二分金は二分判とも呼ばれ、1818年(文政元年)に初めて発行されました。(文政真文二分金)
2枚で小判1両と交換されましたが、純金含有量(56.4%)は元文小判(67%)より少なく、元文貨幣制度では名目貨幣でした。
しかし、文政貨幣制度では、文政小判(56.4%)と金純度が同じになり、本位金貨となりました。
その後、1828年(文政11年)には、金純度が48.9%に下げられた文政草文二分金が発行され、二分金は名目貨幣化されました。
1856年(安政3年)には、金純度19.6%(重さ5.6g)とさらに金純度が低い安政二分金が、1860年(万延元年)には、金純度は25.9%だが、重さ3gと、金含有量が70%となった万延二分金が発行されました。
(実際発行されたものは金純度は22.8%)
その後、万延二分金は1868年(明治元年)の明治維新後にも維新政府によって製造され(貨幣司二分金)、さらに金純度を18.3%に落としたものも製造されました(貨幣司劣位二分金)。
こちらは明治二分金(貨幣司二分金)です。重さ3g、金純度は22.3%となっています。