勝五十六の日本戦略論

この危機を機に、少しずつ、日本戦略論と今回の政府の対応の遅れを海外から見た視点で、書いていく予定です

笠間菊祭と出会い

2021-11-03 19:34:00 | 日記
今日は文化の日でお休み。家内は仕事があり、一人で笠間稲荷神社の菊祭りを見に出かけた。昨年の一時帰国の折に笠間へ行ったことはあるが、菊祭りは、生まれて初めて。
笠間は、子供の時一度行ったことがあり、これで3回目?

菊の花の展示の凄さに圧倒された。

この神社の目の前の通りだけは、賑わっているが、
神社から駅までのはほぼシャッター街。水戸の街も同じだが。若者は、水戸も笠間も車でイオンのモールへ買い物にいく。高齢化と人口減少を強く感じる街だ。街の活性化をしないとこのままでは、神社だけに。まだ行ったことはないが、笠間は陶芸も有名で陶芸の森公園、陶芸美術館もある。駅からの2本のメインストリートが、シャター街。

今日は帰りの駅での出会いがあった。駅のベンチには若者が三人座っていた。この方は足が悪いらしく杖をついていたので、若者に席を譲るように言ったことから話が弾んだ。菌が入り、3年前に片足のひざ下を切断して、義足だそうだ。
でも毎日手術以来、15キロのウオーキングをされており、雨の日も台風の日も歩いているそうだ。他県への旅行も電車に乗りそしてウオーキングをしているそうだ。1日15キロはすごい。

片足が義足では、運転が無理で、どこでも歩くそうだ。地方では皆、そばのスパーでもどこでも車で移動。自然と体重が増える。小生は、生まれてから免許を取ったことがないので、歩くか、自転車。家内が運転できるので、都内に住んでいたときは、他県への登山やハイキングは、レンタカー。

現在も一日10キロのウオーキングを目標にしているが、15キロは結構きつい。友部で水戸線から常磐線へ乗り換えた時、彼は笠間の駅に忘れ物をしていたので、笠間に戻られた。ラインかソーシャルメデイアの連絡先を交換できずに残念。

笠間では、電車の待ち時間が1時間あり、色々なお話ができた。彼からとても元気をもらった。






















笠間稲荷から笠間の駅までは、2.5キロ。シャッター街が。









英語と中国語事始

2021-11-03 08:42:01 | 日記

今日は文化の日でお休みです。写真の菊は見事ですね。
英語の勉強と中国語の勉強についてお話ししたいです。今日は、英語編1。

中学1年から英語の授業があり、2年の初め頃には、チンプンカンプンでした。英語は諦めていました。英語の先生をちょっとした衝突があり、毎日教科書をノートに写しその日本語訳を書かされる羽目に。多分これが半年か数ヶ月やらされました。それがきっかけで英語が好きになりました。その先生は、すでに他界されているかもしれません。大学卒業後何回かお会いしました。

あと英語の勉強は、ラジオ英会話でした。今も覚えているのが、松本亨先生。アメリカ生活が長く、その英語には魅了されました。色々なNHKの英語のラジオ、テレビ講座で勉強しましたが、松本先生は最高でした。それと米軍のラジを放送をよく聞いてました。

高校時代に偶然水戸に月1回青山学院の先生が高校生向け、成人向けの討論のクラスを無料で開かれていました。場所と主催は、ユニテリアン教会でしたが、全くキリスト教
のお話はなかったですね。そのケン先生には、大学時代もお世話になりました。先生は、彼の家に学生を集めて、金曜日か土曜日の夜、自由な討論会がありました。青学と早稲田の学生が主でした。

英語を好きになったのは、やはり先生方の人となりに魅かれたおかげですね。語学ではなく、話好きで誰とでも話せるようになりたいと小さい頃から思ってました。

大学では第二外国語ドイツ語、大学院では中国思想史。でも一番初めの中国語は、清朝の外交文書購読でした。大学院の指導教授が中国の清朝の外交、政治が専門でした。ICUは3学期制で、大学院の1学期は、ほぼ図書館で、大漢和辞典(8巻?)と中国語の他の辞書を引いて、外交文書の訳と拼音をつけていました。中国語の勉強はしたことがありませんでした。ICUの学部で台湾人の先生の中国語の週6時間の集中講座にも出ました。これが中国語事始めです、まるで杉田玄白の蘭学事始と同じに、ゼロからいきなり外交文書の購読でした。

では、英語、中国語2の次回をお楽しみに。アメリカ大学留学編、香港中文大学留学編もお楽しみに。

下の写真は哲学カフェ