不登校問題を考える・子ども応援センターTomorrow 

不登校問題への提言・問題提起/不登校の親の会「こぶしの会」/不登校・ひきこもりの人たちの居場所「水曜塾」の活動紹介

子どもの声を もっともっと 聞こう

2021-10-05 15:36:39 | 雑感

 今日(10月5日)の京都新聞のコラム”凡語”に、コロナ禍の学校の課題が書かれていました。

 コロナ禍で、学校行事はどんどんつぶれ、部活動は制限され、学校が楽しいという子どもが減った。その一方で、大人たちのルール破りの行動があった。子どもからは、自分たちだけが制限されている、という不満が聞こえた。    

 緊急事態宣言の解除で、運動会の練習に励む学校もあるだろう。子どもの躍動を周りが応援する場面が少しずつ戻ればいい。子どもたちの声に耳を傾けなければならない。

 これは良しとしよう。

 しかし、コロナ禍の中で、子どもたちの声を聴き(子どもたちの意見を聞き)、子どもたちと一緒に、「どのような学校生活を送ろうか」「学校行事はどうしようか」「クラブ活動はどうしたらいいのか」等を学校や学級がどれだけあったのだろう。

 学校行事の中止も、クラブ活動の制限も、教育委員会や先生たちが考え出したことではなかったのか。その時に、子どもたちの意見を聞き、子どもたちといっしょに考えることをしたならば、コロナ禍の中でも、子どもたちは主体的な生活が送れたのではないだろうか。

 コロナ禍という災害の中で、どう生きるか、それは、私たち一人一人の課題であるのだから。

 

 


京都新聞の投稿記事 「生きる力 教えるのは疑問」に共感

2021-10-02 09:23:32 | 気付き

今朝(10月2日)の京都新聞の読者投稿欄「窓」に、「生きる力 教えるのは疑問」という記事が載っていました。

記事は、不登校やいじめ、息苦しい教育現場で、子どもたちがしんどい思いをしている根源は「文部科学省」にあるのではないかと問題提起しています。

その一つとして、「学習指導要領」の教育の重点である「生きる力」の養成に疑問を投げかけています。「果たして『生きる力』は大人が子どもに教えるものなのか」と。

そして、「確かに子どもには分からないことがたくさんあるので、それは大人が教える必要があるかもしれません。しかし、『生きる力』に関しては、子どもたちに本来備わっているものだと思います。」「大人があれこれ言わずとも子ども自らの力で養成できるのではないでしょうか。」と、子どもの持つ可能性に言及されています。

示唆に富む記事でしたので、紹介したいと思いました。