと兎兎は思ってくれていたと思う。
兎兎の食は、病が治っても元に戻らず、それよりも徐々に食事量は減っていった。兎兎の体重は、若い頃は約2.1キロ。最期の頃は、約1.45キロだった。そして、食事量が減っているのに、がくんと食事量が減り、腸内を整える薬をもらってきてから2日後、スティッチスリッパの傍らで、兎兎はお月さんに旅立った。横たわる兎兎は、若き頃のやんちゃで精悍な姿に戻っていた。とても美しく凛々しいと思った。だけど、この世で“兎兎”という存在はもう一生現れない。“兎兎”は“兎兎”しかいないんだ。そう思うと、涙が溢れて止まらなかった。今でも・・・・・。
私は、高齢でも時折見せていた「まだまだわしゃあ若いぞ」と言っているような凛とした表情の兎兎が大好きだった。若いときから変わらない、最後の最後まで見せていた凛々しい顔が忘れられない。若いときから変わらない勝気さと一匹狼的な強さが大好きだった。家に来てから、兎兎は家の主となった。そんな兎兎の『王子様の風格』は高齢になると『王様の風格』になって威厳があった。そんな兎兎が大好きだった。私は毎日言い続けようと誓って毎日言い続けた言葉「愛してるよ。大好きだよ。長生きしてね」を、お月さんに旅立つまで兎兎に向かって一日何回も言い続けた。
にと「兎兎、私に沢山の笑顔をくれてありがとう。兎兎がいつお月さんに旅立つか分からないという事を覚悟してから、約3年間も私と一緒に居てくれて、ありがとう。兎兎のぬくもりはまだ私の掌にしっかりと残っているよ。“撫で撫で”は兎兎よりも私の方が癒されていたんだよね。兎兎はそれが分かっていて、私を癒してやろうと気遣って、“撫で撫で”させてくれていたんだよね。ありがとう、楽しかったよ、兎兎。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さよなら、兎兎」
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