よろず放談

日頃見聞きする種々の事柄に対しての独断と偏見による辛口批評

名は体を表す?!

2005-04-25 13:03:13 | 言葉
つい先日バス停で市バスを待っていたら、目の前に洋菓子店があった。

店の名前は"Plaisir". このままにして置けばよかった。ところが

ご丁寧に間違ったふりがなを付けてしまった。”プレジュール”。この語が

英語のpleasureプレジュアと同根だと分かってのことか。勿論”プレズィール”

でなければならない。こういう例は時々見かける。ドイツ語Inselインゼル(島)を

”インジェル”と思っているパン屋さんもあったっけ。

商品のイメージ作りのために、関係のある外国の名前をつけるのは少しも構わない。

しかし、それならそれで、正しい発音を確かめるために、信用の置ける人に

相談する手間を惜しんではならない。そうでないと肝心の商品まで”訳あり”

ではないかと疑いたくなる。

 Plaisir ですぐ心に浮かぶのはクラシック歌謡の”Plaisir d'Amour"

(愛の歓び)である。”愛の歓びは束の間の歓び、愛の悲しみ永久(とわ)

の悲しみ”と歌うあの有名な歌。原歌詞はフランス語とイタリア語の両方があるが

フランス語の方がしっくりする。作者はGiovanni Martini というから

てっきりイタリア人かと思うと案に相違してフランス人のペンネーム。こういう例では

あの宝塚少女歌劇の名歌”すみれの花咲く頃”の本歌"Quand refleuriront les lilas

blancs" (白いリラの花が咲く頃)が作詞者Fritz Rotter、作曲者Frantz Dölle
 
というドイツの歌の替え歌であったり、シャンソンの”ラストダンスは私と”

がM.Schuman作曲のアメリカの曲であったりする。最後にデカイのをもう一つ。

フランク・シナトラの熱唱で有名な”My Way".ポール・アンカの作詞で

人生の終盤を迎えた男が”おれはやったんだ。とことんおれ流でな。”と

胸を張り、誇り高く聳え立ちながら雄叫びを挙げる。アメリカ気質の標本

のような歌がもとを正せば、シャンソンの”Comme d'habitude"(いつものように)

の替え歌で、しかもその歌詞は、しがない共稼ぎのサラリーマンの冴えない一日を

自虐的に歌ったもの。”目が覚めた。あいつはまだ眠っている。揺り起こすと

背中を向けて知らん顔。いつものように----いつものように----いつものように”

という調子。こんなうらぶれた歌が歌詞を変えると途端にあんなに勇ましい歌に

変身する。いやはや!