文科省の「中教審への諮問」に見る不登校問題
中葉審への諮問の批判的検討
2025年4月7日
野 中
文科省は、令和6年12月25日、初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について中教審に諮問した。中教審はこの諮問を受け、審議し、答申を出す。それは、次の学習指導要領に反映される。
2023年の不登校の数は35万人を数えた。小学生の47人に1人、中学生の15人に1人が不登校である。不登校は我が国の教育問題であり、社会問題である。文科省はどう諮問したのだろうか。
文科省が民間研究機関に委託した「不登校要因調査」の結果が2024年3月に公表された。調査結果から文科省の不登校認識の誤謬や不登校対策の課題が明らかになっている。しかし、文科省は自らの不登校認識・対策を顧みることなく、9か月後の2024年12月に中教審への諮問を行った。
学校に行けない子どもが年々増加し、35万人にも増えているのも関わらず、文科省は、諮問の中で、我が国の教育を「世界に冠たる我が国の初等中等教育」と、臆面もなく評価している。その根拠として、全国学力・学習状況調査における地域間格差の縮小傾向やOECDのPISA調査での高位層の割合が増加といった学力の高さを挙げている。
一方、不登校については、顕在化する様々な課題の一つとして次のように言っている。
「学ぶ意義を十分に見いだせず、主体的に学びに向かうことができない子供が多くなっています。我が国の子供の幸福度が国際的にも低いとのデーターもあります。大幅に
増加している不登校児童生徒をはじめ、特別支援教育の対象となる児童生徒や外国人児童生徒、特定分野に強い興味や関心を示したり、特異な才能のある児童生徒への支援の充実とともに、多様性を包摂し、一人一人の意欲を高め、可能性を開花させる教育の実現が喫緊の課題です。」
婉曲な言い回しであるが、その真意は、不登校児童生徒、特別支援教育の対象となる児童生徒、外国人児童生徒、特異な才能のある児童生徒などを「学ぶ意義を十分に見いだせず、主体的に学びに向かうことができない子供」として一括りにしていることが分かる。
要するに、「世界に冠たる我が国の初等中等教育」の枠外の支援を必要としている子どもたちであると言っているのである。
だから、具体的な諮問として次のように言っている。
「不登校児童生徒や特定分野に特異な才能のある児童生徒など、各学校が編成する一つの教育課程では対応が難しい子どもを包摂するシステムの構築に向け、教育課程上の特例を設けること等についてどのように考えるか。」
文科省は、今、「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」を推し進めている。「誰一人取り残されない」と言っているが、その実体は、不登校の子どもたちは、「教育支援センター」や「不登校特例校」あるいは「フリースクール」などの学校内外の設備、機関で学べばいいとするものである。
また、特別支援教育の対象となる児童生徒への支援は、国連の機関が文科省に勧告したインクルーシブ教育とは大きくかけ離れた旧態依然の分離教育を推進するものであると言える。
ここで思い起こしてもらいたい、1980年代、当時の教育課程審議会の会長だった三浦朱門氏(故人)は言ったことである。国の教育方針の転換をものの見事に言い表している。
「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注
いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やが
て彼らが国を引っ張って行きます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神
だけ養っておいてもらえばいいんです。」
エリート教育の推進である。今回の中教審への諮問もこの路線上のものであり、文科省がエリート教育、選別教育を推し進めていることが分かる。
不登校問題の根本的な解決は、諮問でいう特別な学びの場をつくることではなく、誰もが自分の力を思いっきり発揮し、伸ばせる学校に創り替えるほかに方法はない。一人一人を大切にする学校教育の真の民主主義化こそ不登校問題の解決の道である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます