リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

第62回  旅人の選んだ川 柴田勇治さんへ

2017-09-03 15:02:06 | ”川に生きる”中日/東京新聞掲載

人には、様々な出会いがある。ボクが長良川と係わりを持つきっかけは柴田さんとの出会いだった。漠然と、河口堰建設の問題に向かい合おうと思って長良川を訪ねたときに、もし、柴田さんと出会わなければ、果たして、反対運動をはじめていたかどうか?と思う。昨年亡くなる前にお会いする機会が合ったのだが…。

あの時、見かけた車を追いかけておけば、といまも悔やんでいます。

旅人の選んだ川

訪ね先のあてもなく長良川に向かった。1988年三月始め、七月には長良川河口堰の建設が始まる年だった。

私はその前年、大学時代の恩師が以前係わった「木曾三川河口資源調査団」報告のとりまとめを依頼されたが、長良川に行ったことは無かった。

 桑名から岐阜まで川沿いをたどる。春も早く、漁をする人はいない。北上して郡上八幡を見て帰ることにした。

支流吉田川沿いの「ふきのゆ」という民宿、宿の主人に借りた一冊の本「郡上釣り アマゴ釣りの原点」(山と渓谷社)。その本には魚釣りが職業として成りたっていた郡上八幡の暮らし向き、6名の職漁師のワザが、精緻な図と聞き書きで解き明かされていた。

筆者の柴田勇治さんは一九三八年長崎生まれ。日本各地を訪ね生活文化を記録、三十代からは「旅行読売」の特派員として8年半、百数十カ国を取材されたという。当時、生活の場を東京から郡上に定め、一三年目。訪ねたお宅には、表情豊かな長良川のアユ、アマゴの水彩画、シルクロードで描いたという仏像のスケッチ、膨大な量の各地の写真。郡上踊りのお囃子を録音したテープなどが所狭しにおかれていた。   

めがね越しの瞳は鋭く、好奇心に満ち、小柄な身体からは、見聞きした全ての事象を描き、記述しようとする情熱が溢れていた。

出会いから後、私は長良川に通うようになる。生物だけでは無く、人のくらしを通して川を見る。川を捉える視点もまた柴田さんに学んだものだ。

あまたの地を巡った旅人が、終の場所と定めたのは長良川の畔の地だった。昨年の盛夏、画人は自宅前に鮎釣りに出かけ、不帰の旅人となった。

柴田勇治遺作展。郡上八幡樂藝館。9月18日まで。☎0575-66-1011

 

 

 

 

 

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