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シルクロードひとり旅 〔14〕 =パキスタン・桃源郷フンザ編(2)=

2012年04月24日 20時46分33秒 | -旅日記-

■二人の韓国人

フンザ滞在3日目。
この日のフンザ谷は少し雲が多い。でも涼やかな風が吹き、爽やかな朝だ。

七色の雲?いや、虹かな?



朝起きて、洗面所の蛇口から出てくる冷たい雪解け水で顔を洗う。
これですっきり目が覚める。

目覚めたところで、朝食を食べにホテルのレストランへ向かう。
レストランの隣は広いバルコニーになっていて、そこから美しいフンザ谷の景色が眺めることができる。

レストランへ入る前にバルコニーからの景色を堪能。



バルコニーにはホテルのオーナーがいた。
オーナーはホテルの客と思われる東洋人の男二人と何やら話をしていた。

二人の東洋人は見た感じ、日本人のようでもあり、そうではないような気がする。
聞こえてくる会話は英語ではなかった。どうやらパキスタンの公用語であるウルドゥー語のようだ。
この二人はウルドゥー語が話せる。すごい。

オーナーと東洋人二人は話を終えたようで、オーナーはその場から立ち去った。
東洋人二人はその場に残り、しばらく立ち話をしていたが、やがて同じく東洋人顔の僕を見つけて近づいてきた。

「ハロー、アニョハセヨ。」
一人が僕に話しかけてきた。アニョハセヨって韓国語ではないか。

「コリアン?」
もう一人の男が続けて聞いてきた。

「いえ、僕は日本人です。あなた達は?」
僕はひとまず英語で答えた。

すると、二人は顔を見合ってから言った。
「僕たち、韓国人です。」

この2人は韓国人だった。
フンザは日本人や欧米人だけでなく、意外と韓国人バックパッカーもいるんだな、と思ったが、
話を聞くと、どうやら事情が違うらしい。

「僕たち、パキスタン南部の町カラチの病院で働いているんですよ。」
「今、休暇をもらって、フンザを旅行中なんです。」

二人はパキスタン在住の韓国人だった。
この二人の韓国人の名前は、背が高くちょっとイケメン風のユージンと、丸顔のポール(英語名?)という。

「一緒に朝食を食べませんか?」と、ユージンが誘ってくれた。

「ぜひ。」
もちろんOKして、三人でレストランへ向かった。


朝ごはんは、トーストやオムレツなどスタンダードなメニューを選んだ。
しばらくして料理がテーブルに並べられた。



さあ食べようと思ったら、ユージンとポールは両手を合わせて、うつむき、何やら小声で言葉を発しだした。
なにやら、お祈りを始めたようだ。

僕がその光景にあっけにとられていると、
「僕たち、クリスチャンなんですよ。」と、ポールは笑って言った。
「クリスチャン団体の活動で、カラチの病院でボランティア活動をしているんです。」と、ユージンは教えてくれた。

イスラム教国でキリスト教徒がボランティアっていうのも不思議な感じだが、
意外と多くのキリスト教系団体がパキスタンでボランティア活動をしているそうだ。

僕は彼らが上手に話すウルドゥー語について聞いてみた。
「さっき、ウルドゥー語で会話してたけど、ウルドゥー語話せるってすごいですね。」
「ウルドゥー語は韓国で勉強したことがあって、それからもう2年以上パキスタンにいるので話せるようになったんですよ。」
ユージンはぎこちない韓国語訛りの英語で言った。

正直、彼らの話す英語は上手くない。
僕自身もヘタクソなので時折会話がうまく続けられなかったりする。
しかも、彼らは英語を話していてもウルドゥー語がつい出てしまうようで、急にウルドゥー語で話しかけられて、
「??」なことが何度かあった。

会話中の相槌も、英語だと「Yes」だとか「I see」だとか言うが、彼らはいつも「アチャー、アチャー」と言う。
ホテルのオーナーも同じように言っていたので、おそらくウルドゥー語の相槌なのだろう。
彼らが頻繁に「アチャー、アチャー」言うのが何だか可笑しかった。




彼らは先ほどホテルのオーナーに、得意のウルドゥー語でフンザの観光スポットや行き方について聞いていたようだ。

「ホテルのオーナーから氷河が見られるスポットを教えてもらったんで、これからジープをチャーターして行くんですが、一緒にどうですか?」
ポールとユージンは氷河見学に誘ってくれた。

しかし、正直言うと、僕は氷河にまったく興味がなかった。
氷河の写真を見たことがあるけども、氷河の表面は土砂や岩石が積もっていて、氷河の見た目は決して美しくはなく、
時間を掛けて見に行きたいと思わなかった。

それに僕は観光スポットに行くより、どちらかというとブラブラ町や村を歩くのが好きだ。
なので、この日はカリマバードの隣のアルチット村というところへ行く予定にしていた。

せっかくのお誘いだったけど、氷河行きはお断りさせてもらった。

朝食を食べ終わり、お金を払おうとするとユージンが言った。
「食事代は僕らが払いますよ。日本の友達に出会えた感謝の気持ちです。」

「じゃあ、次一緒に食事するときは僕がおごりますね。」
僕は彼らに言った。

偶然出会った韓国人のユージンとポール。
この時、再び彼らと一緒に食事する機会があるとは思っていなかった。

しかし、のちに思いがけず再び彼らと出会い、食事を共にすることになる。
それだけではなく、彼らには大いに助けてもらうことになるのだった。



■フンザの役所で旅行パーミッションを取得

さて、フンザに来て3日が経っていた。
滞在しているホテルも明日までで、そろそろ次の旅のルートを決めなければならない。

3日間滞在して散らかってしまったホテルの部屋。



この先考えられるルートは、このままパキスタンを縦断しインド方面へ向かうルート、
または、来た道をたどり再び中国へ戻るルート、の2つのルート。

10年ぶりにインドを訪れることはとても興味が湧いた。
しかし、パキスタンをこのまま南下していくことは、今回の旅の目的であるシルクロードを訪れることからはずいぶん外れてしまう。

さらに、香港から持ってきた荷物を上海の友人宅へ預けたままだったので、帰国する前に必ずまた上海に立ち寄る必要があった。
つまりどこへ行こうとも、最終的に中国へはもう一度戻らなければならない。

そういうこともあり、最終的に明日フンザから再び中国へ戻ることに決定。
中国では、南疆と呼ばれる新疆ウイグル自治区南部のオアシスの町を訪れることにした。


ルートが決まったところで、明日の移動方法についてホテルのオーナーに相談。

国境の町スストからここカリマバードまでは、成り行きにまかせてなんとかたどり着いたのだが、
逆にカリマバードからスストへ向かう場合、乗合いバスの乗り方など移動方法が行きとはまた状況が違ってくるからだ。

オーナーに聞くと、ホテル前からスズキ(乗合い軽トラ)に乗って、まずはカリマバードの隣町アリアバードへ向かう必要があるらしい。
アリアバードからレイクサイド行きの乗合いジープが出ていて、そのジープに乗り、再びボートで湖を渡って行くようだ。

パキスタンの移動手段としてよく見かける「スズキ」と呼ばれる乗り物。


「スズキ」とはあの日本の自動車メーカー・スズキのことだ。
日本のメーカーの名前がそのまま乗り物の名前になっている。

スズキの軽トラ荷台を改造して屋根や座席を付け、乗り合いバスのような交通手段としてパキスタン全土で活躍しているのだ。


移動方法をひと通り説明した後、ホテルのオーナーは言った。
「上部フンザ(湖の北側)へ行くなら、フンザで旅行パーミッションを取得しておいた方がいいよ。」

パーミッション?そんな手続きが必要なのは知らなかった。
旅行ガイドブックなどにはそのような事は載っていなかったが、パキスタン情報は古いものも多く最近必要になったのかもしれない。

「うちのスタッフが一緒に行って手伝ってあげるから、これから手続きに行きましょう。」


しばらく待っていると、色黒で笑顔が爽やかな一人の青年が現れた。
「じゃあ行きましょう。ここからすぐ近くですよ。」と、爽やか青年は色黒の顔に目立つ白い歯を見せて言った。




手続きを行う事務所は、ホテルから坂道を登ってすぐのゼロポイント近くにあった。
事務所へ入り、青年が手続きをする場所を聞くと、その場にいたスタッフらしき男は無表情で「あっちの部屋だ」と言った。

それに従いその部屋へ行ってみると、次は「上の階の部屋だ」と言われ、たらい回しにされる。
役所っていうところはどこの国もこんな感じなんだろうな。。

何度もたらい回しにされた後、やっと手続きをする部屋にたどり着いた。
狭く薄暗い部屋には大きな机が置かれて、一人の偉そうな役人の男が座って書類に目を通していた。

一緒に付いて来てくれたホテルの青年が事情を説明し、旅行パーミッションを発行してもらえるように話をしてくれた。
するとその役人の男は、僕に対して国籍や訪問の目的などについて英語でいくつか簡単な質問をした。

その質問に答えると、次にパスポートの提示を求められ、ビザや入国スタンプなどをチェックされる。
そして、指定の用紙に名前やパスポート番号などを書くように言われ、記入。

役人の男は部屋の隅に置かれた椅子を指差し、「ここに座って待っていなさい。」と言った。

そして、ホテルの青年に何かを言って僕のパスポートと記入した用紙を渡した。
青年はそれらを持って別の部屋へ行ってしまった。

ということで、部屋にはその役人の男と僕の2人きりとなった。
役人の男は無表情のまま、机に山積みされている書類に目を通し、サインをする作業を黙って続けていた。
時折、部屋を訪れた小間使いの男に対して指示をするとき以外、一言もしゃべらない。

狭い部屋で30分ぐらいこの役人の男と2人きりでいたが、一切会話も無く、シーンとしたまま時が流れていった。
役人は黙々と事務仕事を続けている。


30分が過ぎ、ホテルの青年が再び戻ってきた。
青年はこの役人に書類を渡し、役人はひと通り目を通した後、サッと書類にサインをした。

「待たせたね。これで完了だ。」
役人の男はそう言って、パスポートと一枚の紙切れを僕に渡した。
手続きは無事完了したようだ。意外とあっさりと完了。

「よい旅を。」

別れ際、役人の男は笑顔で握手をしてくれた。
最後の最後で見せたこの役人の男の笑顔が印象的だった。


もらった書類に目を通すと、
「旅行中に起こる一切のリスクに対してパキスタン政府は責任を負いません。」的な事が英語で書かれてあった。




「無事取得できた?」
ホテルへ戻ると、オーナーはそう聞いてきた。

僕が事務所で発行してもらった紙切れを見せると、オーナーは笑顔で言った。
「これで安心して旅が続けられるよ。」

しかし、このパーミッションはパキスタンを出国するまでカバンの中に眠ったまま、一度も日の目を見ることはなかった。
本当に必要だったのかは不明。

まあ、この書類が役立つ時というのは、何かトラブルが起こった時だろうから、
日の目を見なかったことは良かったということかな。



■アルチット村を散策

アルチット村は、フンザの中心地カリマバードの隣にある小さな村だ。
この村には高台があって、その高台にはアルチット・フォートと呼ばれる砦跡がある。

フンザ藩王国時代に、周辺の国々からの攻撃に備えるために造られた砦が今も残っている。

この日はアルチット・フォートを目指してアルチット村散策へ出かけた。


アルチット村へは山道をしばらく歩いていく。



カリマバード近くから見えたアルチット村。



道端で上から様子を伺っている牛。



途中、フンザの背後にそびえるウルタル峰が見えた。



この日も雲がかかっているウルタル。結局フンザ滞在中にその姿をはっきり見ることはできなかった。残念。



しばらく崖沿いの山道を歩いていく。



山の急斜面に家々が建っているアルチット村。



ラカボシを見上げながらアルチット村まで続く山道を歩く。



ポプラの木々の遠く向こうの高台にアルチット・フォートが見えた。


アルチット・フォートは、フンザ川の向こうのライバルであったナガール藩王国の動きを見張る為の砦として造られた。


これまで歩いてきた九十九折の山道。



フンザ川をはさんで対岸のナガールの谷の奥にそびえるのがディラン(7257m)。




アルチット村に入ると、村人たちの姿がちらほら。



この辺りの女性たちは、鮮やかな服を身にまとっている。









アルチット村の路地。

 

路地で出会った少年たち。




アルチット・フォートを目指して歩いていったが、村の路地に迷い込んでしまい、自分がどの方向に向かっているのか分からなくなった。

ウロウロしていると、村の男が、「どうしたんだ?」と声を掛けてくれ、アルチット・フォートへの行き方を教えてくれた。
が、しかし、再び道に迷ってしまった。



遠くからではすごく目立つ高台に建つアルチット・フォートだったが、近くまで来て道に迷ってしまい、
村の路地をうろうろ歩いていると疲れてしまった。
結局アルチット・フォートには寄らず、アルチット村を散策してからカリマバードに戻ることにした。


緑豊かなアルチット村。







フンザでは、道で出会った人たちが、外国人である僕を見て「ハロー」を挨拶をしてくれる。
アルチット村からの帰り道でも、道端に座っているアルチット村の女の子に声を掛けられた。

友達を待っているという女の子二人。






二人とも美人さんだ。



フンザ以外のパキスタンの町で、外国人に対して女性から声を掛けてくるなんてことはまず無いだろう。

カリマバードやアルチット村などのフンザの村を歩いていると、女性の姿を多く見かける。
イスラムの国パキスタンでは、女性はあまり家から出歩かず、街を歩いているのは男だらけというのが普通だ。

女性が比較的オープンなのは、フンザの人々がイスラム教・シーア派の一派であるイスマーイール派と呼ばれる比較的戒律の緩い
宗派に属しているからかもしれない。



アルチット村からカリマバードへ向かう山道をひたすら歩いていく。



カリマバードのゼロポイントからいつもの坂道を下ってホテルへ。


日が沈む前になんとかカリマバードのホテルへ戻ってきた。



沈みかけの夕日に照らされるラカボシ。そして満月。



やがて日が沈み、暗闇がフンザ谷を覆う中、雪を頂くラカボシがこの日最後の白い輝きを見せた。



翌日朝一にはフンザを離れて再びスストへ、そして中国へと戻る。
最後にせっかく出会った二人の韓国人ユージンとポールと話をしたかったけど、彼らは氷河を見に行ってまだ戻ってきていないようだった。


本当に桃源郷のような美しい村、フンザ。
長年訪れてみたいと思っていた場所だが、移動に苦労してでも来た甲斐があった。
さらに、短い時間だったけども、ナビラをはじめ地元の人たちとの交流もできて良い思い出となった。

もう来る機会は無いだろうなぁ。でもまた来たいと心から思える素晴らしい場所だった。


朝早いため、この日は早めに就寝。
明日からまた移動の連続だ。


(つづく)


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