丼季報亭「8万時間の休息」

旅の記録や季節の便りそれに日々の思いを軽いトーンで綴ってみました。

507.たい平師匠と木久扇師匠の落語会へ行ってきました。

2018-05-19 17:49:16 | 芸能・映画・音楽

新緑の候 いかがお過ごしでしょうか? 

今年も東久留米に落語家林家たい平師匠が日本テレビ「笑点」の大御所を連れてきました。 

毎年の恒例行事ですが、今年は噺家になって58年、笑点の回答者になって50年になるという落語界のシーラカンスおなじみ木久扇師との二人会です。 

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秩父出身のたい平師匠は 西武池袋線が西武秩父駅が終点であることからご近所が生んだスターでもあり、この界隈ではすっかり人気者です。 当初はたい平一門会で始まったこの企画も 笑点メンバーの誰かと一緒に二人会で催されるのが最近の傾向です。

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知名度もあってか「 木久扇・たい平 二人会」は2月27日売り出された前売りは4月15日には完売となりました。

この落語会にはいつも膝替わりで出演するたい平師弟子の林家あずみちゃんがとても可愛くて、私は必ず覘いてみることにしています。 初めてあずみちゃんを見たとき「私はシンガポールから来ました。」と挨拶して大うけに受けた記憶がいまだに残っています。 彼女は京都の生まれ、東南アジアから来たわけではありません。

入門8年目の今年もしっかり三味線を演奏し透き通った声と音量で余裕をもって歌っていました。 
彼女を見ているとなぜかとても微笑ましくて・・・とても成長している感じがして 嬉しく思いました。
若き日の三遊亭小円歌師匠(現二代 立花家 橘之助)を思い出すのですが、いつ見てもフレッシュなだけに艶っぽさではかないません。

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満員の会場で今年も落語会は盛況に行われました。 

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演題は まず前座の林家けい木が古典落語「やかん」それからたい平師も古典「猫の災難」。

たい平師は自らの噺の終わった直後、高座を降りることなく7月の秩父「川瀬祭」を紹介し、おなじみ秩父の打ち上げ花火をにぎやかに舞台で熱演し満場の喝さいを浴びていました。 「川瀬祭」は 冬の秩父夜祭に対する夏祭りとして認知されている 日御碕宮(秩父神社の摂社のひとつ)の例祭です。秩父神社の例祭として350年の歴史を持っています。

▼ 2018年12月03日 秩父夜祭り上町屋台で栄えある「囃子手(はやして)」を務める秩父市出身の落語家、林家たい平さん(53)=本名・田鹿(たじか)明氏。その模様を伝える動画です。 YouTubeへの投稿がたくさんあって そのうち2件をご紹介。
https://www.youtube.com/watch?v=IHXeqCvxslE
https://www.youtube.com/watch?v=sibOEatZfEo
11月11日、秩父神社で安全祈願のおはらいなどを受けたたい平さんは「秩父人として、一生に一度の夢の大役を全うする」と誓ったそうです。

一生に一度の晴れ舞台に「感無量」。師匠夢がかなってほんとによかったねえ。

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中入り後膝替わりの林家いずみちゃんが三味線漫談を楽しそうに演じ、とりを木久扇師が昭和史「明るい選挙」 いずれも拍手喝さいを得て熱演。 あっという間に2時間は過ぎていました。

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さて 前述の通り林家 たい平師匠(はやしや たいへい、1964年12月6日 - )は、埼玉県秩父市出身の落語家です。林家こん平師匠の弟子で、本名は田鹿 明(たじか あきら)。

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埼玉県立秩父高等学校を経て、1988年に武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業後、林家こん平に入門したという落語家としては異色の経歴を持っています。 実家はかつてテイラーメイドの洋服店を営んでおり、現在は実母が駄菓子店「駄菓子屋たい平」を、実兄がうどん店「うどん亭たじか」を経営しています。

「たい平」の名付け親は、師匠のこん平です。当初の読みは「たいぺい」でしたが、こん平曰く「外国人にも語呂的に伝わりやすい」という理由だったのに、大師匠初代三平の夫人・海老名香葉子さんの「"たいへい"の方が良いのでは」の鶴の一声に「たいへい」に決まったのだそうです。

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なお、こん平は弟子入りをすぐ認めたわけではなく、香葉子夫人の自宅で1年間の住み込み修行をさせた上で、正式に弟子入りを認めています。また、弟子入り後も合計6年間にも及ぶ海老名家での修行は続きました。

また 生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いていて、『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しています。 毎年11月下旬には翌月開催の秩父夜祭を大々的にPRしており、参加の様子は派生番組の『笑点 特大号』で放送されています。

フリー百科ウイキペディアによれば落語協会所属、所属事務所は株式会社オフィスビーワン。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。武蔵野美術大学客員教授。言霊群団「夢吽空」団員。血液型はB型。人気演芸番組『笑点』(日本テレビ系列)の大喜利メンバーです。出囃子は『ぎっちょ』(「ドラ落語」の際は『夢をかなえてドラえもん』(以前は『ドラえもんのうた』だった))。定紋は『花菱』(「ドラ落語」の際は『鈴』)。芸名にちなんで手ぬぐいや色紙・著書などに、鯛の絵柄をよく用いています。

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一方林家 木久扇師匠(はやしや きくおう、1937年(昭和12年)10月19日 - )は、落語家・漫画家・画家と多彩な芸術家であり、木久蔵ラーメンを販売・経営する事業家です。

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木久蔵ラーメン(きくぞうラーメン)とは、木久扇師匠が運営するラーメン事業です。自宅調理用ラーメンの販売及び他店舗へのラーメン商品の提供を行っています。かつては、「全国ラーメン党」の屋号でラーメン店の経営も行っていました。

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なおNHKの番組「日本の話芸」のタイトルバックの画像は画家でもある彼の作品が多く用いられています。

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旧名は息子に継承した初代林家木久蔵(はやしや きくぞう)。本名:豊田洋(とよた ひろし)。血液型A型。出囃子は「宮さん宮さん」。定紋は、林家彦六一門の定紋である「光琳の蔭蔦」。愛称は木久ちゃん。

実家は日本橋で雑貨問屋をしており(木久扇師談)比較的裕福な幼少期を過ごしましたが、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれ、家族が離散。小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えた経歴の持ち主です。

自分を支える経済、お金の入ってくる道を発見工夫して上昇していくことが大切で、「金はあるに越したことはない」という考えを持つに至った理由の背景でもあります。

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そのためか貧乏を嫌い、終生長屋暮らしだった師匠彦六を「清貧に甘んじ人情に厚い人」と評する一方で「噺家は貧乏でもいいという姿勢」を欠点とし、その著書に記しているほどです。(例として、落語会のギャラを自分の分だけでなく、弟子達の分まで半分相手に返してしまう行動などが批判対象です)

ゆえに「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」とも批判しています。
プロ意識を持っていた師匠彦六の天敵6代目三遊亭圓生、豪邸を建てた3代目古今亭志ん朝、師匠彦六の友人9代目桂文治を賞賛しています。

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木久扇が圓生の考えに賛同する部分は特に経済観念です。噺家活動の方向性については「落語は古典でなくては、のかたまり」「指導力のある人だが、一方的」と感じていたと著書『ぼくの人生落語だよ』で記しています。 また、志ん朝の父・5代目古今亭志ん生は対極的に“貧乏長屋”の代名詞として、今なお志ん生一門中心に噺家の小咄のネタとなっているほどです。
『新・彦六伝』 YouTube https://www.youtube.com/watch?v=wVxQQVgulHs

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エッセイや著書からは、キャラクターのイメージとはかなり異なる相当のインテリであることを窺わせています。

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時代劇や日本史に造詣が深く、NHKの歴史番組などにゲスト出演する際は、笑点でのキャラクターとは別人の雰囲気で登場します。人は瞬間的な見かけだけで判断してはならない典型的な例です。

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『笑点』で大喜利メンバー時代から木久扇を一番いじっていた桂歌丸は、「馬鹿を装っているのが一番楽。(木久扇は)頭が良い」とインタビューで語っています。いつも馬鹿を装っていますが、実はとてもインテリで実利的な賢い人物であったのです。

この日の舞台でも戦後史を彩った個性的な政治家や噺家たちの懐かしい声帯模写と、なんだかとりとめのない噺で受けていました。木久扇師いわく脚本のない噺をその日の観客のレベルに合わせて構成する自分は天才であると馬鹿を装って?自負していました。 
 
一言で58年と言いますが、その間ずっと現役を続けることはやはり凄いことなのです。

抜け目のない経済観念の証明に この日も会場では木久蔵ラーメンが3個入り1000円で特別に販売され、中入りですでに完売していました。

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ここでちょっと冗談みたいな話ですが、2017年11月29日、たい平師匠自身が木久蔵ラーメンに対抗して制作した『秩父たい平カレー』が発売されました。「秩父じばさんセンター」、「ちちぶ道の駅」 そして「ははそたい焼き」で販売されています。

 東京では浅草伝法院通り『まんねん堂』伝法院店にて販売されています。はたして木久蔵ラーメンのように売れるんでしょうかしらね?

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はいはい おあとがよろしいようで・・・。 


注)文中二人の師匠のプロファイルはフリー百科ウイキペディアから抜粋・加筆したものです。二人の師匠の写真は落語会パンフをスキャンしたものです。 「日本の話芸」タイトルバックに用いられている木久扇師匠の作品は公式HPから引用したもです。 また落語会以外の写真は5月中旬の京橋近辺および池坊生花展でのスナップです。


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2 コメント

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笑点をはなれて・・・ (もののはじめのiina)
2018-10-04 09:09:54
「笑点」を離れての活動の一環ですね。^^
「 木久扇・たい平 二人会」は、完売とは人気者です。

この二人とも、講演会の場でもハナシを聴く機会がありました。

たい平  https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/b5df5093b046fb7139aa313b0a71feaa 

木久扇   https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/08529b268fb1622553b9c1b282e4398f

林家木久扇師匠は、器用ですね。
ラーメンを売るわ、絵本を描いて売るのですから商売屋さんでもあります。
そのうえ、講演までしているのですから・・・("^ω^)


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コメントありがとうございます。 (丼季報亭)
2018-10-04 17:46:29
ブログお立ち寄り&コメント投稿有難うございます。
コメントでご紹介いただいたブログも拝見しました。

おっしゃる通り最近の噺家さんは多彩にして経済観念がしっかりしていて感心させられます。 丼
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