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シルクロードひとり旅 〔15〕 =パキスタン~中国・怒涛の国境越え編(1)=

2012年05月20日 12時57分01秒 | -旅日記-
■フンザ谷から国境の町スストへ向けて出発

カリマバード滞在4日目。
この日はフンザ谷を離れ、中国パキスタン国境の町スストを目指す。

4日前に通ってきたばかりのカラコルム・ハイウェイを逆に通って中国国境を目指すことになる。

ホテルのオーナーから朝早めに出発した方が良いとのアドバイスがあり、
世話になったホテルのオーナーやスタッフの人たちにお別れを行って、朝7時半にはホテルを出発。

オーナーから教えてもらった通りに、まずはカリマバードの隣町アリアバードを目指した。


ホテルの入口前の道で、アリアバード方面行きの乗合いトラック「スズキ」が通るのを待った。
しかし、なかなか来ない。

柔らかな朝の日差しを浴びながら、根気よくスズキが来るのを待つ。



30分ほど待って、1台のスズキが通りかかった。
すかさず、手を上げて乗ります!アピール。

スズキは目の前で停車。さっそく荷台に乗り込み、荷台の上に簡易に作られた座席に座った。
荷台にはすでにパキスタン人の男たち乗客が何人か乗っていた。


僕を乗せて出発したスズキは坂道を下っていき、フンザ川沿いを通るカラコルム・ハイウェイ方向へと向かった。

上流の氷河の雪解け水が勢いよく流れるフンザ川。この先下流で大河インダス川へ合流する。



スズキは途中何度も停まって、乗客を拾っていく。
そのうち荷台の座席は隙間も無いほど乗客で溢れ、荷台に乗れない乗客は荷台に作られた屋根の柱に捉まって乗っていた。


相変わらずガタガタ悪路のカラコルム・ハイウェイを走ること20分、スズキはアリアバードの町へ入っていった。

アリアバードのJUBILEE TRAVELという店の前からアタバード湖岸(スピルウェア)まで行くジープが出ているとホテルのオーナーから教えられていた。
しかし、どの辺にJUBILEE TRAVELがあるかまったく知らないし、満員のスズキからは外の景色も見えない。

キョロキョロしていると、隣に座っていた男が、「降りる場所は分かるか?」と話し掛けてきた。
JUBILEE TRAVELで降りたいと伝えると、「じゃあ、おれが着いたら教えてやるよ。」と言ってくれた。

この旅でよく思ったのが、パキスタン人はホント親切。
髭を蓄えた濃い顔のパキスタン人を見ると、始めは少々萎縮してしまうのだが、陽気でフレンドリーなパキスタン人が多く、
テロが頻発する厳格なイスラム教国のイメージしかなかったパキスタンという国だったが、最終的にはとても好きな国になった。

しばらくしてJUBILEE TRAVEL前に着いた様で、男はスズキの運転手に「停めてくれ!」と声を掛け、
「さあ、着いたぞ、降りな。」と言った。

「ありがとう!」
僕は男にお礼を言い握手を交わして、スズキを飛び降りた。


アリアバードの町は、カラコルム・ハイウェイ沿いに小さな商店などが並び、人通りも多くかなりの賑わいだった。
のどかなカリマバードや上部フンザにいたので、パキスタンに来て初めてこんなに人の多いところに来た。




スズキを降りてJUBILEE TRAVEL前へ行くと、男たちがアタバード湖岸行きのジープの客引きをしていた。

客引きに湖行きジープに乗りたいと伝えると、道端に停まっていた1台のジープに乗せられた。
湖からフンザへ向かう時に乗った屋根無しの荷台しかないジープとは違い、今回は荷台にちゃんと屋根も座席もあるジープだった。
でも座席は長い板が2枚並べられただけのもので、当然狭い。
すでにパキスタン人たちが乗っており、座席はギュウギュウ詰めだ。

荷台の座席だけでなく、助手席にも3人ほど乗り込んで、満席(というか定員オーバーだが・・・)になったところでジープは出発。


フンザ川沿いの崖にへばり付く様に続いているカラコルム・ハイウェイ。
ガードレールも無いこの道を走っていかなければならない。



カラコルム・ハイウェイ沿いの岩山は非常に脆く、よく崖崩れが発生している。
小規模の崖崩れは日常茶飯事のようで、至る所で崩れてきた岩や石ころが山積みになったままとなっていた。

その横をかなりのスピードを出したジープが駆け抜けていく。


悪路のカラコルム・ハイウェイを1時間ほど走り続け、土砂の山の手前に着いた。
カラコルム・ハイウェイは、ここから先大規模崖崩れによりできた土砂の山に埋まってしまっている。
さらにその土砂の山でフンザ川が堰き止められ天然の巨大ダム湖(アタバード湖)ができて、カラコルム・ハイウェイは湖の奥底に沈んでしまっている。

この土砂の山を越えるのはかなり大変。
細かいパウダー上の土砂が積もっているだけの山の斜面に、とりあえず車が走れるようにしただけの、
車一台がやっと通れるほどの「道」とは呼べない悪路を登っていかなければならない。

フンザへ向かうときは、屋根も何も無いジープの荷台に乗せられたため、この土砂の山に造られた道を通るとき、
巻き上げられるパウダー上の砂埃を大量に浴び、カリマバードに着いた時には全身真っ白になってしまった。
今回乗ったジープは、ちゃんと屋根もあり砂埃が入らないようにしっかり密封されていたため、砂埃にまみれずにすんだ。

しかし、道とはいえない土砂の山を越える道を登り始めて、ジープは前後左右にものすごく揺れ始めた。

揺れるジープの中で飛ばされないようになんとかしがみつきながら無事土砂の山を越え、湖の手前でジープは停車。
ジープを降りると、目の前にエメラルド色に輝くフンザ川の巨大堰止湖であるアタバード湖が広がっていた。





■ボートで湖を渡り、順調にスストを目指すが・・・

ここからボートに乗って湖を渡り、カラコルム・ハイウェイが再び通行できる上部フンザのフサイニ村を目指す。




狭く足場の悪いボート乗り場周辺は、乗客や荷物を運ぶ労働者たちでごった返していた。
すぐに出発しそうなボートが客引きをしていて、急いでそのボートに乗り込んだ。

ボートはすでに乗客で満員。



やがでボートは鈍いエンジン音を静かな湖に響かせながらゆっくりと動き出した。

後ろに見えるのが湖を堰き止めている土砂の山。約1年前の大規模崖崩れでできた巨大な土砂の山だ。



ジープを降りてボート乗り場まで土砂の山を歩いて下っていくと、結局埃まみれになり、バックパックも真っ白。。



エメラルドグリーンの美しい湖だが、少し前まではこんな巨大な湖は存在していなかった。
かつて通っていたカラコルム・ハイウェイはこの水面の遥か下に沈んでいる。


自然の驚異を感じずにはいられない。


途中、切立った崖のすぐ横をボートが通る。なかなかの迫力だ。



切立った崖の間を抜けると、視野が広がり、上部フンザの美しい景色が見えてきた。


2度目のボートでの湖横断だが、行きと帰りで違った景色に見えるのが不思議。


ボートに乗っている鮮やかな衣装のパキスタン人の女性たち。



ボートは途中いくつかの村に寄って乗客や荷物を降ろしていく。



約2時間掛けて、ボートは湖の端のフサイニ村の船着場へ到着。

湖の底に沈んでしまっていたカラコルム・ハイウェイは、ここで湖面から出てきて再び通行できるようになる。



ここからパキスタン・中国国境の町スストまでは乗り合いバスで約2時間の道のりだ。
スズキ⇒ジープ⇒ボートと色々乗り物を乗り継いできて、最後は乗り合いバスに乗れば目的地のスストへ着く。

ここまでとても順調に進んできて、意外と楽な移動だったなと一安心していた。


道端に停まっていたトヨタ・ハイエースの乗り合いバスに乗ろうと、ドライバーにスストまで乗りたいと声を掛けた。

「もう満席だよ。」
ドライバーは、手を振りながらつれない一言。

ハイエースの座席を見ると、すでに乗客で満員状態で屋根にも大量の荷物が積まれていた。

結局、乗り合いバスは僕を置いて、走り去っていった。


「まあ、こういうこともあるさ。」
仕方なく、船着場付近で次に来る乗合いバスを待つことに。




20分ほど船着場で待っていると、次のボートが船着場に到着。
それに合わせるかのように、乗り合いバスも一台到着した。

すかさず乗り合いバスへ向かい乗ろうとするが、またまた「もう満員だ。」と冷たい一言。
どうやらボートの乗客たちがすでに乗り合いバスをチャーターしてしまっているようだった。

呆然と立ち尽くす僕を置いて、乗り合いバスは砂埃を上げながら走り去っていった。

乗り合いバスが行ってしまうと、乗り降りする乗客や労働者たちで騒がしかった船着場周辺は、妙な静けさだけが残っていた。


「次こそ乗るぞ。」と、気合を入れて待つが、今度はまったく乗り合いバスが来なくなった。
待っても待っても1台も来ない。。

湖の畔にしゃがみこんで、乗り合いバスが来るのをひたすら待った。
朝には柔らかな日差しだった太陽は、正午を過ぎて強烈な日差しに変わっていた。
その日差しをずっと浴びていると、頭がクラクラしてくる。

船着場周辺には、ボートが運んでくる荷物の積み降ろしを行う労働者たちが常駐するテントがいくつも張られていて、
労働者たちがそのテントで休憩していた。

その一つに料理やチャイを出すテントがあった。
強烈な日差しを避けるため、そのテントへ入り、とりあえずチャイを一杯頼んだ。

ちびちびチャイを飲みながら乗り合いバスが来るのを待つが、一向に来ない。
いつの間にか、乗り合いバスが来るのを待って2時間が経っていた。

午後になると乗り合いバスの本数が極端に少なくなると聞いていたが、ここまで待っても来ないと心配になってくる。

テントにいたパキスタン人に聞いてみるが、「待つしかない。」のつれない一言。

ここまで順調に移動して来ていたけども、この日のうちにスストへたどり着けず、
「こんな何にも無いところで野宿か??」と、不安がよぎる。

いくら待っても乗り合いバスは来ず、辺りは静けさだけが漂っていた。



■あの韓国人たちに再び出会う!

フサイニ村の船着場で乗り合いバスを待って3時間以上が経った。

相変わらずバスは来ない。
じっとしていられなくなって、長居した食堂テントを出て周囲を歩いてみた。

ここで働いているパキスタン人たちは、荷物を運ぶボートもトラックも来ない昼間の時間帯は暇なようで、
日陰で寝そべっていたり、チャイを飲みながら談笑したりしていた。

このまま待っていても日が暮れてしまっては本当にどうしようもなくなる。

「はぁー、どうしようか・・・。」
すっかり途方に暮れてしまった。


と、その時荷物を満載した一艘のボートが到着した。
にわかに周囲が騒がしくなり、労働者たちはやっと出番が来たとばかりにテントから出てきてボートの周囲に集まっていった。

「オーイ!!」
騒がしい中で、人を呼ぶ声が聞こえた。

はじめは聞き流していたが、何度も何度も叫ぶので周囲を見回すと、二人の男がこちらに向かって手を振っているではないか。
その二人は明らかにパキスタン人とは違う風貌だ。

「まさか僕の知り合い??」
こんなところで自分に対して呼びかけている人がいることが、にわかに信じられず、何度も呼ぶ声のする方向を見た。

よーく見てみると、見たことのある二人の男たちだった。
前日にカリマバードの宿泊ホテルで出会った韓国人のユージンとポールではないか。

「オーイ!!」
思わず僕も大声を出しながら手を振って、二人のもとへ駆け寄った。


ユージンとポールは、カラコルム・ハイウェイ沿いに建てられた、ここで働く労働者向けの屋根が張られただけのボロ食堂に座っていた。
二人は一人のパキスタン人と一緒にいた。

「どうしてこんなところに??」
僕は彼らに聞いた。

「今日、カリマバードから、この先のパスー村へ行く予定だったんですよ。」
ポールが言った。

「君が今日スストに向かうって聞いてたから、同じ方向に行くなら君と一緒に行こうと思ってたんだけど、朝ホテルのオーナーに聞いたら君はもう出発してしまってて。」
「でもまた会えてよかった。」
ユージンは少し興奮した様子で言った。

一人ぼっちで途方に暮れていた僕も、思いがけず彼らに出会えて、彼ら以上に興奮していたのは言うまでもない。


「それで、君らはここで休憩中?この男性は?」
僕はユージンとポールと一緒にいるパキスタン人について聞いてみた。

「彼は僕らが雇ったガイドで、パスー村まで案内してくれるんだ。」
「君はここまで一人で来たんだろ?もし君と一緒に行っていればガイドは雇わなくてよかったかもね。」
ユージンは言った。

「今から遅めの昼食を食べるんだけど、一緒にどう?」
ユージンとポールは誘ってくれた。

「OK。昨日君たちが朝食おごってくれたから、今日は僕がおごるよ。」
前日に次は僕が食事おごると約束していたのだったが、まさかこんなところで約束を果たせるとは思ってもみなかった。
僕らはタンドリーチキン付きのカレー風味のピラフを頼んだ。


僕はここで3時間も足止めされている状況を話した。
すると実は彼らも少し前にボートでここに到着して、乗り合いバスが来ないため足止めされていたとのことだった。

パキスタン人ガイドも、「待つしかない。。」と言う。





食事を終え、ポール、ユージン、パキスタン人ガイドと雑談しながら乗り合いバスが来るのを待った。

ユージン、ポールは仕事のこと、家族のこと、恋人のことなど色々話をしてくれた。
パキスタンで働くことはとても大変なようで、もちろん治安面など危険とも隣り合わせでもある。

ユージンは恋人を韓国に残してきているのだという。
その恋人は日本の音楽や文化が好きとのことで、「案内するから、ぜひ日本へ遊びに来て。」と話をした。
そしてお互いのメールアドレスを交換した。


そんな話をしていると、一台の乗り合いバスが来た。
が、すでに満員だとまた断られる。

そして次いつ来るか分からない乗り合いバスをひたすら待つしかない。

でも一人で心細く待っていた状況とは違い、今はユージンらが一緒だ。
しかもパキスタン人ガイドまで一緒にいる。
乗り合いバスに乗れなくても、先ほどまでとは違い、気持ち的にかなり余裕ができた。


とはいえ、すでにフサイニ村の船着場に着いて4時間が経とうとしていた。
気長に待っていたユージンたちもさすがにしびれを切らしていた。

その時、パキスタン人ガイドが1台の乗用車に乗った男と話を始めた。

「ガイドが車を1台チャーターしようかと言っているけど、どうする?」
「乗り合いバスだとスストまで150ルピーだけども、チャーターすると1台2000ルピーもするけども。。」
ユージンがウルドゥー語の会話を英語に訳して説明してくれた。

2000ルピーもの金額を払うのは痛いが、早くここから脱出したい気持ちが強かったので、この話に乗ることにした。
チャーター代2000ルピーはユージンらと折半することに。


ウルドゥー語が分からない僕一人だったらうまく交渉できず、さらに足止めを食っていたかもしれない。
彼らと一緒でホント助かった。。今回の旅は偶然にとても助けられている。




正午12時ごろにフサイニ村にボートで到着し、乗り合いバスに乗れず足止めされて4時間半。
ユージンたちとチャーターした車に乗って、なんとかフサイニ村の船着場からスストへ向けて出発することができた。


旅の移動はなかなか思い通りに行かないものだ。
それでも、色んな偶然に助けられながら前に進むことができるのが旅の醍醐味。

でも何が起こるか分からないカラコルム・ハイウェイ。
無事スストにたどり着けるか。。



(つづく)


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