No. 2179 所得隠しの聖地(9月12日)
‛神罰、仏罰何のその’か、宗教法人は宗教活動で得た所得には法人税はかからない。宗教活動は収益事業とは見做されてはいないからだ。お賽銭はもとより、奉納、喜捨に領収書は普通は書かないだろう。現金による収入だから、税務当局も把握しづらいカネだ。そんなカネを神主や住職が個人的に使えば、宗教法人が神主や住職に給与を払ったに等しく、所得税を源泉徴収しなければならない。それを怠っていた宗教法人が7割に登ったことが、国税庁の過去5年間の調査で明らかとなった様だ。神仏に仕える人間の所業で、賽銭ドロと同類項の呆れた話だ。
日本のお寺やお宮は住職や神主が世襲の所が多いせいか、金銭感覚が個人商店と同じようになっているのだろう。収支の処理も杜撰にならざるを得ないようだ。下世話に“宗教はカネになる”と云われる所以だ。下世話に類する今一つの指摘は、一神教の国民からだが、‛日本人には宗教心と云うものが有るのだろうか’というもの。お七夜には赤子とともにお宮へ参り、結婚式はキリスト教会で、葬儀はお寺の厄介になる、謂わば三本立てだ。神や仏に仕える宗教人に左様なことは無いとは思うが。