アユモドキはモンスーンの賜物だ。イネと同様に日本人の生業を支えてきたモンスーアジアの恵みでもある。その魚はいま絶滅の危機にある。もしかしたら、絶滅に備えて、記念日を準備する必要があるのかもしれない。
モンスーンの賜物
その日、シーボルトは一行より早く東海道石部宿(滋賀県湖南市)を出発し大津へ向かった。江戸へ向かう途中、立ち寄った薬屋に薬草などの植物採集を依頼してあった。長崎のオランダ商館医であるシーボルトは植物学の造詣は深いが、魚類が専門であったわけではない。旅程を急ぐ彼が足を止め、アユモドキを選び、持ち帰った理由はなにか。
シーボルトは当初現在のインドネシア,ジャカルタ近郊に赴任している。アユモドキの仲間は東南アジアには種類も数も多い。私もラオスの市場でこの仲間が山のように積まれているのをみたことがある。シーボルトはインドネシアでアユモドキの仲間を見知っていた。彼はヨーロッパにはいない魚が日本にもいると思ったのではないか。
アジアに雨季をもたらす季節風・モンスーン。雨季となり川の水位があがり、乾いていた草原に水が浸かると産卵をする魚たちは、雨季の終わりとともに川に戻って行く。雨季に冠水する草原の植物から、人類はイネの仲間を見つけて、栽培し、食料とすることで豊かな暮らしを手に入れた。日本でアユモドキが生き残っている三本の川の流域は、全て、モンスーンに由来する梅雨の時期に、水路を堰上げることで田に水を引き、稲作を行ってきた場所だ。アユモドキとイネはモンスーンの賜物なのだ。
淀川水系桂川流域。最後のアユモドキ生息地では、水田を埋め、京都スタジアムの建設が進められている。計画ではアユモドキを生かし続けるために、水田を模した湿地・水路をつくるという。しかし、稲作という人々の営みを離れて、アユモドキは生きていけるのか。
スタジアムが竣工する日をアユモドキ記念日としたらどうだろう。モンスーンが運ぶ雨をたよりに、生きてきた小さな魚が消える。その日は、私たちが築いてきたモンスーンアジアとのつながりをひとつ、失う日でもあるのだから。
前回の アユモドキ記念日と合わせてお読み下さい。
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