新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代12「自由な生活時間の下での映画クラブ」

●自由な生活時間の下での映画クラブ

 風呂は共用で時間制限があり、同じ敷地内に住む大家の目も気にしがちだった下宿時代に比べ、独りのアパート暮らしは活動の時間も場所も完全に自由となった。光熱水費の支払いや部屋の設備のメンテ、管理会社とのやり取りなど手間は増えたが、社会で生きていく上で一人で出来ることが増えるのは為になった。
 アパート暮らしになると、当時は時々催されていた名画のオールナイト上映や部室とか友人宅に集まって夜通し吞んでの歓談などへの参加も遠慮なくできるようになった。"風呂に入ってビール"が毎日のルーティーンだった私は、下宿時代のように風呂の時間を気にしないだけでも有り難いことだったのだ。
 映画クラブには、自分の知らない優れたタイトルを知り得る意図で加入していたが、部員の中には偉く執着しているマニアがいてそのこだわりを時に延々と聞かされるのには辟易とした。一方で、鑑賞以外の活動であった8ミリでの自主映画撮影は、一人では出来ない"部活の醍醐味"でもあり、昼夜を問わずに参加したものだ。
 私は幼い頃によくマンガを落書きしていたが、下手の横好きレベルと見抜いた母から、マンガ家になりたいという希望の芽を早い頃に摘み取られていた。それでもイラスト描きとか雑誌の編纂に関心を持ち続けていたので、映画クラブの活動の中で、同人誌的なものの制作に自分のイラストを使ってもらったりもした。
 イラストは映画クラブ部員による名画批評などに添えるほか表紙も描かせて頂いた。大学生の手作り同人誌とはいえ、印刷業者で製本するとそれなりの見栄えとなった。B5判3ミリ厚ほどの小冊子「CINEMA FREAKS」をダメ元で新潟市万代の紀伊國屋書店に持ち込むと、意外にも店頭に置いてくれて、時勢に合ったのか30部程は売れたのだ。
 SNSなど無い時代なので、書店で「CINEMA FREAKS」を買った人の感想を頂けたのは手紙であった。この時に、情報発信の後に生まれる双方向のコミュニケーションの面白さや、情報の出し手側ではなく受け手側が何をどう評価するかという視点や論理にも気付かされた。これも後々に仕事に活かせるものとなった。
 調子に乗って独り暮らしの部屋で雑誌を編集したりイラストを描いたりしていると、時間を忘れて深夜になることも多く、どんどん不規則な生活になっていった。我流で"下手クソ"の部類ではあったが、イラストやマンガ形式にコマ割りをして描いたりすることを随分と重ねたことが、これも就職後に意外に役に立つことになる。

(「新潟独り暮らし時代12「自由な生活時間の下での映画クラブ」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代13「自由な生活時間の下でのバイト三昧」」に続きます。)
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