●警察に保護され母を呼び出す。(その4)
あてもなく子供をつれて交番を離れるわけにはいかなかったのか、見た目は落ち着いている私に向かって警官は更に問いかけて来た。「お父さんかお母さんが仕事している場所は分かる?」というのだ。
私は直ぐに「おかあさんはリケンピストンリング」と答えた。これは覚えていたが父がどこに勤めているか自分は知らないことも判明した。警官はそこまで連れて行って親を呼び出そうと思ったのか、「お母さんの名前は」と続けてきた。私は得意になって「ハナちゃん」と答えたのだ。そう、母のフルネームではなく愛称しか答えられなかったのだ。
私の隣で泣きじゃくる友の幼児はもとより、私からこれ以上詳しい情報を得られないと見切った警官の一人が、仕方なく私だけを連れて「リケンのハナちゃん」の捜索に乗り出した。私は割と得意げに警官に指図して「ここで何時も買い物しているよ」と、工場の生協売店に誘導したことを覚えている。
金属加工工場「リケンピストンリング」の正門前に構えた「リケン生協売店」では、職員向けに食料品など色々なものを販売していた。社屋の門前にあり、近所の住民も自由に出入りできたので,私はバタークリームとカステラをウエハースで挟んだ三角型で側面をチョコレートでコーティングした菓子パンをねだって祖母に時折連れてこられていたから、馴染みの客よろしく売店の販売員のもとへ警官を案内した。
そこからは警官と生協の店員とのやり取りが始まった。数百人が勤める大工場で「桜木町に住むハナちゃん」というキーワードだけで人を探し当てられるのか。結局は、社内放送で呼び出してみるかということになったらしい。
暫く生協売店で警官と待機していると、そう時間が経たない間に見慣れた母が駆け込んできた。機械音がけたたましい工場の中でも「○○君が母親の桜木町のハナちゃんを探している」という放送を聞き取れた周囲の仕事仲間が「それはあんたのことじゃないの」と母に教えてくれたようだ。
母は経緯を教えてくれた警官に平謝りを繰り返していた。その様子を見てこれはマズイことをしでかしたんだなあとやっと自覚できてきた私は、この後こってり叱られそうだと覚悟したものだが、思いのほか母は涙目になって私を抱きかかえてくれたように覚えている。何事もなく無事で済んで良かったことに先ずは安堵してくれたのだ。
入り込んだ線路が、列車が頻繁に行き来する都会のものではなく、田舎のローカル線のもので良かったとしみじみ思う。それでも当時のダイヤでは20分置きくらいにあの単線を列車が行き来していたという。運転士からみれば当時の我々幼児は豆粒みたいな大きさなのでブレーキなど間に合わなかっただろう。奇跡的な生還だったと今では笑い話にできるのは幸運なことだ。
(「柏崎こども時代6「警察に保護され母を呼び出す(その4)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代7「昭和幼児の行きつけ」」に続きます。)
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