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にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

爪切り草

2004-09-07 20:33:29 | サラリーマン退職後
 還暦おやじが子供のころ、母からこの花を「爪切り草」と教わった。咲かない年もあるが、今年は立派に咲いていた。母の生家でも見かけたこの花、母がもってきて植えたのだろうか。この花を見ると、亡くなって8年になる母が、まぶたに浮かんでならぬ。(全写真、クリックで拡大)↓摘み切り草、ツメキリ草、ツミキリ草
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 ↑(2004.8.19撮影) 実家(淡路島)に咲く爪切り草。むかし2~3株だったものが、今年は数え切れないほどに増えて、庭のあちこちへ広がり咲いていた。春先から入院の父に向かって、「早く退院して、我が花を見てくれ!」って、叫んでいるように、この一株だけは、特に大きかった。
 この花、葉っぱが松葉に似ているので、「松葉ぼたん」というのだと、立ち寄った先の妹から聞く。

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 ↑(2004.8.22撮影) 赤だけと思っていたら、白もあったので1株ずつもらって、自宅の猫の額へ植えた。今度こそ根付けよと祈って。(昨年夏、園芸店で買った「松葉ぼたん」は、今年、とうとう芽を出さなかった)

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 ↑(2004.9.7撮影) 花びらが散ったあと、別の芽から再び花びらが開いた。どうやら、根付いたようだ。妻の水やりが、功を奏したようだ。

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 ↑(2004.8.31撮影) 近所にある幼稚園で咲いていた。花びらと茎は似ているが、葉っぱの幅が違う。松葉ぼたんでなさそう。なんとよぶ花だろうか? 花の親戚だろうが、どうやら遠縁のようだ。

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 ↑(2002.8.17DV撮影) 2年前、実家の庭で。
 土間はもちろん、コンクリート庭の割れ目まで進出して、元気よく咲いていた。

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 ↑(1993.8.27VHSビデオ撮影) 11年前、実家の庭で。 「チミキリソウ」と花の名を呼ぶ母がいた。アナログビデオの画質は、今見るとひどい。


さようなら「せみさん」

2004-09-07 15:37:46 | サラリーマン退職後
 今年も夏は終わりました。暑い中、一所懸命鳴いてくれたせみさんともお別れです。ラブラブの後、この世に未練なく逝きました。
あれ! 相棒のボディはどこへ? 羽だけ残してお先に失礼されたのか。(クリックで拡大)↓
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 ↑(9月7日撮影) このせみさん、還暦おやじの奥さんが昨日、ベランダでみつけたもの。カレンダーを見るとその日は「仏滅」だった。還暦おやじは葬る前に、庭先で弔(とむら)った。「南無阿弥陀仏」、ナンマイダンブツ ナンマイダー、「南無大師遍照金剛」、「せみさん」さようなら。猫の額ほどの庭先で、「土に返れよ」と祈る還暦おやじだった。アーメン。

 地球は46億歳の泥のボール。その球面に無数の生命体がへばりついて、動きひしめいている。出合いと別れを繰り返して、そして生命を過去・現在・未来へと(DNAで)つないでいる。繰り返しているうちに、「お久しぶり」って再開する物同士もいるのだろうに。でも、再開したという話を聞いたことがない。過去の出会いの記憶を未来へひきつぐだけのメモリ量が、DNAに存在しないのか。何をいっているんだ、還暦おやじさん。


むぎわら音頭保存会盆踊り

2004-08-16 10:35:58 | サラリーマン退職後
 8月15日(と16日)、伊丹市南野東浦公園で県指定無形民族文化財、「むぎわら音頭」の盆踊り大会が開催された。太鼓のたたき方に興味がある還暦おやじ、音だけでも収録しようと出かけて撮った。(全写真、クリックで拡大)↓
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↑6~7人上っても余裕がある立派なやぐら。三味線弾き3人、歌い手2人、太鼓はワンコーラスづつを交代でたたいていた。

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↑おっと、見逃していた。やぐらの下にも太鼓が二つ、おなじリズムでたたいている。子供のたたき手もいる。練習をよくしているらしく、リズムもばちの動きもピッたしだ。

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↑さぁ、交代。ワンコーラスからツーコーラスへ、音の切れ目でさっと入れ替わる。保存会のメンバー、次世代をになう子供も入って、たたき手の全員が参加していた。

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↑今年からの曲「伊丹わっしょい」、定番の炭坑節・河内音頭・・・などになると、太鼓はやぐらの上だけ。踊り手は、所狭しと踊り続けていた。
 還暦おやじ、頭上にカメラを持ち上げて撮る。上向く首と上げた腕が、だんだんだるくなってきたので、撮影はここまで。


’04 木ノ本自治会の盆踊り

2004-08-08 15:06:18 | サラリーマン退職後
 平成16年8月7日、3年ぶりに木の本自治会の盆踊りが開催された。昨年、一昨年は小学校での共催参加のため、単独開催を止めていた。でも、それまで20年あまり続いていた自治会の盆踊り。なくなって、自治会の集まる機会が減ったことから、再開をものぞむ声が多く、今年、復活開催することになった。(自治会長のあいさつから)。
 わたしも、やぐらの組み立てや太鼓のお手伝いで、3年ぶりに楽しい汗をかかせてもらった。
              (↓全写真、クリックで拡大)
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↑ 太鼓の音をたしかめるあきちゃん。本番前。


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↑ やぐらの骨組みや電気配線は、1週間前に済ませてあったので、今日は、その続きだ。
 朝のすずしいうちに終えようと、ちょうちん・電球の取り付けが着々と進んでいく。今年の役員+いつものメンバーで。


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↑ 本部席も、テントを張り終えた。このあと机をならべて、音響アンプの据付とマイクテストだ。
 建物の中ではご婦人の方々による、おでん作りや模擬売店の準備でおおいそがし。


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↑ やぐらも幕を張り終えて完成した。あとは太鼓をのせるだけ。すでに太陽が真上に昇っていた。一息入れて、夕方まで休憩だ。
 会長、どこからか笹竹を4本、貰い受けてきた。これも、やぐらの4本柱に飾りつけるのだと。
 やぐらに結んだ笹竹を見ると、子供のころの七夕飾りを思い出す。毎年、8月7日が月遅れの七夕だった。今日はその8月7日だが、昔のような飾りつけは見られない。


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↑ さぁ 本番開始だ。でも、空の雲行きがあやしい。
  案の定、中盤で雨が降ってきた。踊り手は、雨宿り。かみなり音は聞こえないが、西北の空にいなびかりが走る。やぐらの上からだと、よく見える。
 その間も、かみなりに負けじと曲が流れてくる。いそいで太鼓にシートをかぶせて、たたき続けた。ばちをにぎる手は、雨でぬるぬる。あきちゃんと二人、交代しながらがんばった。
 運良く20分ほどで雨がやんだ。お子さん向けの花火のプレゼント。その後、再び踊りが始まる。月がないのに、「月が~でたで~た~、月が出た。三池炭鉱のうえに~でた~・・・・・・・」
 いつのまにか、終了の予定時刻を越していた。が、再三延長して踊りが続いた。復活した盆踊りの一夜だった。


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↑ 終わったらすぐ撤去だ。毎年やってたことで、1時間できれいさっぱり。
 やぐらがあった位置には、スチールパイプの跡形が残っている。
 「みなさなん、お疲れ様でした。また来年」と言っているようにだ。


'04 摂陽小地区の盆踊り

2004-08-02 18:36:09 | サラリーマン退職後
 7月下旬、台風10号が西日本を直撃。四国に上陸し、中国地方を通って日本海へ抜けていった。被害にあわれた方には、お見舞い申し上げます。
 こちらの地域も雨風の心配が拭い去れず、土・日二日間の盆踊りは難しくなった。案の定、初日(7.31)は中止。2日目(8.1)は出来そうだと、急ピッチで準備再開。関係者のご努力で電灯ちょうちんややぐらが出来上がった。今年はスピーカーが大きくなっていた↓(全写真クリックで拡大)
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↑2004.8.1夕 (今年は、たたき役でなかったので、本番がはじまる前、チョットだけたたかせてもらった)


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 ↑昨年(2003.7.26・27)  ↑一昨年(2002.8.10・11)

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↑今年も、本部席の右ではカキ氷を求めて行列が。。。

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↑こちらの売店には、ラムネがあるのかな?


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↑いよいよ本番、今年のたたき役が太鼓をたたき始めた。
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↑合わせて踊るのはまず「炭坑節」。踊り始めをリードするのは、○○踊り会のみなさん。だんだん、踊りの輪がふくらんでいく。
 この後、かね・太鼓・踊りが時間いっぱい続いた。昼の暑さを吹き飛ばすように!
 おとなりさんも、お子様を連れて縁日まわり。二世代・三世代のコミュニケーションが続いていた。


せみの演奏

2004-07-21 22:42:48 | サラリーマン退職後
 今年の夏は、観測史上最高の猛暑だとか。7月も下旬に入って、日本各地で日中の温度が39度~40度を超したとテレビが報じていた。そんな中、わが世を得たりと、せみの鳴き声が大きい。
 今朝は鳴きだすのが早い。まだ朝の6時前だというのに、すでに合同演奏のように鳴いている。せみの声で目をさました還暦おやじは、カメラ片手にせみの演奏を追ってみた。
 小学校まで行くと校庭に樹木が多く、せみの鳴き声がはげしい。鳴いてる様子を大きく撮ろうとズームアップするが、木々の背が高くて、くっきりと撮れない。あきらめての帰り道、ご近所の庭木で撮って欲しそうに1匹が鳴く。しめた! 逃げるなよ! そっと近づきシャッターを押す。なんとか一匹撮れた。
(全写真、クリックで拡大)↓ (撮影:2004.7.21 7:00)
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↑ 松の木の中から、みーん・みーん・みん・みん・・・・。鳴き声がするが、姿は見えない。どこにいるの?(中央にいるよ)

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↑ ズームアップしてみると、羽と下半身をふるわして鳴いている。みん・みん・みん・みん・・・・。ボディを楽器のようにして、みん・みん・みん・みん・・・・。  鳴くのはほんとうに雄だけなの? では、メスを呼ぶラブコールなの? それなら精一杯鳴いて、早く結婚相手をみつけてくれ。
 せみのそなたは、1~2週間の短命と聞くが、悲しくないかい? (いいえ、幼虫時代を地中で10年あまり過ごしたので、悲しくないよ。今は、「せみのソナタ」の演奏が忙しく、毎日充実しているよ。人間様には、しばらくうるさいでしょうが) そうか、せみのラブソングなら許しちゃうよ。一所懸命鳴いてくれ。夏の暑さを感じさせる元気な声で。

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↑ もっとアップにしたら、羽がなかった。だが、よくみると透明の羽がついていた。それにしてもこのせみ、よく太っているなぁ。なんというせみなの?子供の頃なら本で調べるのだが、そんな気のきいた本は手もとにない。家族に聞くと、「くまぜみ」といっているが本当か?(そんなことは人間様が勝手に名付けたことで、なんでもいいよ) そうだな。今は、そなた達の夏だ。精一杯鳴いて、そして幸せな時間を送ってくれ。さようなら。


おだいっさん

2004-07-17 23:17:43 | サラリーマン退職後
odaishi1←実家に帰ったら、床の間に懐かしいものあった。「おだいっさん」と呼ぶ、持ち回りお大師講の「弘法大師」像である。(クリックで拡大)

odaishi2 近づいて像を覗き込むと、昔ながらの色あせた像。顔面は、むかしの傷が補修されておらず、痛々しい。→ (クリックで拡大)
 講中(こうじゅう)の家から家へ、毎月持ち回るお大師講の主役である。何百年もの昔から続いているのだそうだ。私が小学時代、わが家が当番に当たるとき、前の当番の家へ、このお大師像と掛け軸を貰い受けによく行ったものだ。中学~高校時代に、いつも行く祖母に代わって、何回か講に出席したことがある。真言のお経を上げているとき、みんなもお経を繰るが、わたしは声をだせず、口だけぱくぱくさせていた。お経の後、茶菓子をいただきながら世間話を聞く。高齢者の話題は、歴史話や教訓が多かったように思う。

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 最近は、そらんじている人が少ないのか、そばに、お経の本が置いてあった。→
 教本を開いて読むも、日常用語と異なるので、なかなか読めない。(法事で集まったとき、おじゅっさんが各人に配ってみせてもらえるので、最近、少し読めるようになった) ふりがなが書かれているので、小学生でも読めるはずなのだが。書かれた内容をワープロで打ってみたので紹介する。興味のある方は、クリックをどうぞ。↓(拡大表示)
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花火

2004-07-05 20:43:36 | サラリーマン退職後
三原町の花火大会。
 携帯にレンズがあったのでボタンを押してみた。
暗闇だから写るかどうか心配だったが、まぁまぁ撮れていた。

 並べたら人生の移り変わりに見えたので、世代の数字を入れてみた。
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20代p504002

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 ↑ 30代が一番元気よかったのかなぁ。
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 ↑ ここから還暦過ぎの人生。私の未来だ。
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 ↑ おれの最期はここまでくるだろうか。この花火はまろやかだが、わたしはどうなってるだろうか? でもこれは、手ぶれのようだ。
       (撮影:三原町健康広場2003.8.15)


あざみ

2004-07-02 11:06:55 | サラリーマン退職後
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近所の駐車場の片隅に咲いていた。撮影:6月19日
 この花を見ると、あぜの草刈を思い出す。田舎の田んぼのあぜには、夏場、萱(かや)がうっそうと茂る。そんな中、萱に負けるものかと、ところどころにあざみが生えていた。萱は刈り取って牛のえさにするのだが、あざみにはとげがあり、牛も好まないので刈り残す。きれいに散髪した後のあぜには、ぽつんとあざみだけが咲き残る。命を残していただいて有り難うと言っているようにだ(当時は、鎌による手刈りだったので、しんどかった)。
 最近のあぜはコンクリート造りだから、あぜに生えるあざみの光景はなくなった。でも、今住んでいる近くの駐車場に、あざみが生えていたので、思わずカメラを向けてしまった。


やまもも

2004-07-01 00:58:59 | サラリーマン退職後
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↑近所の敷地にやまももがなっていた。撮影:6月25日

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↑ズームアップしたら、採って食べたくなるでしょ。でも、ここは他人の敷地。撮影だけを許してもらう。

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↑さらにズームアップしてみた。たべころは、数日後かな。赤から紫色に色づいときが最高だ。見た目は、野いちごみたいだが、中に大きな種があり、味は酸味が利いていてぜんぜん違う。
 むかし、ふるさとの里山にもたくさんなっていた。田植えの合間、もぎ取って家族で食べたのを思い出した。
 子供のころ、田植えの手伝いより木登りの好きな私は、親父の許しが出ると、水を得た魚のように里山へ駈け走る。5~6メートルある木に登り、小枝を折る。樹上生活する猿のように。でも、樹上ではつまんで食べなかった。木の下で監視する弟へ、そっと落として集めていた。
 もぎ取った粒は、麦わら帽子いっぱいになった。こぼさぬように抱えて、休憩する家族のもとへ一目散にもどる。あぜに腰をおろして、味の批評をしながらつまんで食べる。
 突然ばあさんが、胸元から半紙を取り出して、小分けしだす。近くに、ばあさんが生まれ育った実家があるので、おすそ分けするのだと。家族で分け合って食べたときの味は、格別だった。
 でも、当時を知っているのは、今では親父と私と弟だけか。だんだん減っていくのは当然だが、でも、寂しい。


野いちご

2004-07-01 00:52:37 | サラリーマン退職後
noichigo
 ↑これが野いちご。食べると、種がなく美味しい。
 むかし、河川や池の堤防に多く生えていた。たくさん見つけたときは、草の幹に数珠のよう刺してから、少しづつ抜いて食べた。持って帰って、家族と分けて食べたこともあった。母親にあげたとき、美味しそうに微笑んで食べていた。そのときの笑顔は、今も忘れられない。
 味は、酸味がきていて、栽培いちご(店に売っているの)とぜんぜん違う。食べられない「蛇イチゴ」というものがあるので、見分けることが大事ね。


あじさい

2004-07-01 00:48:08 | サラリーマン退職後
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ご近所のあじさい。金あみから くびを出していた。 (撮影:6月19日)
 あじさいを見るたびに、葉っぱに目が行く。実家の畑に生えていた甘茶の葉にそっくりだから。甘茶の葉っぱは煎じると甘いお茶になった。
 4月8日はお釈迦様の誕生日。1カ月遅れの5月8日、実家近くの庵では毎年、甘茶かけが行われていた。子供のころの話しである。れんげや、やたんぽぽの花で飾った小さな御堂。その中に、右手を上げた小さなお釈迦様像が立つ。頭から甘茶をかけて、それから自分の湯のみに注いで飲む。最初は苦いが後からじわーっと甘さを感じる。砂糖が少なく高価だった時代、甘い飲み物に喜んだものである。
 甘茶の葉っぱはあじさいの葉そっくりだ。それは植物の親戚だからか。もう一度はっぱを摘んでみたい。でも、実家の畑は耕地整理されて、おおきな田んぼになっていた。まわりを見渡しても、どこにも甘茶は生えていない。(残念)


還暦祭り

2004-06-30 22:21:04 | サラリーマン退職後
 2004.3.16 南淡町(淡路島)賀集八幡の丹生(にぶ)神社で還暦祭りがあった。毎年、還暦を迎える地元の男女が集まり祝うのである。今年は、わたしも参加させてもらった。男子は白い装束(しょうぞく)で神輿(みこし)をかつぎ、八幡境内から中山の大明神(明神さん)までを往復した。途中の一般道は、神輿を車に乗せて運んだので、楽だった。昔は肩にかついで練り歩いたそうだ。往復すれば1里(4km)を越すであろうから、さぞ、しんどかったことであろう。

 ビデオから取り込んだ写真なので、ピントがあまいが、ご容赦ください。 (全写真、クリックで拡大)
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↑神主さんに祝詞(のりと)を上げてもらう。

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↑そのあと、お払いを受ける。

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↑代表が御礼。

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↑神主さんの太鼓に合わせて、巫女(みこ)さんが舞ってくださる。

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↑これから中山の大明神へ行こうか。
 その前に、御輿の前で記念写真を撮ろうよ。

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↑御輿を階段の下へ降ろすのだ。そろそろと。

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↑境内だけでも担いで行こう。

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↑巫女さんもついて行く。

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↑境内を出たところ。
ここから一般道。御輿は車に乗って中山の明神さんへ。先導のパトカー、前へ回ってね。

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↑ありがとう、パトカーさん。無事、明神さんに着きました。

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↑御輿を降ろして、担ぐのだ。

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↑鳥居が狭いぞ、そろそろと。

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↑入ったらここらで降ろそうか。

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↑明神さんの神主さんにお願いをして、

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↑お払いを受ける。

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↑祝詞を上げていただき、

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↑笛の音にあわせて、巫女さんが舞う。

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↑明神さんから車で戻って、八幡の境内だ。緩やかな上り坂だが担いで、

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↑わたしも担いで、

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↑最後の練りで、

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↑やっと戻った。おつかれさま。