風と光の北ドイツ通信/Wind und Licht Norddeutsch Info

再生可能エネルギーで持続可能で安全な未来を志向し、カラフルで、多様性豊かな多文化社会を創ろう!

FB詩集 「迷路地獄」 II

2023-07-13 19:33:49 | 日記

「迷路地獄」に堕ちて、知性と感性の導くままに明日を求め、新たな創造の世界に赴いた。そこに展開する風景は私が描き出すニヒルでシニックな無限の宙空であったり、ひらひら極彩色の蝶が舞う街の公園の昼下がりの歓喜、或いは暴力的な絶叫のようなものだったりした。どの詩紛いのものにもコメントを付けたのはそれが<マガイモノ>だと認めるほかないからだが、世に出て間もない二十ちょっとの日々不安と絶望を抱え、辛うじて自己を失わずに、生にしがみついているみっともない若造、とお許しいただき、願わくば今しばらくの間お付き合いいただければ幸いです。
注:今後はコメント抜きで羅列させていただきます。あまりにもひどい<マガイモノ>には大兄、高女のコメントを頂ければ幸いです。

“私は快活に元気だった”

私が街を歩く
それは昼下がりの陽光を浴びて
私には背中に目はないが
私は街を歩く
何故か陽気に
即興の詩を唄いながら
天上にはきっと星が君臨しているのだけれど
何故か観えない、視えない
昨日も快活に
私は元気だった
一昨日も快活に
私は元気だった
お規則りの背広を被て
私には裸足なんて耐えられないのだ
鏡の中の自分は
迷路地獄
迷い堕ちて地獄の入り口に立つ
やたら咳の止まらない午後
駆るということについては
誰でも
一抹の不安と
代償の約束されぬ行先の魅力を感じる
それにしても君は
時を穫るか
それとも未来か
"詩(うた)を聞け”
旅立ちの瞬間に
私達を観てはならぬ
宇宙飛行士たちの眼差しは
なにか数字が飛び散っていて
不安だ
それよりも詩を聞け
人間には
コンピュータの配列盤よりも
正確な生命の保存盤があって
安心だ
研ぎすまされた数字の感性も
ときには
歴史的誤謬があって
人々は悲惨である
“裏切りの季節”
それにしても早かった
花は散り
太陽が輝き
落葉
灰色の清浄な大気は
革命を組織するにはうってつけだったが・・・
みすぼらしく歩け
なによりもオリオンの星であり
瀕死の革命戦士であることが
壊れかけた操り人形
への
最後の打撃となるのだ
選ばれたユダは
永遠の反逆児を
決定づけられて
自らの友を得た
裏切りにも表があって
それを人々は観ないだけだ

“悪意の申し子たち”

黄昏の光の中で
蘇生する悪意の申し子たち
血塗られた晩餐の食器か
銀色に鮮やかな戦場には
今もタンクが轟音を響かせて
渡る橋も架ける橋もない
ない曠野を轟音だけが駆る
無為の反逆
それとも破壊への進撃・・・

“目覚めの無気力よ反逆せよ、”

それでも逝くというのであれば
逝き給え
魂の舞踏会はまだ続いているというのに
あなたは選択した
晴れた朝の目醒めの無気力を
それは時計的な問題ではない
おおよ!
曖昧な微笑の回帰
なれあいの雪合戦
世の中における誉の問題
それは幼児の語呂合わせよりも稚拙で
現実的なのだ
春の野に散る花いちもんめ
それがあなたの美学なのだ
魂の舞踏会から抜け出して
真空の祭壇に跪く
あなたは私の私生児で
私とあなたの近親相姦の結末
漂泊の博物館に
アルコール漬けにして飾られている
ア、ハ、ハ、ハ、ハ、・・・
無頼の徒への自己放射
懺悔の代わりに売僧を友に
瀟洒な四海を渡る
底のない泥船、永遠のランニング
迷夢も観ずに
なんと!
逆撃も忘れて太鼓腹に寄生木とは

“それにしても、だが、やはり、なかんずく”

論理の風車が回っている
駆け出しの反逆児
間延びした論争には黴が生えて
革命家達は居眠り中
遠くに聞こえる悪霊の合唱も
いつかただの風鳴に
醒めた激怒も和解を申告
いつもの居眠りが運動会
それにしても
だが
やはり
なかんずく
そうなのだから
けっして
なかった
遠い遥かな永久に悠久の
疎遠------------
不可思議

“諦視する歴史の風車”

偽りの譲歩に
過去の恋路を逆上り
いまは
現状への降旗を肩に
それでも
労働階級と好誼したい
ならば
悪意達の会議を嘲い
自己犠牲に恍惚を忘れよ
希望の獄死も
冥府へ疾駆する二月の風
瀬踏みせぬ間に
堕ち往く冗漫の淵
言語ゼネストは
絶えて訪れることのない
労働階級との予定調和
歴史始まって以来の椿事は
悪者が悪意を忘れて
憎悪の最後通牒を
捨てたことだ
XXXX
無感の中で
僕が耐えて抵触するのは
一滴の鮮血
ついに堕ちていく
苛烈極まりない
訣別の言語飛礫
それでもぼくは
蹲り動かない
何しろ諸君
僕が生きるということは
諦視する歴史の風車
また
僕をめがけて突進することも
だから正当だ
素敵な生活は
誰でも憧れていて
没個性が強すぎる
諦念ではなく
だから僕は一滴の鮮血を
生の根源で底流したい

“ぼく自身への決別と回帰”

一つの結末を内包して
ぼくの日常が輪舞する
誰も援助の手はさしのべない
孤立してただ労働
抜きがたい自己撞着と
労働階級への愛が
ぼくの日常を定位する
ぼくが人々に同情を措定した
瞬間から
ぼく自身への決別と
ぼく自身への回帰が始まった
耐えて優位であることより
自己の劣位を選んだことは
しかし
なんだったのか
いまも
ぼくと人々の交通は
悪意を忘れて
素敵である
好意も忘れて
素敵である

“未来憎悪”

明日への跳躍も
ダッシュが足りなく
途中落下
街路樹の木の葉は
だから
ぼくの余念のない未来憎悪
おびただしい塵埃を産出して
心愉しい
なにゆえ未来憎悪か
結末の予断は
たいてい幸福な誤謬を孕んでいて
それが厭しい
それでも
やはり僕には駅の売店の娘さんがいて
いつも不愛想だ
そして電車には
おばさんやおっさんが
いつもくたびれて座っていて
ぼくの眼差しは
あきることがない
それだけに
ぼくが颯爽としていることも
不愉快な肉体の健康を持続することも
いまは日常的であり
駆っているのだ

“遊戯を癒しむ者達よ“

遊戯を癒しむ者達よ
ぼくは君達と無縁であることを誇る
労働者を語り騙り
革命を夢想することが正当か
むしろ
労働者と相克し
互いに悪罵を投擲しながら
それでも愛を忘れないことを
ぼくは選ぶ
黒く爛れた夕陽の中で
首をうなだれて歩むことも
肉体の疲労以外に
根拠のないことを理解せよ
一つの言語認知者よりも
一滴の涙を許せるものを
ぼくは信じたい
労働階級を自覚することは
自己の哀しみを認識することより
優位であるとはいわせない
なにより
ぼくたちの出発点は
不確かな言語空間ではなくて
自己の日常的な感性にあったことを
ふたたび振り返れ
想念の伽藍は
カルシウム不足の感性よりも
脆くて
ぼくには不安だ

“希望の告別式”

すんでの所で間違いを犯すところだった
よくあることだ
詮索なんてよしてくれ
僕は独りで歩ける

油に汚れた顔も
収奪が激しくて
艶がない
冗漫だけで生きている人々が
ぼくはなによりも好きなんだ

まずは自己確認
そして、状況への跳躍
だけど
それだけで事足りるとは
ぼくは思わない

なによりも喧騒の坩堝で
魂をこめた対峙の方が
ぼくには愛を確かめやすい
それだけに
危険はいつもついて廻る

朝夕の挨拶が
歴史の主役に抜擢された刻
ぼくの希望は
やっと告別式を迎えるのだ

“悪霊の季節”

独りの生者が
黄昏の堤を歩く
長く乾いた影には
爽やかな一迅の風

疲労した体躯に
明日への信頼が充ちていて
何故か寂しい、哀しい

それは希望することによって
自己の位相に無縁を装い
虚偽の世界を容認しているからか

わたしたちは酷苦に恐怖してはならなぬ
微笑も自己忘失も
一刻の安寧よりは
永久の屈辱を約束していて
断固として拒否しなければならない

硬化した内面世界に
ゆらっと放射波が波立つ刻
すでに喪われた青い残像は
その残像さえ留めえない

私は昔旅人であった
その存在の正当性を疑う前に
私は生活者の列に投降した

それは冬の敗北というより
悪霊の季節の勝利にも似て
私の識らない間の
出来事だった

“朝夕の挨拶と決別の憎悪”

すでに忘れていた時代にも
確かな存在はあって
それが今在るぼくを
呪縛している

頸動脈からの鮮血が
轟音響くナイルの瀑布よりも
酷しく
ぼくを叩く

明日だけが生存の根拠となってしまった世に
ぼくたちの幸せを望むことは
やはり無駄だった

なによりも
朝夕の挨拶に
訣別の憎悪をこめよ
醜悪な美を
自己の中に認識せよ

ぼくたちの愛は
微笑や言語造形にはなく
瞬時のドジに鋭敏で
烈しく悪罵することから始まる

君の優しさは
ラッシュ時の電車で席を譲ったことか
素朴な感性に
全的信頼を託すことに
異論はない

だが
やはり僕は非和解的な
時代と相剋に
現実の認識軸を措定する

“醒めた空天に希望する”

全て決別から源まって
殺戮の角遂に到達する
あの永遠の化石魚シーラカンスも
不確かな世界は認知している

深く潜行し
なによりも海底の泥砂に潜ることは
断じて正当である
窮して攻撃的である鯨よりも
確実に延命する

一つの宙宇か
宙宇の一つか
確かに無限は存在していて
わたしたちに
その認識者たることを要求する

北極星の真下
醒めた空天に希望する
わたしたちの情事は
種族の保存盤を内包していて
星は見通しだ

一つの結末を迎えることは
感動の奮えの
見定めるところ
やはりに未認知の世界への
恐れである

期待よりも
絶望することに慣れた世界で
わたしたちが
生きて闘うとは何か
 
“希望の告別式”
 
すんでの所で間違いを犯すところだった
よくあることだ
詮索なんてよしてくれ
僕は独りで歩ける
油に汚れた顔も
収奪が激しくて
艶がない
冗漫だけで生きている人々が
ぼくはなによりも好きなんだ
まずは自己確認
そして、状況への跳躍
だけど
それだけで事足りるとは
ぼくは思わない
なによりも喧騒の坩堝で
魂をこめた対峙の方が
ぼくには愛を確かめやすい
それだけに
危険はいつもついて廻る
朝夕の挨拶が
歴史の主役に抜擢された刻
ぼくの希望は
やっと告別式を迎えるのだ

“悪霊の季節”
 
生死彷徨う独りの生者が
黄昏の堤を歩く
長く乾いた真っ赤な影には
爽やかな一迅の風
疲労しきった体躯に
明日への信頼が充ちていて
何故か寂しい、哀しい
それは希望することによって
自己の位相に無縁を装い
虚偽の世界を容認しているからか
わたしたちは酷苦に恐怖してはならなぬ
微笑も自己忘失も
一刻の安寧よりは
永久の屈辱を約束していて
断固として拒否しなければならない
硬化した君の内面世界に
ゆらっと放射波が波立つ刻
すでに喪われた青い残像は
その面影さえ留めえない
私は昔旅人であった
その存在の正当性を疑う前に
私は生活者の列に投降した
それは冬の敗北というより
悪霊の季節の勝利にも似て
私の識らない間の
出来事だった
 
“朝夕の挨拶と決別の憎悪”
 
すでに忘れていた時代にも
確かに実存した時はあって
それが今在るぼくを
呪縛している
頸動脈からの鮮血が
轟音響くナイルの瀑布よりも
酷しく
ぼくを叩く
明日だけが生存の根拠となってしまった世に
ぼくたちの幸せを望むことは
やはり無駄だった
なによりも
朝夕の挨拶に
訣別の憎悪をこめよ
醜悪な美を
自己の中に認識せよ
ぼくたちの愛は
微笑や言語造形にはなく
瞬時のドジに鋭敏で
烈しく悪罵することから始まる
君の優しさは
ラッシュ時の電車で席を譲ったことか
その素朴な感性に
全的信頼を託すことに
異論はない
だが
やはり僕は非和解的な
時代との相剋に
現実の認識軸を措定する
 
“醒めた空天に希望する”
 
全て決別から源まって
殺戮の角遂に到達する
あの永遠の化石魚シーラカンスも
不確かな世界は認知している
深く潜行し
なによりも海底の泥砂に潜ることは
断じて正当である
窮して攻撃的である鯨よりも
確実に延命する
一つの宙宇か
宙宇の一つか
確かに無限は存在していて
わたしたちに
その認識者たることを要求する
北極星の真下
醒めた空天に希望する
わたしたちの情事は
種族の保存盤を内包していて
星は見通しだ
一つの結末を迎えることは
感動の奮えの
見定めるところ
やはりに未だ認知しえない世界への
恐れである
期待よりも
絶望することに慣れた世界で
わたしたちが
生きて闘うとは何か

2023年5月27日
断捨離中に見つかった叙事詩二編
本来ならFB詩集「1981年 帰国」(https://blog.goo.ne.jp/nichidokuinfo/e/002113f24dc9b92b8f1e122bf6a4aa2e)に収録すべきものだが、ここにインテルメッツォとしてご笑覧いただきたい。

“エイルヴィラ”

エルヴィラは
みどりの瞳あるいは口唇の上の腐乱
ともかく
魔法の煙のように危うい肉体だ
初めての出会いが
千回目の邂逅である奇跡の巡り合わせ
その時
ぼくは
率直な逆説を遡って
古代からの使者ですといった
ペルセポリスの丘に
デジタル製の風が吹いていたからではない
知らないと思うが
確率計算では救われない
明日が
今日の姿だということを伝えたかったのだ

<告訴なんてしないことよ。精神分析より
は星占いの方が伝統があるのだから。定義
された私の向うは大宇宙だってこと、古代
の使者ならおわかりでしょ。信用できるの
はあなたと私の温もりだけ。じゃ、今夜十
時に、私の意志はマットの下にあるわ>

長すぎた会話を切断して
エイルヴィラが宙に舞い上がった
恐ろしく不安定な足場だった
突拍子のない安全感覚
真空パックの愛を
約束して
ぼくは切れた糸を手に巻き
頭と胴と全身を巻き込んで
薄汚れた夢と
弁明だらけの醜悪極まりない
思い出を巻き込んで

あっちによろよろ
こっちにおろおろ
ぴょんぴょん飛び跳ねながら
やっと
ハンブルク中央駅に辿り着いた

エルヴィラ
真摯であること
己の出自を確認すること
が全人類の頭上で輝かしく氷結した今
駅のスタンドで
ぼくが熱いフランクフルターを頬張りながら
心!
などと叫んだことを嘲わないでくれ

<そのことについても私はうんざりするほ
ど考えたわ。まさかママやパパのようにな
れなんて私だって言わない。だけど無駄な
のよ。あなたの考えていることは。歴史な
んでしょ。朝の熱いコーヒーにだって勝て
やしない>

だからと
エルヴィラは僕にしなやかな腕をのばして
ベッドの上で微笑んだ
来なさい!
私たち
今日はアンドロメダに届くまで解けあうのよ
それとも
クレタの砂浜で燃え上がろうか
否、否、否、否!
と叫んだぼくに
ああ古くさい
そんななたがこよなく愛しい私は
億年の時空を右往左往しているみたい
といって
立ち上がり
暖炉の前のロッキング・チェアに腰かけた
一糸まとわず
薔薇色の肌が
暖炉に火に黄金転化した時
ぼくは眩む目を
断固として立て直し
エルヴィラ
涸れた愛液を涌出させるには
やっぱり
物ごいに出て二十一世紀に延命をはかる
あの
朝露の中の市民たちと
瘡蓋だらけの雇用契約について
一大討論会を開催しなければ
ぼくには不可能だといった

<不可能と可能の間には意志だけが流れて
いるのよ。存在にそれほど固執するあなた
が東の国から流れて来たなんて。きっと寒
すぎるのよ。この国があなたには。さあ、
暖炉にあたってその氷結した意思を愛液に
溶解するのよ>

ぼくがたまらず
彼女の部屋を飛び出したことを
後で解ったことだが
彼女は嘲わなかった
その前にぼくが
壁にかかった仏陀の微笑をゆさぶる
大号泣をしたことが
彼女の発条仕掛けのハートを
一瞬
柔らかく温かい随意筋に変えたそうだ

<それほど暴力と残虐、貧困と悲惨、偽善
と陰謀が悲しいのなら、あなたには三千年
前の菩提樹の下の中庸に出家することだっ
てできるはずでしょ。それをなぜロシアの
十月にこだわるのか。あんな硬化した北の
出来事は一度溶鉱炉に放り込むべきだわ>

ぼくが今なお無様な亡命の茶番劇を
演じていることが
彼女には不憫でならないといった
明日
エルベ河の渡しに乗って
アルテス・ランドにピクニックしよう
梨花が薄緑色に咲き乱れて
陽光に誘い出された
紅金の孤蝶が
ヒラヒラあなたの砂漠に舞うのを見れば
あなただって
吉野というところに咲くという千年の桜
を思い出せるでしょう
一度写真で見たことがあるの
あれが
あなたの国を安らかに美しく
不変に守護する永遠の統治者のはずよ
といったエルヴィラに
罪がないのは言うまでもない
だが
とぼくはそのことならもっと精確なことが言え
ると
仕切り直し、大きく四股を踏んで
立ち上がった

ちらほら
桜満開
全山桜一色
全山揺れて
桜色に舞い上がり
ななめに
桜色に一文字
桜色にどうと雪崩れて
桜色のごうごう渦巻き
桜色にひらひら漂う
桜吹雪

さくら 
 さくら
    やよいのそらは
    みわたすかぎり
 さくら
さくら

核弾道の編隊飛行
パック・ツァーのチャーター飛行
空の指令室の夜間飛行
激増一途の少年飛行
政治警察の密着尾行

これも今は昔
桜は梅だった
東風に匂う
都の華麗は
梅だった
感性の誤謬
ではない
歴史の誤算
ここに
エルヴィラ
君の信じない人間の変遷があったのだ
だから

“帰国の挨拶“

君が風呂屋の暖簾をはらった時
ぼくは十年ぶりの祖国に気づいた
怪訝にぼくを見つめる君は
なんて瘦せ方だ
まるで革命精神そっくりじゃないかと
さっそく
忘れなかった友情の証しをたてようとした
君が早朝自転車にまたがり
朝露をついて
祖国の経済成長に貢献していることを
健気だろ
と諧謔に包まれた微笑をそえていった時
ぼくは
始めて君に帰国の挨拶をした

湯気のたちこめる洗い場で
漂泊の垢をおとしてやると
君は
ぼくの心身症に固まった背中を
こんな風景しか世界にはないのか
いたわるようにこすってくれた
十億光年の彼方だって
俺は自転車で行けるんだ
それをどうして・・・
絶句して
飛び上がるように
熱い情けをかけ垢を流してくれた

よく飲むんだ
毎日
そうすれば俺はいつだって
タクマラカン砂漠のあたりを
七色に
自転車を押して家路を辿っているんだ
じゃいつか後ろの乗せて
そこに連れて行ってくれと見上げる
間もなく
瞬時に千キロ遠ざかった君は
ぼくを見つめ
油くさい中卒と一緒に旅して
面白いわけないだろ
冗談言うなと
暗い影で顔を覆った
それは
ぼくが世界の路地裏で会った
どの人々にも共通の
抑圧された影だった
もう一度繰り返す
それは抑圧された、誰も観ない影だ

湯船の縁に腰掛けて
世界の女について
少し話してくれと
君はぼくのタオルを持ち上げ
ペニスを指差した
女は男の玩具ではない
とぼくが正論をはくと
ハ、ハ、ハ、
と哄笑して
悪かった
俺は日本の女に愛されたことがないのだといった
という君が
俺の日本国籍をはぎとって
父と母の国をさらけだす
国家について
俺はもううんざりしている
とぼくが言うと
そうじゃない、人種なのだ
ときみは叫んで
湯船に荒々しく飛び込んだ

ぼくが黄色い猿とののしられ
ニースの
高級住宅街で少年達に
石を投げつけられたことを話しても
この国の原住民は
そんな風には考えないと
君は湯船の底に沈んだ

次の日
ぼくは近くの花屋に
カーネーションを一輪買いに行った
出て来た
娘が四角になって
挨拶を忘れた
彼女の胸が縮みこみ
体がパタンと二つに折れそうになった
その時
初夏の風が君の胸にふれなかったら
君は床に倒れて息絶えたに違いない

いつ戻ったの
手紙もくれないで・・・
私もう結婚したのよ
子供も一人、幼稚園に行っているの
おかえりなさい

ぼくは
もちろんそんな挨拶は期待していなかった
結婚して家を出
子育てに大変だろう
想像すればそんなことしか浮かばなかった
まさか
今も両親の店を手伝っているなんて

あいかわらずのようだね
カーネーションを一輪くれないか

ぼくは
黙って見つめている君に
自分で選んだ一本を
さしだした
突然ふるえだした君は
ぼくの手を取り
奥の部屋に引っぱって行った
お母さんが
ぼくをにらんでピシャリと顔を閉じた
ぼくは久し振りの母の日に
カーネーションを思い出したのだ

夫の暴力に耐えられない
離婚を考えている
と君が言った時
ぼくは
少しも驚かなかった
まじめで勤勉
子ぼんのうの彼が
どうして突然あんなことをするのか
それは
ぼくが知り合った多くの女性に共通の
抑圧された呻吟だった
もう繰り返さない

君が出してくれたお茶は熱かった
玄米茶がね
西洋人には一番人気があるんだよ
普通の日本茶は苦すぎるんだった
そう
と言って君はやっと微笑んだ
すると突然
バロックの香りが部屋一杯に充満した

ぼくがハイデルベルクで知り合った
片目のマリアンヌのことを話すと
私にはとてもと君は言った
三十歳のマリアンヌは三度離婚し
最後の夫に目を潰され
ますますマリアンヌになった
今は娘のレナーテと二人で暮らし
ぼくが時々彼女たちと
ベットの中でガリバー旅行記を読み
羽毛のように戯れた
マリアンヌもレナーテも不幸ではなかった
ぼくはそのことをよく知っている
彼女たちは時々悲しかっただけだ
君は
そうかも知れない
だけど私は結局離婚はしないだろう
子供の為に
と言って席を立った

ぼくは十年ぶりの祖国で
平和をかみしめている
花屋と風呂屋の平和
恐ろしい帰国以来
ぼくの心を
突き刺しこね回す鉄の平和を
ぼくという皆と同じ存在が
不安に傷つき
毎日無傷で玄関を出る
この幸運!
ぼくには子供がない
この幸運!
就労を禁止された子供達は
塾に雇われ十二時間労働
その報酬は出来高払いの未来の安定
落ちこぼれた
息子はバットで父を殴打し
登校拒否の
娘は街角に立って春を売る

ぼくの故郷は人口が半減した
皆、街でいい暮らしをしているそうだ
こちらの畑で麦踏みをし
向こうで干した大根を取り入れていた
大声の会話は
テレビの前の沈黙と
流れ作業のあわただしさに変わった
皆、いい暮らしをしているそうだ

春です
平和は陽光の下で
春祭りがたけなわです
子供達はもういません
ぼくがたたいた太鼓も
村の男衆が力自慢を誇示したダンジリも
倉庫で
平和をかみしめています
村の学校も鉄筋二階建てに変わり
今では複々式授業
来年は入学児童無しということで
村に新しい一ページが加わります
畑は杉ばえに変わり
残った人たちは
土木作業に汗を流し勤しんでいます

ぼくも都会に棲みつき
部屋の窓際には
鉢植えの杉、松、檜
緑だけは手離せないと
友に悪趣味だと嘲われた
そんなことでは
日々の戦場で勝ち残れない

ネルーダが叫んだ平和
マヤコフスキーが死んだ自由
スペイン市民戦争のドゥルーティは
愛の為に平和を拒否して
絶対の自由を求めたと
エンツェンスベルガーが詩いながら
銃を取ってヘミングエーと突撃した
理由は簡単だった
ネクタイを拒否したセーター
背広にはTシャツと皮ジャンの感性を
フランコの平和が禁止したからだ
生きるだけなら彼は死ななくてよかったのだ

ぼくは毎朝
工場の片隅で社歌を合唱し
愛社精神を暗唱し
同僚の失策を監視して
たまには仕方がないさ
と勤務評定にX印を書き込んでいる
会社のユニフォームは言うまでもなくグレー

どうすればぼくは
カシミールで会ったあの老人の
カラフルな達観と
静かで優しい冗舌
豊かな貧困を理解できるのだろうか

ぼくは観ることができる
十年ぶりの祖国で
君の中にも熱い血が流れ
見えすいた幸福が裏切っている
平和を煙のように
掴みそこねているのを
集積回路に閉じ込められた自由を

平和を風呂屋の友情に
自由を
早朝を自転車に乗って
平和を抑圧された妻達の呻吟に
自由を
花の香りに包まれて
平和を
マリアンネとレナーテに
自由を
Tシャツと革ジャンに
平和を
村祭りの喧騒の中で
自由を
流れ作業と朝礼に
平和を
戦闘機のパイロットに(望むだろうか)
自由を
閲兵式の直立不動に(許されるだろうか)
平和をぼくの祖国に
自由を
ぼくと両親と兄弟と全ての人々に
最後に
愛を
自由と平和を愛するすべての人々に
望むべくもない
世界の亀裂が
目の前に大きく口を開く

だが
ぼくは絶望も失望も希望もせず
紛うことなく存在するのだ

“孤独を透視する”

街の中で独り生きるとは
容易な孤独へのカタストロフィー
人々の歩調が
私を拒否して
流れ
流れ
流れる

口五月蝿い
主婦達の気まぐれに遭遇せず
私はものの見事に
独りである

一つの曖昧な微笑みなら
私は断固として決別を選ぶ

勤め人稼業には
不毛な精神の弛緩と
安直な日常への迎合が約束されていて
それで
わたしはやっと世の人々と同一地平に
立つことができた

だが
日常を共有することに油断してはならぬ
わたしたちの記憶に
挙国一致の断章はなくとも
歴史の事実が
無価となることはない

わたしたちが起ちてある現在の
危険の位相を
穏やかな日の洩れる日常に
透視せよ

”売僧の自己保存“

ステンドグラスは
中世の重圧を継承し
今も輝きを失わない
信仰よりも売僧の自己保存の砦に
いまはただ憎悪せよ

実行されぬ口約束
自己の不確かさに気がねして
何も語れぬ大司教

発端よりも結末に拘泥して
一歩も抜け出せぬ現生の組織構造
人と人との交通にも
もはや言語はお払い箱

捨てられた無数の太陽も
再び宇宙に現生雲を組織し
結末の端緒を切り拓く

だが
わたしたちは人間である
彩り始めた木の葉よりも
確実に私は人間を宣告する
わたしたちの生は確実の存在する

生きて生きるよりも
生きて死ぬことを望む人々には
私の憶いは解らない

独りで疾駆する風の中に
わたしたちが舞い散ることは
私の自由の問題だ

“生存の為のテーゼ”

瞬時を透視する
わたしたちの大義は
その一点において解消される

時の猶予が
共同幻想を結果するのは
わたしたちの時代を視れば鮮らかだ

生存の保障に
一刻の安堵を脈絡してはならぬ
生き延びるということは
あくまで偶然でしかない

死さえも
殊更構えて主張するのは
冬の朝陽ほど
鮮烈ではない

肉体を捕縛し
執拗に保着する
わたしたちの生存のテーゼは
言語表現を許さない

一日の糧を得る為に
人のなす一切は
正当である

“狡猾な免罪符”

譲歩の弁明は
自己の醜悪さを照写して
人々の印象に
忘れ得ぬ断章を標す

ぼくが敗北を認めないのは
自己の弁明の根拠が
ぼくの過去に存在しないからに他ならない

誰でも
今ある自己が最も美しいと思わないように
ぼくの過去にも美しい刻はあり
未来に希望する

だが
現実の自己を超えて
ぼくの存在が肯定されない以上
やはり
ぼくは今を生きなければならない

ぼくが<労働階級>に
誰よりも醜く
拘泥するのは
ぼくの狡猾な免罪符かも知れない

“自己滅却のマスターベーション”

乾いた風がぼくを吹き抜けて
駆ける
ぼくは何年こうして歩いて来たのだろう
この鮮明な心象が
捨てられなくなった

ぼくが今欲しいものは何もない
生きることも死ぬことも
醜くふくれていく腹に
羞恥することもなく
自慰のザ-メンが
固くこびり付いた寝具の中で
今日もまた
自己滅却のマスターベーションが繰り返される

日常生活というものに
あれ程の憎悪を投擲しながら
今は“生活者”という口実を手に
果てしない譲歩を選択した

富というものについて
いつかした拒否の宣言が
裏返しの目的意識として布告されたとき
ぼくの喜劇が始まった

日常的な譲歩と妥協が
確実にぼくを捕縛し腐食している

だが
その確実な時の経過の前で
ぼくだけが無防備に停滞する

同情のおそろしさは
発端のきまぐれと同様
結末の自由にあり
社会的制裁を受けるかわりに
歓迎されるところにある
と屈折した屈辱とともに
確認した

“現実地獄”

果てしない旅に出て
もう帰れない
ぼくの故郷は雪深い山懐で
ぼくを峻拒する

故郷を捨てたのではないが
振り返らなかったぼくへの
それが訣別の決算書だ

ぼくは暖炉に親しみ
美食を友にした
荒々しい手も
今はつややかに柔らかい

故郷がぼくを捨てたことは正当である
言語世界に営巣し
カマ首もたげてのぞき見る
一匹の臆病な醜物

故郷の山河に
今ぼくは向かうことができない
言語世界の生活が長すぎたぼくには
もう本当の故郷を見る目はない

音楽的饒舌にも飽きて
ようやく気づいた現実地獄
在るでもなく無いでもない
ぼくはすでに
モノを見る目もないのだろうか

“わたしは悪意の申し子”

端座して進まない
わたしは一つの決意を胸に
重い錨を降ろした

進むまい
希望することもやめよ
混迷の昼食時に
ぼくは何も受けつけない

消化不良の胃酸地獄で
苦々しい日常を措定する

透明度の薄い笑いの中に
ぼくは快活な日々を
夢想していた

なれない手つきで

大腿部の骨折を縫合しながら
もう歩けないことを祝福する

生産的であることの
悪無限を認識せよ

わたしは非生産的であることの
犯罪者を選択する

消費せよ
破壊せよ
全ての秩序に終末の鐘を

すべての関係を剥離し
すべての愛を埋葬する
わたしは悪意の申し子だ

“どうでもいいことなんだ”

あどけなさを内包した時代錯誤を
誰にも言い訳はしたくない
独り陥落していく自己を
冷ややかに見ていた

なによりも未経験であった
捨てきれない夢が多すぎた
善意は悪意に転化し
愛は嫉妬に姿を変える

それが日常の生産物である
生産者のわたしは
反革命である前にピエロだ

すべてを呪う
すべてを嫌悪する
すべてを完黙視する

なんてことはないのだ
どうでもいいことなのだ

ニヒリストって言葉は知ってるよ
居直りって言葉にも親しんだよ

そんなことはどうでもいいことなんだ
世の全ての人間供は阿保だ

ノーベル賞受賞者も
どこかの書記長も
ついでに会社の代表取締役も
みんな殺してもどうってことはないよ

そんなことじゃ世の中崩れないし
ぼくたちだって生き続けるさ

“未来地獄”

剥離されたお前の理念が
日常の過酷を討ち返す
街角で拾った捨身の情念も
すでに乾いてしまった

希望してはならぬ
明日など信じるな
わたしたちの未来地獄は
何故か鮮やかに輝いているじゃないか

繰り返される朝夕の挨拶は
何処でも一瞬の平和を喚起し
わたしたちの憎悪の対象ではない

予定調和の根底を覆す
現状の狂喜を視よ
わたしたちには終末への確信がなさすぎる

すでに決意した未完の死は
宙宇の無限を無化した

ないのだ
わたしの前にはなにも

振り返る視座は
もはや私の座標軸にはない

一点に固着して
悪臭の中を駆る

それは深々と一点を疾駆する
奥へ
下へ
いや上へ

“パリの五月に共鳴する”

直接行動に集結して
カルチェ・ラタンのバリケードを死守する
ぼくたちは正当だった
不確かな理念も発展途上
なによりも五月の息吹だった

五月に革命するということは
パリの反乱に共鳴し
六月の確かな生存を手にして
一切を現実視するということでしかない

疑うことよりも
過酷を恐れぬ誤謬を選び
再び蘇生することを希う

幸福であった
パリの路上に木霊する歓喜
ぼくたちは乾いたコンクリートの床に
確かに存在したのだ

明日の恐怖は
寝つかれない夜とともに
解放の光を鮮明にした

駆れ
駆り
駆る

暴力はすべてを破壊する
なにものをも無視する
そしてあとは暴力の領分ではないのだ

だが
ぼくたちは生き延び
生き続けるだろう

死ぬにはあまりにも素敵すぎる
まだ僕はこの世に拘泥する

あとがき:ここで「迷路地獄」の終点としたい。二十三歳最後の記録、このあと一年後に私は横浜からナホトカ行きの船に乗り「西へ」と向かうことになる。

FB詩集 「迷路地獄」 I

2023-07-13 19:20:26 | 日記
東 洋FB詩集 「迷路地獄」

1.
労働に恐怖するとは日常の居心地のいい生温い空気になれ、その中に綴じ込められて、檻の中の虎のように行ったり来たりして一生を終える。それを保証するのが定期的に入ってくるお給金と呼ばれる労働の対価、それを自立と呼ぶが、実は隷属、その現実に恐怖するといことだった。檻の外に見える風景は夜な夜な彷徨う場末の酒場や、たまの休みに青春の跡を追い、失われていく情熱を持て余して、幻想の世界に逃げ込む真夜中の机の上に広がっていた。それを日々の道標として私は暫く迷路地獄を彷徨うことになる。

“酔いどれ船を探して“

波間に漂う精神に
船乗りたちの志の虚しさが
明日もまた入る港の空しさと
相交みえながら
地上的な愛など存在せぬと
一次方程式のように断言した

それでも船乗り達は
港々の色白の少女に
忘れてはならぬ誓いをたて
快活に酔いしれていた
未経験な異国の港で
彼らはあくまでも大胆に
少女に言い寄り
そして
お互いに融合した

殺伐とした港町の酒場で
酔いどれ船を探し
ランボーはどこに行ったと
尋ね歩く
船乗りは私だ

2.
日常の中に沈んでいく私は溺死寸前であることをかろうじて感得、魂の命綱にすがって形振り構わず延命した。それでいいのだ。生き延びさえすれば・・・。

”伝えなければならないことがある”

死に往く人あり
遠くに旅立ちて還らず
自殺、殺人、老衰、病死、交通事故、労災
君死にたもうことなかれ、戦死を
我ら残りし者
生きて彼らを嘲え
感傷など誰も救いはしないのだと
<生存は大洋の只中に在ってもつかまねばならぬ>
はなしてはならぬのだ
魂の命綱を
むしろ
生き延びて滑稽であることを
誇れ
生き延びて醜怪であることを
誇れ
生き延びて破廉恥であることを
誇れ
<なんと言っても労働階級だ>
早朝六時に起きて自転車で町工場に向かう
彼らを独りにするぐらいなら
我ら
無様に未練がましく居直って
翔び、駆らん
なんといっても
伝えなければ
<生は全て君たちのものなんだ!>

3.
日本の若者がまだ沖縄の置かれた状況を憂慮する時代があった。アジテーションに近い激しい言葉でアギトポップと呼ばれる流れがあったが、私もその流れに押し流されていた。烏滸がましい限りではあるが若者の切実な思いの表現に他ならず、それを誠意という言葉で許してもらえるかもしれない。今は沖縄も若者には、せいぜいリゾート地として海水浴やダイビングを楽しむために訪れる島なのだろう。しかし、まだ米軍基地が日本全国の70%、沖縄本島の15%を占め、辺野古の海岸は埋め立てられジュゴンは生息地を失った。薩摩藩が行った琉球王国の属国化が第一回琉球処分、そして第二次大戦で米軍占領を認めた第二回琉球処分、辺野古への嘉手納基地移転は第三回目の琉球処分だ。基地廃止が緊迫する極東の地政学的現状を鑑みたら非現実的と言うなら、嘉手納は日本の本土に移転させるのが筋だっただろう。だが、もう手遅れ、台湾への攻撃を強化する中国の動きはそれをここしばらく不可能にした。沖縄はまた処分されたが、日本の若者にはもう関心がない。若者の意識から政治的関心を消し去った自民党半永久政権の隠れた成果と言える。

”沖縄よ、怯むことはない”

沖縄よ再び起ちて向かえ
未来永劫に
我らが闘いを組織し
労働階級が歓喜する世に向かえ

祖国は今病み膿んでいる
汚くただれた祖国は
沖縄の清透な空に
再び目を向けることは不可能だ

沖縄よ、再び起ちて独りで向かえ

4.
1972年の日本赤軍によるテルアビブ空港銃撃事件はパレスチナ解放人民戦線を支持していた者たちにとって、大きな転機となった。同じ年の2月にはあさま山荘事件で連合赤軍が機動隊と銃撃戦を演じ、武装闘争で手柄を競う日本赤軍が焦って決行した様相が強い。要するに人間を無視した自分たちの独善に基づく行為で、新左翼運動を根底から破壊したと言えるが、私は怒りに体が震えたのを今でも覚えている。そんな時、自分にも思うところはあると書きなぐったのが、この詩紛いのモノ。イスラエルの国家を否定するのではなく、パレスチナ人にも自治権がある、と単純に考えたところから出たものだ。今もその考えに変わりなく、イスラエルとパレスチナがそれぞれ独立を認め合う二国独立解決策が唯一のパレスチナ問題解決の道だと思う。私は1967年に六日戦争が勃発した折、高校生の正義感から小さなイスラエルを寄って集った攻撃するアラブ連合が許せないと真剣に義勇兵志願を考えた。実際は小さなイスラエルが近代兵器、特に空軍に物言わせアラブ連合に壊滅的な打撃を与えたのだが、その時から中近東の複雑な地政学的現実を知ることになった。

“パレスチナの平和とは?”

渇いた大地
ひび割れた空に
闘いは組織された
パレスチナに平和はない

枯れた草木
酷しく荒む風
闘いの中に立つ
パレスチナに自由はない

三名の自称革命戦士は
二十六名の無名の人々の
命によって
反革命に堕ちた
お前たちはその結末を引き受けるべきだ

風が再び
さわやかに頬を撫で
空が再び
鮮やかな星の輝きに満ち
大地が再び
平和と自由の草木を
取り戻すのは
パレスチナよ、いつだ

5.
こういう実験紛いのこともしていたようです。字句をすべて点で区切ると通常とは異なるリズムが出る。マヤコフスキーは詩は最初のリズムから生まれる、と言った。マラルメによれば最初の一言は天からの授けもの。私には無自覚な生産過程だったが、無意識にリズムを追うということはしていたようだ。点を抜いたものを下に補足しておいたが、よろしければ比較してみて下さい。

“連帯を求めよ”

空、翔る、鳥に、向かって、詩え
私達の、起ちて、在る、現在、を
恥じろ、呪え
生きる、こと、への執着
そんなに、醜悪か
むしろ、
死へ、の、逃避行、を
笑え、泣け

よみがえった、労働階級は、
昨夜、の、悪夢か、幻影か、
は、は、は、は、・・・・・
私達、に、生の、希望、は
無縁、か
ならば、
闘へ、有機的、結合、に、向け
連帯を求めなければならぬ

<補足>
空翔る鳥に向かって、詩え
私達の起ちて在る現在を
恥じろ、呪え
生きることへの執着が
そんなに醜悪か
むしろ
死への逃避行を
笑え、泣け

よみがえった労働階級は
昨夜の悪夢か、幻影か
は、は、は、は、・・・・・
私達に生の希望は
無縁か
ならば
闘へ、有機的結合に向け
連帯を求めなければならぬ

6.
自分を失い掛けている焦りは弁明を求め、理念への捨てがたい執着に引き摺られ、またぞろ迷路地獄に堕ちたようだ。
 
“弁明”
 
就中、それが宇宙船であったとしても
私に血の脈動を伝えるには
遅すぎた
私の血は北極星の真下で
今は流れようとせず、凍てつき氷結している
 
ただ、私は南の島には瀬惰と弛緩しかないなどと
差別的な言動は決してしないように
今は容易周到に警戒的だ
椰子の木の陰で微睡む真昼の怠惰を
葉巻を燻らし踏ん反り返る
誰かに譲るほどお人よしではないのだ
 
<再び>という言葉が
自己の無為と勇気の欠如を
夜明けのヴィーナスよりも端的に
鮮らかにしているように
失われた山河よ
IMAWA私に土と誇りがない
 
それにしても労働階級だが
二次方程式では解き得なくなった
二十世紀後半の世で
決定的に迷路地獄を恐れている
 
なにわともあれ<生きよう>
それでいいのだ
弁明を恐れることはない
気恥ずかしくとも
<ぼく>は女々しく言い訳する
それこそが断固として人間的であり
確実な生の証なのだと
 
ブレヒト風に弁証法的教訓:
<サトウキビ畑>の住人は
本当は<カライ>ものが好きに
なる素質を持っているのかも知れない

7.
毎日生きることからその意味がボロボロ零れ落ちると、何もかもがお笑い草に見えてくる。虚無への一歩手前に至ったのだが、その深淵に堕ちるのを辛うじて遮っているものは、何なのか。その意味を問うこと自体が、生きるということなのだろう。
 
”お笑い草の日々“
 
力強く傲慢に軋轢音を軋ませながら走り
去る夜汽車、放射する光を通して見る
車窓の人々は不安か。何本も横に走る直線は不退
転に前進する。だがしかし、私の目は憎悪の視
弾を飛ばすだけ、深く沈潜していく魂は決して
走ることも飛ぶこともできないのだ。今は街灯
の下でただ弱い光を反射するだけの鉄路は君か

朝が夜に転嫁された私の労働は
私を労働階級に誘う代わりに
魂の沈潜を結果したとは
お笑い草だ
女の股に私の股を近づけ
どうも、君は燃えないねなどは
お笑い草だ
 
夕餉の支度に忙しい未婚の母は
この子の将来は私さ
と快活に笑う
それだけで救われる私の魂も
終に笑い飛ばしてくれ

長病いはきっと蘇甦する自己
長期に渡る健康は
きっと腐食する自己
豊かに優しい心は
きっと欺瞞の自己
 
でも
きっとその逆も正しいなどと
誰にも言わせない

8.
知性と感性の導くままに明日を求め、新たな創造の世界に赴きたい。そこに展開する風景は私が描き出す無限の宙空であったり、ひらひら極彩色の蝶が舞う街の公園の昼下がりだったりするのだろう。願わくば今しばらくの間お付き合いいただければ幸いです。

“私は快活に元気だった”

私が街を歩く
それは昼下がりの陽光を浴びて
私には背中に目はないが
私は街を歩く

何故か陽気に
即興の詩を唄いながら
天上にはきっと星が君臨しているのだけれど
何故か観えない、視えない

昨日も快活に
私は元気だった
一昨日も快活に
私は元気だった

お規則りの背広を被て
私には裸足なんて耐えられないのだ
鏡の中の自分は
迷路地獄

迷い堕ちて地獄の入り口に立つ
やたら咳の止まらない午後
駆るということについては
誰でも
一抹の不安と
代償の約束されぬ魅力を感じる

それにしても君は
時を穫るか
それとも未来か