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新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代31「音楽班に入る(その1)」

●音楽班に入る(その1)

 昭和半ばの柏崎市立比角小学校での生活も4年を終えた。5年生になると課外活動的なものが週一回程度に組み込まれてきて、私は小さい頃から6歳上の兄に仕込まれて少しばかり上手だった卓球の班に入って、スマッシュなどと叫んではピンポン玉を打ち込んで連勝を重ねて得意になっていたものだ。
 当時の柏崎というのはどういう経緯なのか、雪国で通年で野外運動が活発にできなかったためなのか、卓球が非常にポピュラーになっていて、取り組む人の裾野が広かったので、私のように少しばかり上手な手合いはごろごろしていて、むしろ小学生ながらスパルタンに打ち込む者も少なくなかったので、自分が全体の中で埋没していく情けなさを直ぐに感じ始めたものだ。
 また、スポーツといえば、小学生くらいだと野球や排球など球技をやるにはまだ身体が出来ていない中で、背格好にあまり関係なく進展していける水泳に取り組む子供たちが”先鋭化”していくことになる。
 低学年の頃から水泳授業の時間を得意げに過ごし、その道に通じた教諭から見出された同級生たちは、集められて授業外で練習するグループに入り、発育の早い女子はもとより比較的大柄の男子なども異常に筋肉が強化されて逆三角形で大人びた体つきとなり、ある種異様な集団を形成していた。
 同様に、駆けっこの得意な韋駄天系の児童なども陸上というカテゴリーのグループに引き入れられて、短距離など専門的で大人びた練習に加わって逞しくなり始めていた。虚弱で肥満になり始めていた私は、そうした彼らに威圧感さえ感じていたものだ。
 そんな私ならば私らしく何もしないで放課後は家に引きこもって好きな自作の漫画でも描いていればよかったのであろうが、どうしたことか、授業が終わったらすぐ帰宅するようなスタイルは格好よくなくて、何か学校でやることがないものかと悶々とした感じになっていた。小学校中学年まで毎日のように放課後に公園などに繰り出して草野球などに興じていた仲間たちが、5年生になって急に”水泳”だ”陸上”だと言い始めて各々のチーム活動へと参画していく姿は大人びて見えて、私は置いてけぼりを食うような心情になっていたのかもしれない。
 子供たちは体育会系ばかりではないので、当然のことながら対極にあるような文化系のグループというものもあった。その代表格というか、それ以外にあったかどうか思い出せないのだが「音楽班」というものが文化系における最大勢力だったと思う。
 当時の我が小学校の伝統や、教諭陣の中での力関係などもあったのかもしれないが、金管楽器などの装備が非常に充実していたと思う。そしてそれらはキラキラと輝き小さな子供には非常に魅力的なアイテムだ。単純な美しい楽器への憧れであってもそれは純粋なのだから入門の動機としては良いと思う。しかし、私はどちらかというと体育会系に行けない後ろめたさ情けなさみたいなものが根っこにある中で、何もできない自分にはなりたくなくて、少しでも入り易そうだからということで音楽班の門を叩いたようだったと思う。何故なら当時の私には、家庭環境的にも自らの趣味においても、楽器演奏などというもののエッセンスは全く持ち得ていなかったのだから。

(「柏崎こども時代31「音楽班に入る(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代32「音楽班に入る(その2)」」に続きます。)
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